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続・岩崎航の航海日誌(1)心配なく眠れる。本当に楽になりました

 
 私は筋肉が正常に作れず壊れていく難病「筋ジストロフィー」を抱えながら生きています。今は常に人工呼吸器を使い、食事は胃瘻からの経管栄養で行って命を支えています。ほぼ全身が動かないので生活のすべてに介助を得ながら、自宅で両親と暮らしています。

 自分がどのように生きたいのかを考え、そして、これまで一部介助を担っていた両親の老いと持病悪化を前にして、昨年40歳を迎えたのを機に、地域での自立生活・ひとり暮らしを実現しようと動きはじめました。

 私は側に介助者がいなければ生きることができません。

 両親がもう介助できなければ、終日24時間のヘルパー介助の体制をつくり、暮らしを立てなければなりません。そこで昨年9月、居住地の仙台市に介護支給の申請をしました。当初、介護の必要性が理解されず、不十分な対応を受けましたが、諦めずに交渉を行った結果、希望通りの支援が受けられることになりました。

(それまでの過程は、ヨミドクター連載『筋ジストロフィーの詩人 岩崎航の航海日誌』のコラムに詳しいのでお読みください)


 今年の3月末に、仙台市から障害福祉サービス受給者証が届きました。

「重度訪問介護799.5時間/月(2人介護可)」の記載があり、終日24時間の介護支給です。この時間数が4月1日から適用されます。

 通常、受給者証は郵送で送られてきますが、申請を出してから支給決定に至るまで長い紆余曲折もあったためか、市と区の担当職員が訪問して届けていただきました。

 職員とは支給決定後、初めての面会です。

 すでに適切な対応をいただいたので、過去の経緯は問いませんが、私が市の初期対応を批判したコラムも読まれていると聞いていたので、率直に感想を伺うと、「支給決定に至るまで長い月日が経って苦しい思いをさせてしまい申し訳なかった」と言葉をいただきました。

 これからも、地域での自立した生活を望み、生きるために必要な介護支給を申請する障害者がいると思います。「今回の私と家族のように困難な辛い思いをする人が出ないようにお願いします」と思いを伝えると、体温の感じられる真摯な言葉で尽力を約束してくれました。そして「望まれる暮らしを作っていってくださいね」とエールをいただきました。

 職員からの温かな言葉を聞いて、「言っても何も変わらない」と諦めなくてよかったと心から思いました。

“ 行政職員も協働者。最後は和やかな懇談になりました ”

 難病や障害と付き合いながら生きるためには、医療や介護の支援者だけでなく、障害者福祉の行政の担当者たちとも関わることになります。言わば行政も自立生活を実現するための協働者です。

 今回のケースがきっかけで、重度の障害者が介助を得て地域で安心して暮らしていける環境が一歩でもよい方向に変わっていくことを、市民の一人として期待したいと思います。

◇自立に向けて、介助の担い手を増やしていく

 終日24時間の重度訪問介護支給が決まり、自立生活の実現に向けて大きな一歩前進です。

 次に越えなくてはならない関門は、実際に介助を担うヘルパーの確保です。

 それは生活の全てに介助が必要な私にとって、生きている限り終わりのない仕事のようなものかもしれません。

 これまで2つの介護事業所から日中の9時~18時にヘルパー介助を受けてきました。24時間体制をつくるには、さらに18時~翌朝9時までをお願いするため、依頼できる事業所を増やさなければカバーは困難です。

 介助の担い手が増えることは、私の生活の安定度を高めることにつながります。相談支援の及川さんの働きにより、先月までに2社、新たに介助を担っていただける介護事業所が加わりました。事業所の尽力もあり、5月初めの時点で毎曜日ほぼ24時間をカバーできる見込みです。あと一息ですべての時間が埋まります。

 私の介助に入るには、先輩ヘルパーに同行する形での研修を十分に行ってからになります。

 ひとくちに障害者の介助といっても、一人一人異なる身体の状況を抱えています。同じ病気や障害でも状態はそれぞれ。日常生活における細部には、習慣や価値観の違いも反映されるため、その人に合わせた介助が求められます。

 障害者の介護制度が本人の生活状況を「個別具体的に」見て支援すると決めているのも、そこに着目しなければ確実な支援ができないからです。

 私の場合は拘縮(注…関節周りの筋肉が固く動きが制限された状態)が強いために、動かせる範囲を越えてしまうと、すぐに痛めてしまいます。

 生活に支障が出ないように、医療的なケアも、体の動かし方を含めて生活上のケアもしっかり覚えたヘルパーの介助があって、はじめて私の暮らしが成り立ちます。

 3月から、新しく加わる担当ヘルパーの研修が始まっています。

“ 何度も、細かい介助の仕方を丁寧に教えます ”

 今までの研修は1人ずつ行ってきました。しかし、健康を悪化させている両親に、これ以上の無理を続けさせることはできません。そこで複数のヘルパーに同時に研修を進めていくことにしました。初めてのスタイルですが、一日も早く24時間ヘルパー介助に移行させるために乗り切らなくてはなりません。

 これまでに6人が独り立ちして、一部夜勤が入るようになりました。

 あわせて4社の事業所の協力を得ながら、5月中には全員の研修を完了させて、介助体制を軌道に乗せることを目標に取り組んでいます。

◇今までできなかったことがたくさんできる

 自宅で夜間早朝にヘルパー介助が入るのは、はじめてのことです。

 私も慣れるまでは、気配が気になって眠りにくいかもしれないと思っていましたが、初日からぐっすり眠れました。年老いた両親に辛い思いをさせなくてもよいことで、精神的に楽になったと感じます。

 4月中旬、相談員の及川さんが訪問してくれたとき、「夜、起こされず心配なく眠れるので本当に楽になりました」と、両親がしみじみと話す安らいだ様子を見て、自立生活に向けて行動を起こして本当によかったと思いました。

 介助を頼み、頼まれることが相手に痛みを強いるのと同じという状況を忍耐するのは大変に辛いものです。長年にわたり介護のために片時も側を離れられない状況は、お互いにどこかの時点で限界がきます。

 家族にも家族の人生があります。自分を生きていく時間があります。

 私が介助を得て自立していくことで、私自身も、家族も、それぞれに、今までできなかったことがたくさんできるようになると思います。

 両親が私の介助のことを気にせず、泊まりがけで温泉旅行できるようになる日も近い。そう思うと嬉しくなります。

 もっと早く動き出せばよかった面もあったと思います。けれど、私と家族にとっての最適の時が「今」だった。そう思って、これからを生きたいと思います。


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