小鳥は愛を食らう


「アレックス!」

そう呼ぶと、オックスフォードストリートを歩いていた二人が同時に振り返った。おかしい。僕は一人の名前しか呼んでいないというのに、だ。

「お前は振り返らなくていいんだよエリッサ。僕はアレックスを呼んだんだ」
「なによエドガー、アンタの滑舌が悪いんじゃないの?私の名前に聞こえたわ」
「お前、耳が悪いんじゃないのか?」
「あははは」
「おい、アレックス、笑うな」
「あ。アレックス、これ持って、次は私あのお店みたいの」
「はいはい」

今日はアレックスと二人で人気の映画を観に行く予定だったにもかかわらず、急遽このファッキンお姫様のショッピングにつきあうことになったのは全てアレックスが悪い。こいつが彼女を、エリッサを甘やかしすぎているからだ。僕のイライラを知ってか知らずか、エリッサは手荷物をアレックスに全て預け、鼻歌でも歌いそうな勢いで、本日3つめの店に足を踏み入れていた。

「アレックス、エリッサを甘やかしすぎるなよ。あいつ、日に日に我侭女になってくぞ。尻にしかれすぎるな、あとで後悔するのはお前だぞ」
「何言ってるんだよ。エリッサは最初っから我侭さ」
「お前なかなか言うな」
「知ってて付き合ってるんだから、仕方ないよな」
「惚れた弱み、ってやつか、なんじゃそりゃ」

この二人を見ていると、いつも胸がじくじくする。
きっと最初に恋に落ちたのはアレックスだったんだろう。だからエリッサは、自分がどれだけ我侭を言ってもアレックスが自分を許してくれることを知ってる。知ってて、好き放題やるんだ。どこにでも連れ回すし、どこまでも着いて行く。
なのに、いつからだろう、アレックスの一挙一動に我侭アレクサがわんわん泣くようになったのは。汚い言葉で罵られたわけでもなく、約束をすっぽかされたわけでもない。むしろその反対だ。どろどろに甘やかされているくせに、あいつは泣く。どうしてあいつが泣くのかはわからないし、その時に僕にすがりついてくるのは大迷惑で、心底やめてほしいんだけれど。どうして泣くんだ、って聞いたら、あいつ、なんにも答えやしない。ただ、「アレックスには言わないで」って、僕を睨み上げて、何事もなかったかのように化粧を直す。
そう、二度目に恋に落ちたのはエリッサだったのだ。
アレックスを見ている時のエリッサの横顔は、確かに、きれいだ。
でもそれをアレックスは永遠に見ることができない。

(ああ、これはちょっとしたジレンマだな)

「俺は彼女になにをしてやればいいんだろう、エドガー」
「?」
「エリッサは、小鳥の餌くらいの食事しかしないんだ」

アレックスは、ショッピングに夢中の我儘女をぼんやりと見つめてそう言った。

「………」
「知ってるか?それなのに、トイレに行って、指つっこんで、吐くんだぜ」
「仕方ないだろ。あいつはクソ女だが、モデルだ。1グラムでも太れない職業やってんだから。僕も見たことある」
「見てられない」
「じゃあ見るな」
「そうもいかない」

めんどくさそうに答える僕の肩を、アレックスが小突く。モデルって仕事がどんなもんかは知らないが、それは朝から晩まで、永久に咲く花のことだ。美しい花に咲くなと言っても開花を止めることはできない。だからそれはどうしようもないことだ。

「あの細い足首にはさ、あのこの身体には、なにが詰まってんだろ。なにでできてんだろ、分からないよ、俺には」
「お前はちょっと気にしすぎじゃないのか?あいつはやりたくてやってる。他人が口出すことじゃない。明日あいつが栄養失調で死のうが、それはあいつのせいだ。放っておけ」
「相変わらず口が辛いな」
「僕はお前より優しい人間ではないんでね」
「エドガーは悪くない。俺が気にしすぎなんだ、きっと」
「ああそうさ、そうとも」

すると、エリッサがスカートを翻してこちらに戻ってきた。何を買ったんだか、でっかい紙袋を抱えてご満悦の表情だ。

「お待たせ」
「エリッサ、また随分買ったな、お前」
「じゃあ、どこかで車を拾いましょうか?」
「折角の天気なのに?歩こう。荷物は俺が全部持つよ」
「私足が疲れたわ。実はね、今日のは新しいパンプスなの、小指が痛くって」
「そう。じゃあ車を拾おうか」
「嫌よ、折角の天気だもの。アレックス、おんぶして。次のお店まで」
「エリッサ!お前はほんとバッッカ女だな!」
「バッッカはどっちよ!失礼ね!エドガーは一人で帰ったら!」
「ああ帰るさ!これ以上お前の買い物に付き合うのはうんざりだ!」
「おいで、エリッサ。エドガー、また電話する」
「ああ、待ってるよ!ダーリン!」

エリッサに盛大に舌を出され、僕はファック・ユーのポーズを返す。僕と彼女はいつもこうだ。アレックスを挟んで犬猿の中。きっと永遠に分かり合えない。
エリッサをおぶったアレックスが小さく「ああ、軽いなあ」と呟いた。嵐に震えるか弱い小枝のような声だった。エリッサがうふふと笑った。
ミニ・スカートから突きでた花の茎のように細い太腿が視線の端に入ったが、気にせず僕は振り切ってずんずんと歩いた。
あいつは馬鹿だ。
愛を与え続けたって、彼女の肉にはなりやしないのに、彼女がいつか肥えると、ずっと信じて無心に与え続けるだなんて、馬鹿だ。

(ああ)

ほらまただ、胸がじくじくする。
僕が何を言ったって無駄だ。ただ、見ていることしかできない。
どちらも欲しくてたまらないくせに、
必死で手を伸ばしているくせに、
ポーカーフェイスを気取る僕は馬鹿だ。
懐から取りだしたタバコに火をつける。
溜息のかわりにふう、と吐いた煙は、ゆっくりと空へのぼっていった。




end.

#創作小説 #小説

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