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令和元年台風19号

10月12日,13日に関東や東北地方に甚大な被害をもたらした台風19号が来た。
自分の住む町にも甚大な被害をもたらした憎き台風19号について語りたい。


10月12日、被災。

10月11日、台風が来るというので会社が休みになった。朝、雨がポツポツと降っていたが、近くのスーパーへ買い出しに行った。品物はまだまだ豊富で、カップ麺やパックのご飯を買った。パンは全て品切れになっていた。
父親が海外に行っていることもあり、自宅には自分一人と猫二匹だけであった。
昼の12時、パスタを茹でて食べる。雨が少し強くなってきて風も吹いてきた。台風の雲がとうとうかかってきたのかと思う。NHKのニュースでは台風ニュースをずっとやっている。まだ上陸はしていない。
15時、だいぶ雨風が強くなってきたが、雨脚は夏の夕立レベルであった。南関東や群馬長野には大雨特別警報が出た。大雨特別警報は経験としては2回目であった(前は関東東北豪雨)。今回の台風は雨台風なのだと察し、一応避難の準備を始めた。飲料水と食料を車に積み、モバイルバッテリーを充電、スマホとタブレットも充電し、懐中電灯を手元に用意した。猫にも餌を与えた。
18時、昼寝をしてしまい起床。エリアメールで叩き起こされた。どうやら家から数キロ離れた河川が氾濫危険水位に達したとのこと。まだ大丈夫、と正常性バイアスが発動し夕食を取る。チャーハンの素があったのでチャーハンを作って食べる。
21時50分、停電。流石にまずいと思い、外に出ようとすると、玄関に水が入ってきた。

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身の回りにある財布、スマホ、バッテリー、懐中電灯を手に取り車へ急ぐ。
車を高台へ避難させるためだ。
既に車庫は20cmほど浸水していたがなんとか車を発進させ、近くにあるスーパーの駐車場へ逃した。

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ここのスーパーの駐車場は周りより高くなっており、前回の水害でも被害がなかった。
急に水位が増してきて、これで避難所に行くのは危険と判断。徒歩で家に帰宅。道路は股下まで洪水になっており、非常に歩き辛いものであった。
塀や金網に捕まりながらなんとか家に帰宅。

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バイクはもうダメっぽいね。エンジンは3分の2くらい浸かってた。

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家に入ると床上まで浸水していた。自分の部屋はもう壊滅していた。
PCはギリギリセーフ。テーブルの上に乗せておいて助かった。
PC以外は全てパーになった。冷蔵庫、一眼レフの防湿庫(一眼レフも水没)がダメになっているのは暗いながらわかった。もう諦めた。
この日は親の住む母屋に行き、2階で寝た。


10月13日。これが現実。

全然眠れなかった。2時間も寝ていなかったと思う。
近くのスーパーへ車を取りに行くと自衛隊が朝5時だというのにもう集合していた。どうやらこの先冠水していてまだ通れないとのこと。消防も警察もいた。
まだブレーカーを落としているので、朝食はカップ麺。運良く断水はしていなかった。カセットコンロで湯を沸かして食べる。ああ、美味しい。
一段落して家の周りを見て回る。日が昇ってきたので、まだ分からなかった部分が分かるようになった。酷い有様だった。

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父のエブリイワゴンは完全に水没。

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ヴィヴィオRX-Rは室内まで泥水が。

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部屋と廊下は泥だらけ。畳は全て処分することになる。

別居している母から連絡があった。父が海外に行っていることを伝えると片付けの手伝いをするとのこと。
結婚し、埼玉で生活している妹からもお見舞いの連絡があり、清掃用具やマスクや食料を送ってくれるとのこと。ありがたい。
他にも仲の良いバイク友達がわざわざ片付けの手伝いに来てくれて本当に助かった。
その日中にほとんどの畳を出すことができた。

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仏間と客間。客間の掘りごたつ跡には水が溜まっている。後で吸い出す。

会社の上司から電話がかかってくる。「明日会社に来られそうか。」と。
こんな状況なので無理です。休みます。と言うと、「3日くらい?」と言うので「3日じゃ復帰不可能です!しばらく休みます!」とキレ気味に言った。何もわかってない馬鹿は困る。見に来い。(結局様子を見に来ることはなかった)

