大島弓子

線でマンガを読む『大島弓子』

前回の当コラムにて、手塚治虫がコマの枠線や絵のレイアウトを用い、巧みな視線誘導で、ドラマチックで読みやすい画面を設計したことに触れた。

(『火の鳥 生命編』手塚治虫 ※読者の視線の動きを緑線で図示した)

いま、私は「設計」という言葉をつかったが、理知的で教養豊かな手塚は、その明晰な頭脳でもって、まさに建築の構造設計のようにマンガを組み上げていったのだと思われる。だから、手塚マンガの技法は人に説明しやすい。「この部分が視線誘導でこっちに行って…」という理屈を、言語化することができる。手塚はマンガの実作者であると同時にマンガの研究者でもあった。手塚のマンガを読むことは、現代マンガの基本的文法を学ぶことでもある

手塚マンガを読んで育った後進のマンガ家は、意図せぬうちに頭の中にマンガの文法をインストールしていった。手塚が大人になってから理詰めで作り上げた文法を、子供のときに体に染み込ませてゆくように学んだ人間たちは、いわば手塚を経由した現代マンガのネイティヴの話者である。それは作り手だけでなく、読み手の私たちにもあてはまることで、そういえば私たちは「マンガの読み方」を誰に習うこともなく使いこなしている。高齢の、幼少期にマンガに触れてこなかった世代には、「マンガが読めない」人も多いのだ。

ともあれ、手塚作品を読んで育ったマンガのネイティヴ・スピーカーは、やがて彼ら自身が作り手となり、手塚が洗練させたマンガ文法をもとに作画技術を発達させていった。また、手塚が不得手としていた要素についても改良が加えられることとなる。その作家としての出発点はともかく、中期以降、ライバルたちの登場によってどんどん理詰めの手法に頼らざるを得なくなった手塚は、言葉にしにくいアート的な感覚でものごとを捉えるのが苦手だ。どうしても頭で考えてしまう傾向がある。だから、この部分は後進のマンガ家たちによって補完された。とくに少女マンガの描き手たちによって。

(『桜時間』大島弓子)

少女マンガ界のレジェンド、大島弓子によって描かれた短編『桜時間』の1ページである。縦長の3つのコマによって構成された画面には、手塚の「ドラマチック」で「読みやすい」というコマ割り以外のものが存在する。「スウィマー」「かっこよさげに 背をむけたの」というふたつのセリフの上下に存在する空隙。それは非言語的な「間」であり、「余韻」であり、くだけた言い方をすると、ようするに「おしゃれさ」だ。ためしにこのページを以下のようにトリミングしてみよう。

上下を短くした。これでも読めることは読める。しかしフキダシの一見無意味な間がなくなったことによって、モノローグの背後にある感情が平板化し、余韻が消えてしまう。大島は、コマ割りで画面に豊かな感情や風合いをみちびく皮膚感覚をもった作家だ。

(『桜時間』大島弓子)

この、眠る少年(彼の名前は“うさ吉”だ^^)を縦に貫く3本の線も、いちおうは時間経過を表すコマ割りとして理屈で説明することもできる。しかし、大島が引く線には、それ以上のものが込められている。文法が、デザインの域にまで昇華されている。

『桜時間』は、桜の季節のなかに暮らす、とある家族についてのお話だ。少女のころの「わたし」は、とても短い期間のあいだに3人の男子と交際し、そのうちの誰かの子を授かる。それがうさ吉だ。そして彼らの後に出会った4人目の男性から求婚され、夫婦となって、うさ吉とともに安穏な生活を送っていた。

しかし、反抗期をむかえたうさ吉が、小学校のクラスメートと頻繁にケンカをするようになる。ちょうど同じころ、「わたし」は何気なくつけていたTVのニュース番組によって、ひとつの事件を知らされる…

「わたし」の夫が、血のつながっていない息子であるうさ吉の、クラスメートとのケンカをやさしくたしなめ、彼に呪文を教えるシーンが好きだ。

「リマハタワープ ロンロンパルコ センターオーバー バックバック」

もし、相手を殴りたくなったら、こう唱える。

「頭がいちじ すーっと 冷えます」「そのうちに 思い直すことが できるわけ」

上記のような効果があるらしい。横で聞いていた「わたし」は

「くるしまぎれの にげよ 逃避よ うそっぱちよ」

とバカにするのだが、のちに、まんざらでもないことに気づく。おおらかな余韻を湛えた空間のなかで語られる、一風変わった家族と事件の顛末を、ぜひ読んでみてほしい。

write by 鰯崎 友

※本コラム中の図版は著作権法第三十二条第一項によって認められた範囲での引用である。

『大島弓子選集 (第10巻) ダリアの帯』(『桜時間』 所収) 大島弓子 1985 

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