「電車、読書、試着室」を結びつけた学生時代 【 文学・記すこと 】
♦ 話のきっかけ
専門学校の非常勤講師をしていると、高校生向けの「オープンキャンパス」での講演を依頼されることがあります。私の場合には、大きく2つのテーマが多いです。
① 税理士とは?目指すには?専門学校をどう思うか?
② 大学と専門学校の違いは?
①はそのままですが、②について。
例えば、先日のオープンキャンパスで用いたスライドの一部。
まあ、これは完全に根拠なく、「私の主観」です。
また、「大学」のモデルは私の出身大学(いわゆるマンモス校)、「専門学校」は当然、オープンキャンパスを実施している当校です。大学でも少数制であったり、専門学校でも様々なスタイルがありますので一概には言えないと、断りを入れています。
このテーマで依頼を受けた際、私は言いました。
「当専門学校の良さは、心から実感しています。ただ、私は専門学校の良さも知ったうえで、やはり【私は大学進学派 】です。だから、フラットに話すことはできますが、専門学校を贔屓には話せません。」
すると運営担当の先生が
「もちろんそれでいいんです。オープンキャンパスは本校を知ってもらう場であり、高校生の皆さんに将来を考えてもらう場。こちらも、明確な目標、意志をもって入学してほしいので、大学を勧めてもらって全く構いません!」
素晴らしい!
というわけで、気持ちよく好き勝手に話させて頂きました。
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♦ 表題のコト
オープンキャンパスのため、大学時代を振り返っていたら、ふと、ある授業を思い出しました。
確か「言語表象論」というテーマで高橋世織教授の授業です。
高橋先生は、当時、私の在籍していた政治経済学部では有名な先生。なぜ、有名かって、もう15年も前なので、話しますと、・・単位が取りやすい優しい先生として学生に人気でした。
私もきっかけは、そんな話を先輩から聞いた事と、当時、夜間の社会科学部の友人と下校することが日常的で、この科目は遅い時間だったので都合がいいな。そんな志が低すぎる理由でした。(・・こういうとこは本当に学生時代の私に喝をいれて、やり直したいところですね 笑)
しかし、受講してみたら、衝撃を受けるほど面白かった。
政治経済学部ですが、この先生の授業は「文学」です。(あ、もちろん政治経済でも白木教授の労働経済とか社会政策とか、他の教授でも財政学とか・・いろいろ印象に残っている授業はあります。政治経済が嫌いで文学が楽しかった、というわけではないです!)
この授業を受けてから、一時期、文学に目覚め、図書館に通って、小説や詩集を読んだり、映画を見るためにレンタルショップにも通ったり。明らかに生活が変わりました。
当時、期末試験がレポートで、確か
「日常にある現実を、何かに例えて自由に書きなさい」
みたいなテーマでした。
私は何を書いたかについては、今でもよく覚えています。
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テーマ:「 読書を電車内ですることは、カーテンのない試着室と同じくらい落ち着かない 」
・・もう、先生に認めてほしくて背伸びしまくりですね。
しかも「文学に大学デビュー」して、短期間で詰め込んだために、今で言えば、悪い意味で意識高い系な発想・・。
内容は、こんな感じ。
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読書とは書き手の空間に入り込むこと。自分が素の状態となり、感情移入し浸ること。本来は人に見られたくない表情をしているはず。
でも、電車内では、結構小説を読んでいる人がいる。それは、電車に乗っている他人は、あなたに「無関心というカーテン」をしているので、羞恥心なく成り立つ。でもカーテンの開けるか閉めるかは相手の権限。もし関心を持たれ、カーテンを開かれた状態で、ストーリーに浸かっているとしたら、それはカーテン全開の試着室で着替えられるほど、太い神経の持ち主だろう。
もっとも、英字の小説などを読み、他人に注目されることを目的としてポーズをとっている人もまた、試着室で敢えてカーテンをせず、体をアピールしたい人に等しい。これをされては、周りはいい気がしないことに気づくべきだ。
また、電車は移動費という支払いをしても、「場」は共有のもの。自分のものではないし、時間も移動時間の中で有限。そんな次の人が待っている試着室のような忙しない空間で、本の世界に浸かるのはもったいない。
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ふう。。
今書いていても、なんとも粗削りな理論だし、青いな〜、よく提出したな〜と思います。みなさんも「田舎から上京して1年足らずの19の男の子が書いた文章として」読んでくださいね 笑。
(・・私も普通に電車内で読書しますし)
しかし、なんと。先生からは最も良い評価を頂きました。
まぁ、単位が取りやすい先生と噂されていましたからみんな高評価だったのかもしれません。なんだこれ、と思いながらも、自分の世界に浸っている青い学生に「温情」で評価してくれたのかもしれません。
でも、当時はとっても嬉しかったです。
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♦ まとめ(記すこと)
なぜ、こんな思い出話をしたかというと、ここ数年、文学から「とことん」遠ざかっています。読む本も結局、新書や専門書になり。たまにテレビでやっている映画をみると、すごい感動します。で、ネットでレビューとか興味本位で見てみると、・・星2つとかで酷評されていたりします。ええ、そうなの??
・・それだけ、文学的な思考力が鈍っているんでしょう。
読書と試着室なんて発想、我ながらよく思いついたな、と思います。
私のダメだったことは、その文学へのブームが、先生の授業が終わってから、徐々に薄らぎ、ある程度、定着する前に離れていってしまったこと。
結局、脳を日々使っていく。継続していくことが、才能どうこうではなく、大切なんだなと思いました。
また、noteのように記していくこと。
たくさん読んだ文学作品の記憶は薄らぐのに対し、辛うじて、先ほど紹介したレポートの内容を覚えていた理由。
明らかに「記したから」です。
当時、青い心で、自分自身の「思う日常」を頑張って記した。だから、15年経った今も、「電車、読書、試着室」の粗いレポートを覚えているのだと思います。
今、私の読書は、「文学」ではなく、「税務」や「経営」に力を注いでいます。読むインプットだけでなく、記す、発信するアウトプット。
いつかまた文学に目覚める日のためにも、今度は今学んでいる知識を、自分自身に定着した強固な知識にしておきたいな。と、思います。
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