僕のウクレレデイズ・第1話 【ウクレレとの出会い 〜ギタリスト・佐橋佳幸がキューピット】

 1991年の春。僕は東京・芝浦の「スマイルガレージ」というレコーディングスタジオにいた。平成元年の1989年、シンガー・ソングライターとして日本コロムビアからに鳴り物入りでデビューした僕は、アレンジャーにギタリストの佐橋佳幸を迎えて、5枚目のシングル「Be With Me」をレコーディングしていた。まだ経済がバブルをベースに動いていて、一枚のシングルを作るのに軽く数百万の予算が使われていた頃である。スマイルガレージスタジオは、海沿いの倉庫の上階にあった。
 
 出入口のドアを開けると海が見えた。見えたのは、ハワイのような青い海ではなく、クレーンを積んだ台船や、外国航路の貨物船が忙しく行き交う、鉛色の海だったが。

 当時、芝浦あたりの工業地帯を広告代理店が「ウォーター・フロント」と呼び始め、バーやライブハウスを作るのが流行っていた。1986年、芝浦にはその象徴とも言えるライブハウス「インクスティック芝浦ファクトリー」がオープン、湾岸ブームの火付け役となった。わずか3年でこの施設は閉鎖されたが、このエリアにはまだまだバブリーなムードが色濃く残っていた。

 佐橋佳幸は僕と二つしか年が違わないが、彼はすでに超売れっ子のスタジオミュージシャンだった。この年の初めに放送されたフジテレビのいわゆるトレンディドラマ「東京ラブストーリー」の主題歌として大ヒットした小田和正の「ラブ・ストーリーは突然に」、そのイントロにおける強烈なカッティング・ギターは佐橋によるもので、彼のセッション・ギタリストとしての評価を決定的なものにしていた。そして佐橋は2年後に、チェッカーズを解散した藤井フミヤのソロ・デビューシングル「TRUE LOVE」の編曲を手がけ、音楽業界で「重鎮」的なポジションを得ることになる。

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