横道世之介と新大久保の話

2001年の僕は社会人2年目でゲーム会社の新米デザイナーだった。仕事を終えると最寄りの新大久保駅から電車で帰るのが日課であった。その日もいつもどおり仕事を終え、新大久保駅のホームにつづく階段を上っていた。すると階段の上から駅員数人駆け下りてきて、ホームで事故が起きたので引き換えせと、駅ナカにいる客を外に追い出し始めた。状況がわからないまま駅の外に出され、新大久保駅は一時立入禁止となった。仕方なく復旧するまで駅前で待つつもりでいたが、当分復旧しないとアナウンスされた。仕方なくとなりの大久保駅まで歩いて電車に乗った。帰宅後、新大久保駅で起きた事故というのは、線路に落ちた酔っぱらいを助けるために、韓国人留学生と日本人カメラマンが線路に降りたが、残念ながら3人とも電車に轢かれて死亡するという事故であったことを知った。

そして2013年。
僕は、奥さんと娘2人の4人家族となっていた。子供を寝かしつけて、久しぶりに映画鑑賞をすることにした。以前ラジオで「横道世之介」という映画をおすすめしていたのでDVDを借りておいたのだ。
観始めるとたしかにおもしろい。淡々と進む青春映画で、人を選ぶ映画かもしれないが僕にはとても感情移入できた。いい映画に感じた。お人好しの横道世之介をどんどん好きになっていった。映画よおわるな!このままずっとこの時間が続いてくれ!とまで思った。
しかし映画の終盤、学生だった横道世之介はカメラマンの道を歩むことになり、映画は終わる。
カメラマンとなった横道世之介は線路に落ちた人を助けるために韓国人留学生と一緒に線路に降りて亡くなってしまうのだ。
映画だとわかっていながら、でも横道世之介はいる、と思いながら映画を見ていた。この映画のラストでそれは確信に変わった。
横道世之介はやっぱりいたのだ。2001年のあの日、新大久保駅のホームに続くあの階段の向こうに世之介はいたのだ。僕の人生の中に世之介はちゃんと存在していた。あの日僕があと数分仕事を早く終わらせて駅についていたら、映画のラストも変わっていたのかな、などいろいろ考えてしまう。
この映画を観るといつも胸が苦しくなる。
そんな話。

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