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新しい時代の利害調整

コモンズの悲劇

 コモンズの悲劇という言葉がある。たとえば放牧地において、所有権のない共同管理している場所「コモンズ(入会地)」は、牛を放牧する主体が何組のなかで、ひとりの牧場主だけが生産性向上のために牛を多く飼えば不平等になり、われこそはと競争がはじまることによって放牧地としての資源が枯渇する状態をいう。また、その結果最後まで生き延びた主体が、結果的にすべての資源を独占してしまうことも、コモンズの悲劇という。

SUPと牛。利根川河川敷で放牧されている。本文とはあまり関係ないが

 都市は、コモンズの悲劇がおこらないように、線引きし、他者との利害が発生しないようにできている。線引きはオーバーラップすることはほとんどなく、完全に区分けされて権利化している。

都市は明確な権利の分配によって生まれている

 この権利を高度化させてきたのが、都市ともいえる。いろんな権利があるが、例えば所有権という線引きがあることによって、財産の持続性が担保され、その担保価値によって投資価値がうまれ、将来価値に対して投資がおこなわれたことで、現在の街並みがうまれた。都市は、権利構造が明確である。法務局に行けば一通りの権利関係がわかるようになっていることは、この国の財産である。

公図。必ずしも道路と一致しないのが意味がわからないが・・

一方、港湾で事業をおこなう権利である免許や、電波事業や漁業権もその類である。その果実を享受してそれを将来世代にバトンを渡し続けてきたのが今日の文明である。

伊勢湾の漁業権区分。海が自由であるというのは幻想である
(伊勢湾環境データベースより)

 この線引き確定には長い闘争の歴史があったことももちろん付け加えておく。いまなお、新規埋め立てのたびに、権利確定の協議はある。そのあたり、港湾行政の方々や、漁業者のご苦労はいかばかりか想像することしかできない。

境界領域にこそ新規事業の芽がある

 ところが、線引きが固着化すればするほど、新しい時代に変化に追従することが難しくなるようで、境界領域を曖昧にすることに注目が集まっている。本来サービスとはユーザーが使いやすいものである方がいいのに、境界が固着化されたなかから生まれるものがユーザビリティからかけ離れていることが明らかになり、一方で、ITや金融や経営の世界はいとも簡単に乗り越えていることをまざまざと見せつけられ、都市という物理ワールドは取り残され、追従するのに必死、という世の中になった。
 あたらしい価値観は権利と権利を飛び越えたところに発生する(かもしれない)ことが明らかになり、イノベーションが重要視されるとともに、権利を管理する管理者の存在感が俄然高まった。そこが今日のパブリックの位置付けだ。

公共性の概念は時代で変わる

 パブリックには管理者が存在する。
河川敷で食べられる食物が植えられないルールができたのは、かつて食糧難だった戦後に日本中の河川敷が農地になってしまって、そのあとの整理に時間がかかったからだ。しぶちかや横浜の五番街や都橋商店街は闇市の営業権を建築物の形にしたことでうまれた。そのころは、復興こそが正義で、公共空間のスチュワードシップはいまとはまったく異なる。時代によって、公共性の概念は変わる。

横浜の都橋商店街。建物は横浜市の所有。かつての荷揚げ施設の上に作られている、戦災復興のシンボルでもある。

 物事がこんなにはっきり境界線がひかれる前の村社会において、共同体管理を必要とするものはたくさんあった。井戸、神社、寺、森、里山、海岸、漁港、牧草地、茅場、漁獲資源、防風林、用水、防火、防災、農地。

 特に、日本において共同体管理の歴史が長いものが、用水である。川から水を取水し、田んぼに引き、必要な時だけ水をとりいれ、必要でないときには水を排水する仕組みが収量をあげた。その果実に人々は群がったが、水資源は有限である。いかに公平に水を分配するかは重要であった。分配の方法をめぐって紛争はすぐにおきていた。用水という土木技術の上には、それをうまく円滑に公平に分配するためのハードとソフトウェアがのっている。これが、日本人が稲作とともに育んできた公共性の概念と深く関係している。
 しかしながら、それは、民主主義的な権利と責任の上ではなく、封建主義を助長してきた。

円筒分水。Wikiコモンズより。

 河川改修は、稲作の収量拡大の必要性からさかんに行われた。ところが、河川改修や用水の整備は莫大な資金が必要で、得られる使用料収入だけでは収益還元しにくい。それを農家が負担することは不可能だったことで、為政者の出番がうまれた。為政者は収量アップが国の財政に大きく依存するので、さかんに収量アップを目指した。そこに利害が一致し、国土に用水が張り巡らされた。為政者がいなければ、収量を拡大することができず、主従の関係が強まった。このあたりは、和辻哲郎の風土論にも通じるところである。

 その、長い歴史上の管理者と使用者の主従の関係を、オープンイノベーションにいきなり変えよう、というのもなかなか厳しいものがあるのは十分わかっている。OSはかなり深いところで、主従関係モードになっている。

それでも、新しい時代を切り開くためには、あたらしい関係性を模索しなければならない。そこが時代の変化についていくことにもがき苦しんでいるぼくらの国の最前線だ。

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