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『バジュランギおじさんと、小さな迷子』映画映画した映画のパワー

タイトルは『バジュランギおじさんと、小さな迷子』だが、おじさんというよりお兄さんというかんじだ。インド人の青年バジュランギは、嘘が大嫌いで心のやさしい、ナチュラルポジティブな男だ。反面、ちょっとマヌケ、というかだいぶマヌケな性格である。猿の姿をしているという神様、ハヌマーンを崇拝していて、猿を見かけると条件反射的に拝んでしまう。勉強は得意でなく、体はごついが相撲は苦手だ。相手と組み合うと、体がこそばゆくなって、競技の途中で笑いが止まらなくなるからだ。昔のコメディにでてくる、ちょっとアタマのネジのゆるいお人好しなのである。

そのネジのゆるさが災いして、仕事にもついていないから、恋人との交際を、向こうの両親からよく思われていない。彼女のお父さんは、バジュランギに対して、6ヶ月のうちに家を持て、そうすれば娘との結婚を許す、と言い放つが、けっこう難しい注文だ。優しすぎて、絶対に営業マンなんかは向いていないだろうし、なにか特技があるわけでもない。ポジティブなのは概ね良いことだとは思うが、バジュランギのばあい、ポジティブが過ぎて、自分の境遇に危機感をいだくチャンスを逃しているように思う。ナチュラルに毎日を過ごしている。

そんなバジュランギだが、120%の本気を出さないといけない局面にぶち当たる。迷子の少女と出会ったのだ。しかも、彼女はインドと怨恨のある隣国、パキスタン生まれで、生まれつき声が出ない。言葉を話せるように、と母親に連れられてインドのパワースポットを訪れたのだが、その帰路にはぐれてしまったのだった。

バジュランギは少女を大使館や警察に連れて行ったり、旅行代理店にお願いしてパキスタンへ帰そうとしてみたりするのだが、うまく行かず途方にくれる。結局自力でパキスタンへ連れて行くしかない、と決意する。ここから、バジュランギの本気がこの映画の見どころのひとつだろう。今まで人生のアクセルを踏み込まずに生きてきた彼は、本気の程度を知らない。いちど本気になったらどこまでも一途な男で、お人好しの爆発的行動力で立ちはだかる困難をつぎつぎと、ほぼ力技だけで突破してゆく姿に、笑いと感動が同時にむせあがってくる。

けして嘘をつかず、真摯にお願いすればきっと人は耳を貸してくれる。神に祈ればなんとかなる!といって突き進み、少女を連れて、ビザもパスポートも無しでインドからパキスタンへと密入国するバジュランギの無謀を通り越した大活躍に、昨年見た別のインド映画を想起する。そう、『バーフバリ』。あの映画の主人公バーフバリも、ただただ正義感に燃え、悪は絶対ゆるさない、ものすごく直線的な男で、そのまっすぐさがバジュランギとまったく同じ。

こういう裏表のない、まっすぐな人間を主人公に物語を語ることは、今の映画界でいえばインド映画の特質だと思う。マーベルヒーローだって、だいたい途中でいちど自分のアイデンティティに悩むものだけど、バーフバリとかバジュランギに関しては、そのへんの、自分への葛藤みたいなものがほとんどまったく描かれない。いちど決めたら突き進むのみ。

こういう物語っていうのは、日本にも昔はあった。でもいつしか、そういうまっすぐな主人公は、なんか薄っぺらい気がするし、もっと人間って複雑に生きているものでしょう、ということで、絶滅危惧種になったのだ。そういう意味で、日本もハリウッドも、映画映画した映画から卒業してしまって、いまさら昔には戻れない、という感じになっている。

でもインドは違う。21世紀になっても映画映画した映画を、熱心に作っている。大人になった日本映画や、ちょっとオタクなハリウッド映画にはない、無邪気に辺りを走り回っているような、やんちゃな子どものようなエネルギーがある。大人になることもいいが、子どものうちにあるパワーも忘れるのは惜しい。インドは映画大国だが、映画に対してスレていないなあ、と思う。『バジュランギおじさんと、小さな迷子』も、映画映画した映画の力がみなぎっている作品だった。その馬力に感服。

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