10月14日。重機パワー炸裂。

この日はひたすら畳を表に出す。父が帰宅し、伯父が手伝いに来てくれた。当日、父の勤務先でクレーン車と2トンダンプを貸してくれることになったので借りた。
この日は自宅だけでなく、家の近所の畳を全て出すことに。

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前日に出した畳(14枚)を一気に積む。

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2トンダンプと4トンユニック車満載で市の災害ゴミ仮置場に行った。

10月15日。ご近所さんと協力してガレキ撤去。

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ご近所の月極駐車場がどこからか流れてきた瓦礫に覆われていたので、この日はその瓦礫撤去作業が中心。2トンダンプ2台でゴミ捨て場にピストン輸送。6人ほどで作業をし、半日で片付いた。

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市の災害ゴミ置き場はすごいことになっていた。分別をきっちりしていたので、捨てやすくてよかった。

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車を停める場所が少ないのでお互い譲り合いの精神で捨てる。中には自分勝手な人間もいるが、市の職員が拡声器で「譲り合って捨ててください!」と言うので皆従っていた。栃木県民はお上に弱いので結構従うのである。そういう県民性。

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家に帰って、自室の片付けを開始。やっと手がつけられるのだが、数日放置していたので異臭が漂っている。マスクをして作業。畳を早く上げなかったから畳からの異臭がすごい。我慢して作業。
泥だらけ、泥水に浸かったコード類(全て廃棄)、PC本体は避難させておいて無事だったが、ACアダプタは全滅。
今回の災害でわかったことは、外付けの電源は水に浸かると壊れるが、コードだけのものは洗浄すれば使える。電源内蔵のデスクトップPCはこの時は有利である。
防湿庫に入っていた一眼レフカメラも水没。残念だが仕方がない。また買えば良い。

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夜までかかってしまったが、とりあえず畳や家具を片付けられるまでになった。この日は終了。


10月16日。ボランティアラガーマン参上。

この日は裏の人のコネで地元高校のラグビー部の面々がボランティアとして手伝いにきてくれた。なんと裏の人、NECのラグビー部を優勝に導いた監督だったのだ。そのツテでラガーマンが十数人も来てくれたのだ。
中には高校日本代表の選手も…。なんとありがたいことか。
そのおかげで家具類が一気に片付いた。畳も10畳分がたった10分で運び出されて、自室が30分もしないうちにきれいになった。パワーと人海戦術こそが最強なのだ。

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ロフトベッド以外全て片付いた。ロフトベッドは猫が寝る場所として確保してあるので、しばらくはこのままである。

近所の家の家具類もほとんど片付いてしまった。さすがチームワーク抜群のラグビー部である。感謝してもしきれない。

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家の前が片付いたのでバイクを外に出して、バイク屋さんを呼んでドナドナされていきました。

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バイク屋さん曰く、保険会社からレッカー代を貰うみたいなので結構儲かるみたい。確か1台1万円と言っていたような。保険会社を通してレッカー依頼をバイク屋にしてもらうとこういうお金が入る。面白いカラクリね。

市の災害ゴミ仮置場の営業時間が9時から16時ともあり、今日は終了。ラガーマンは帰っていった。本当にありがとう。

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10月17日以降のこともありますが、今回はここまで。
また書きます。

追記

今回の被害は、自宅2棟床上浸水(半壊認定)、自動車2台水没、バイク4台水没、エアコン(室外機)3台水没、冷蔵庫2台、洗濯機1台、エコキュート1台などが水没し、被害総額は約250万円ほどになった。ありがたいことに自動車は車両保険に入っており、全損扱いで170万円がおりた。家財保険は2棟で400万円、火災保険は2棟で700万円とそのままの金額が銀行に振り込まれたので、非常に助かった。みなさんも火災保険や家財保険は得しかないので、是非加入してみよう。

スペシャルサンクス

救援物資を送ってくれた人(敬称略)
脳筋(片付けも手伝いに来てくれた)
まきくり
ろりあき
007
nwoyoshi
massu
北斎
spider
ゆっけ
irabu
調整豆乳
みんな本当にありがとう。缶詰は冷蔵庫がない時に非常に助かった。このナイスガイたちに良いことがありますよう。

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