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高知ひろめ市場 誕生秘話 5

高知ひろめ市場 誕生秘話-5
会長との話し合いが始まりました。

まず私から「現在の商店街はリスクを恐れ、現状がどんなに厳しく、苦しくても失敗や金を失う事ばかり頭が回り次のチャンスをつかめない事など・・・だから、この計画に街は大賛成でも、個人的な資金協力は出来ないなど・・」話すと、中谷会長は「わかりました。建物は大旺建設が建てます。1階の市場は岩目さんに計画通りしていただき、更に管理費として1階店舗家賃の30%を支払う・・?」と凄い提案が出され驚きました。

中谷会長も計算が強く、建物を2階建てにし、駐車台数を約1.5倍の230台にして大旺建設直営で行う事でこの事業収支を計算していました。(流石!)
話し合いは終わり夢のようで何度も自分の頬をつねった事でした。

街に戻り早速理事に報告!・・でも心配事も頭をよぎりました。さっき話した事を会長以外に確認出来ない事、万一会長の気が変わりこの話しが終るかも?と心配になり確約に近い何かいい方法が無いか?と考えいると、また私の頭にひらめきました。

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1998/3/26 ひろめ市場新聞記事
この驚きの情報をメディアに流す事を考えたのです。しかもテレビでは証拠として残らないので、新聞に載せてもらう事にし、知り合いの記者に報告。そして2日後にトップ記事として発表されたのです。

ところがこの記事には帯屋町2丁目が巨大市場を作る内容はあるものの、資金的バックアップする大旺建設の名前が何処にも無い事に気づき、慌てて記者を再度呼び!大旺建設の中谷会長に対しての取材の依頼をお願いしたのです。そして後日、大きく、

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1998/4/6 ひろめ市場新聞記事

『大旺建設が巨大市場計画に後押し』

と書かれ、完全にこの計画が実現できる準備が揃ったのです。

新聞発表は効果てき面でした。高知県下に情報が流れ、たちまち帯屋町2丁目は話題の中心になり、ひんぱんにテレビ・新聞各社の取材依頼が殺到。そして一躍「時の人」に私はなり街の救世主として扱われだしたのです。
ところがこの事が逆にプレシャーになっていくのです。ただ大旺建設の久保課長は大変でした、会社内部にはこの話は「寝耳に水」突然新聞でこの計画を知り、しかも大旺建設が自社で建築する?事情説明に苦労したと聞きました。でも私としてはこの記事が担保になったことは間違いなかったのです。

そして前回記載したメンバーが動く事になるのです。
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