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「アカツキの空」に出てくる三年奉公について

    明治になるまで、五島には三年奉公という制度がありました。それを題材に漫画を描いたのですが、誤解を招かないためにも、説明が必要だと感じ、これを書いています。

    三年奉公は、Wikipediaによりますと、

第7代藩主・盛道は宝暦11年(1761年)、「三年奉公制」と呼ばれる藩政史上最大の悪制を開始した。これは領民の長女を除く娘が16歳に達すると福江の武家へ3年間無給で奉公に出されるといういわば奴隷制度に近いものであった。3年の奉公の後、里に帰り結婚するのであるが、離婚すると再度、3年間奉公に出された。米5石または銀300匁を藩に差し出せば免除されるという抜け道もあったが、相当に裕福な領民でなければ捻出できる額ではなく、殆どの領民は奉公に出された。「人付け改め」とともにこの制度は幕末まで続いた。
嘉永2年(1849年)、幕府より築城の許可を富江藩主・五島盛貫が受領し、第10代藩主・五島盛成が着工した。文久3年(1863年)、第11代五島藩主・盛徳によって、日本で最も新しい城として石田城が竣工した。            Wikipediaより引用

    ネットを調べると他の情報も幾つか見つかります。「15歳から」とか「色々と質素倹約やお役人のリストラをして頑張ったけど、財政事情がにっちもさっちも行かなくなりおこなった」とか「農民側からは口べらし的要素もあった」とか「性的搾取もあっただろう」とかです。「孤島物語」という小説がありオムニバス形式で離島の様々なエピソードが書かれているのですが、その一つに“三年奉公”という章があります。読んだことはないですが。

    また、どこかの大学教授が出していた論文には、当時、農民たちが三年奉公について歌っていたという歌があって、その内容は「日が昇る前から深夜まで働かされて、家中(奉公)は辛い、二度と戻りたくない」といった内容でした。「アカツキの空」の主人公シンが涙ながらに大人たちに話す内容は、その歌と通じます。

    ちなみに、写真の丘のような山は鬼岳という福江のシンボル的山なのですが、日本最後の城である石田城を作る時に木が伐採され、今の姿になったそうです(五島歴史資料館のスタッフに聞いた話)。主人公が「15年も城作りに駆り出されて…」と言っていたくだりにも関係してきます。


    私が知る限り、三年奉公制がどのように終わったのかという情報はなく、明治初期の太政官による改革の中で廃止となったのだろうと思います。恐らく、歯を食いしばって耐えていた農民たちは その知らせを聞いてホッとした というだけで、“おかしか”と言って立ち上がった少年はいなかったと思います。ですが、そんな話を想像すると楽しいですよね。

    私は学者でも何でもないので、歴史的考証をすると間違いなく ぼろが沢山でます。日本昔話的に楽しんでいただけると嬉しいです。

                                        磐田 リョウ








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