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僕が”勝手にアーバニズム”というFBページをはじめたワケ

勝手にアーバニズムというFacebookページをはじめました。その意図を説明しておこうと思います。

水辺のまちづくりの現場では

全国に行って、コミットが大切です、とか、民間が意思表明をすることで物事が変わるんですって説いてまわっていると、ほんとうにそういう主体が生まれて "勝手に”自走始める。それが本当の意味での僕の会社のコンサルティング業務の官民連携における最大の成果。いままで、そういう関係がなかったところにあたらしくそういう関係をつくりに行くので、行政にも、民間にも少しずつやり方を変えてもらっています。どちらかだけ変わってもうまくいきません。最近は、行政のひとたちの意識がどんどん変わってきていて、それがいままでになかった兆候だと思っています。ミズベリングもそういう行政のひとたちのハートに火をつけてきました。行政のひとたちは、これまでの仕事の仕方とはまったくアプローチのちがうことにチャレンジし、それ自体を楽しんでいて、そういう仕事のアプローチとの出会いそのものが、あらたなチャレンジ領域をつくってきました。
 また、民間の人たちにやる気と勇気とチャンスをつくっている仕事をしている人たちもいます。ハートビートプランの泉さんや広場ニストの山下裕子さんたちがとても得意にしていて、水辺総研でもそういう仕事をしたいと思って各地でやっているのが、今後まちを担ってくれる主体になりそうなひとたちを勇気付けて応援すること。そして、そのあとにつづく「事業化」というハードルもすでに目の前に見えていて、乗り越えられるのを待ち構えている状態です。そのハードルを超えた先に見えている新たなチャンスを生かす人々の登場と、その事業の成功が待ち望まれている、そういう時代に私たちはいまの時点でいるのです。

ところが、一方的な愛がうまくいかない恋愛と一緒で、成立させるためにはどうしても通らなければならないことがあります。そこに、この”勝手にアーバニズム”をはじめた理由があります。

規制緩和は行政の片思い?!

 現在の規制緩和ブーム(都市再生推進法人、エリマネ、BID、河川敷地、ParkPFI、PPPなどなど)は、大規模な開発を行う事業者か、行政側からの発信で進められてきたとおもいます。民間主導というからには、民間に主体的な意思が存在するという前提ですすめられてきていますが、民間が主体的に規制緩和をしてほしいいと勝ち取ったものかと言えば、残念ながらそういうわけではありません。
 そもそも、民間がやりたいことに寄り添うための規制緩和だったはずなのに、行政側のメニューにあわせて民間がやりたいことを決める構図ばかりが目立ちます。いや、ちがうだろ。そもそも自分がつくりたい未来があって、そのために使うメニューのひとつとして国の規制緩和メニューや補助事業をとりいれるのが筋じゃないのか。
 主体的に”これやりたい”、という意思表明、つまり”覚悟”がありさえすれば、ものも、ことも、ひとも集まる時代になろうとしているのに、まだまだ、お上の意向があるんじゃないかと口をあけて待っている人がたくさんいる。

タクティカルアーバニズムへの期待と現状

 タクティカルアーバニズムという言葉が2016年ごろから流通し始めて、パークレットなどが紹介され始めると、これこそがボトムアップ型で実証実験的なまちづくりの手法なんじゃないかと期待した。それからいくつかの自治体で実験的態度のアーバニズムが行われた。画期的なことだった。しかしいかんせん、まだまだオフィシャルな感じが抜けきれない。その状況をつかまえて、自らのまちづくりに生かそうとする経営目線の地元のまちづくりの主体が、そろばんと志でやっているのだろうか?また、そういう本質的な意味でのタクティカルな態度を民間主体に期待するのはm

勝手に書いてみた勝手にアーバニズムの位置づけ。
パブリックマイン度軸と、勝手度軸があって、勝手にやっていてなおかつ、あまりオフィシャルじゃないのからぜんぜんオフィシャルじゃないのまでを勝手にアーバニズムとした。

最初がいちばん難しい

 水辺でも、各地で実験的態度でさまざまな活動が生まれた。新潟のやすらぎ堤のミズベリングは最初の立ち上げ期に鈴木さんがたいへんなご苦労をされ、マーケティングから規制緩和、自分でお店に立っての営業までふくめてすべて担われたことで、社会実験は成功し、規制緩和がさらに進み、スノーピークによる実験へとつながった。


新潟の萬代橋サンセットカフェ。港湾エリアの規制緩和案件として2017-2018は行われていたが、その前は萬代橋の上流側でやっていた。
その後、スノーピークが社会実験実施者として参入。

新潟のやすらぎ堤を推進してきた鈴木寿之さん。スノーピークばかりが注目されているが、彼がいなければそもそも規制緩和されていなかった。

スノーピークが参入したことによって、さらに水辺を楽しむユーザーは増えたかもしれないが、鈴木さんの功績がなければその状況にならなかった。その実験的な試行を買って出てくれる人への社会的な評価がまだまだ足りない。


各地で出会う稀な人々とそれ以外の人、そして危機感

 各地で、タクティカルアーバニズム的な規制緩和と実証実験が行われている。各地の行政で、実験として行ったことは、サンフランシスコのパークレットみたいなものだが、そもそも「路上駐車場って時間占有していいから勝手にいろんなことやっていいよね?!」っていう発想からはじまったサンフランシスコの結果の部分しか真似できていない。(今年元町商店街で行われるパークレットには期待している)

この差を大きく捉えるか、小さく捉えるかは態度の違いかもしれないが、僕はけっこう危機感を感じている。

 このような規制緩和を「機会」「チャンス」と捉えて、自分でもなんかやってみよう、しかもパブリックマインドをもって、という民間側の主体に出会うのが本当に稀だからかもしれない。

昨年度末にやったミズベリングフォーラムで集めたひとたちは、全員そういうひとだったから盛り上がった。でも実際は本当に稀なのである。

 多くの地域で出会う、主体的な態度を取りきれないひとびと。そんなひとたちのそもそも主体的な責任ある活動にブレーキをしているのはなんなのか。

・どうして、自らの意思表明を制限してしまうのか
・どうして、意思表明をしている人を抑制しようとしてしまうのか
・社会規範を勝手に想像して、他人にも押し付けるのはなぜか

このような現象はさまざまな地域で起きている。そもそも、責任ある態度で、権利を主張するのであれば問題はおきにくいが、責任はとらない、権利だけは主張するというのがあまりに多すぎて本当に心配になる。

そういうことによって萎縮して、なにかを表現したいとか、実現してみたいという欲求が失われていくことへの危機感が、この"勝手にアーバニズム”のページをつくった動機である。

日本には奥ゆかしい、配慮深い態度が美徳とされていることもよくわかっている。だけど、民主主義国家であり、社会に対する責任ある態度が、社会を強くし、未来をよりよくするものである以上、コミットメントへの賞賛が当たり前になることを本当に願う。

https://www.facebook.com/katteniurbanizm/

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