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「史料」についてーその② 二次史料

前回、一次史料について簡単にお話しました。次はそれ以外、つまり「二次史料」と呼ばれるものについてお話します。


回顧録と自伝

「二次史料」で代表的なものといえば、「回顧録(回想録)」や「自伝」といったものがあげられます。この二つは似たようなものではありますが、強いて違う点をあげれば「回顧録」がその人の公的な仕事を振り返るのが強いのに対して、「自伝」はもう少し私的な生活や生い立ちについての分量が多いということでしょうか。ただ、いずれもはっきりとした区別は難しく、曖昧なものがおおいと思います。

これらの利点は、当然ながら「読まれる」事を前提に書いてあるので、よみやすく、また理解しやすい点にあります。書簡や公開を前提としてしていない日記などは第三者が読む事は想定されていないので、人名や事項をはぶいたり、系統的に書かれていないことが普通です。

対して、「回顧録」はある事件や人物について発端から、自伝であれば生い立ちから、丁寧に書かれていることが多いので、当然読み手としては理解しやすく、おもしろい。また、その人物の主張もはっきりしていて、その点も汲み取りやすいです。

ただ、当然ながら本人の弁解や自慢話が挟み込まれる欠点があります。また、ひどいのになると、明確な嘘を混ぜるような人物もいます。そこまでいかなくても、都合の悪い話を端折ったり、無意識的に話さなかったりすることがあります。まあこれは、人間の性質上当然といえば当然でしょう。


オーラルヒストリー

自伝や回顧録のたぐいでも、もう少し信頼度の高いものとしては、研究者などが事件当事者に話をきく「オーラルヒストリー」というものがあります。これについて筆者の関係する分野では東京大学名誉教授・伊藤隆氏の回顧録が参考になります。

伊藤氏は、政治家や官僚、軍人をはじめとした人々を対象とした、数多くのインタビューを行ってきました。ある事件の当事者、政策の決定者などがどのような心情だったのかなど、公文書にはその「結果」しか書かれていません。政党、軍部、省庁など、どのような組織であろうと構成するのは人であり、そこには「プロセス」があり、「議論」「心情」「駆け引き」などがあります。そうしたものは、なかなか文章には残りません。

「あの時私はこう考えていた」「このようなやりとりがあった」など、そこには公文書からは見えてこない、人間の泥臭い部分が現れてきます。インタビュアーにしっかりとした知識があり、慣れている人であれば、対象の人物から「秘話」をうまく引き出すことができます。本人だけの回想より、客観的な事実を引き出せる可能性があります。また、繰り返し聞くことで忘れていた部分を思い出させることもできます。

「本人にとって都合の悪い部分」などは、普通回顧録などには書かれません。しかし、インタビューではつい相手に引き込まれてしゃべってしまったり、またしゃべらなくても「ああこの人にとって触れられたくない部分はここか」と、それだけでも収穫になります。

うまい人であれば、話してくれなかった事を雰囲気をつくって聞き出すこともできますし、何度も同じ人にインタビューすることで親しくなり、「実は…」ということもなくはありません。これは、聞き手の力量によるでしょう。この「インタビュー」については史学の分野ではありませんが、ジャーナリストの野村進氏の著作が参考になります。

史学では、基本とするのは一次史料(事件当時、当事者が記したもの)ですが、不足部分を二次史料で補ったりします。ただし、その際は著者の勘違いや誇張、事後的な弁明に注意しつつ、別の史料で裏付けなどをとることが大切です。

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