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ベストセラーから読み解く平成30年!「シドニー・シェルダン『血族』から読み解く平成三年」

 狂気の独裁者ヒトラーはユダヤ人を蛇蝎の如く嫌っていた。ユダヤ人こそが諸悪の根源であると妄想していたヒトラーは、全てのユダヤ人を抹殺してしまおうと企み、大量殺戮を実行した。ホロコーストである。だが、ヒトラーの反ユダヤ主義は、彼の独創の産物ではなかった。シェークスピアの『ヴェニスの商人』に見られるように、ヨーロッパでは古来より偏見にもとづく反ユダヤ的感情が存在していたのである。
 数々のベストセラーを執筆したシドニー・シェルダンの『血族』は、ポーランドの小さなゲットーと呼ばれるユダヤ人居住区に住む男の末裔たちの物語だ。男の名はサミエル・ロッフ。ゲットーから飛び出すのが夢だった。医師を目指し粉骨砕身し、ついに独学で病を治す「血清」を作り上げた。薬は飛ぶようにうれ、たちまちサミエルは裕福になる。自分の子供たちが二十一歳になると次々と外国に向かわせた。長男にはアメリカ、次男にはドイツという具合に、フランス、イギリス、イタリアへと移住させ、その地で製薬会社を作らせた。一代にして巨大なロッフ・ファミリーによる「帝国」を築き上げたのだ。
 サミエルは会社の経営に対して一つの哲学を持っていた。株が他人渡ることを極度に警戒し、ロッフ家のみで経営していくという方針を曲げなかったのである。
「共同経営という考えが好きになれないね。うちの仕事なんだから、他人に首を突っ込まれたくないんだよ」(上巻223)
一族による株の持ち合いというサミエルの掟は、代々引き継がれることになった。
サミエルの曽孫、サム・ロッフは社長として辣腕を振るっていたが、登山中に事故に遭い、あっけなく死んでしまう。サム・ロッフの死が物語の発端である。
 独、仏、英、伊。それぞれロッフ家の末裔が支社長を務めていたが、彼らの多くには同じような悩みがあった。それは自分自身の資産の大半を占めるロッフ家の株式を売買出来ないことだ。世間からは資産家のように思われていたが、実際に自由に使える金が少なかった。
 —株式の売買さえ出来れば。
 サミエルの遺した掟が彼らの手を縛ってしまった。
 突然の父の死に呆然としていた一人娘エリザベスは、父が遺したアタッシュケースから、一通の報告書を発見する。「極秘」文書だった。文書に目を通したエリザベスは驚愕する。世界中の様々な場所で起こるロッフ社の事故、不祥事、大損害は、偶然によるものではなく、会社の最高幹部の中の裏切り者によって惹起された出来事に他ならないことが記されていたのである。
 報告書の最後のページには見覚えのある父の文字で次のように記されていた。
「株を公開させるための汚い圧力だ。裏切り者を罠にかけろ」。
 こうしてエリザベスの孤独な闘いが始まる。一族の中に存在する裏切り者を探し出すための闘いだ。
 一連の事件を担当することになった敏腕刑事オルニュングは考えていた。会社が他人に乗っ取られることを警戒し、家族経営を守るべくロッフ社憲章なる掟を作り上げたサミエルには先見の明があったのは確かだ。しかし、その一方でこのロッフ社憲章という掟こそが犯罪の源ではないのか。
「数億ドルの財産を相続させておきながら、株主一人の反対でもあれば一ドルも使えないというのだから、憲章自体が犯罪を内包していると言えなくもない」(下巻 194)
 かねてより尊重されてきた掟が、一族を犯罪へと巻き込んでいく。
 平成三年の日本は、戦後、一言一句に到るまで変更されることのなかった鉄の掟に苦しむことになる。憲法九条の問題である。
 平成二年の八月二日、独裁者サダム・フセインの命によってイラク軍がクウェートに侵攻。サダムの野望に対して如何に国際社会が如何に対決するのかが問われていた。サダムは米ソ冷戦が終結し、力の空白地帯が生まれたと判断し、クウェート侵攻を決断した。こうした問題を放置すれば、世界秩序は乱れ、軍事力による併合が平然と行われる混乱状態が生じてしまう可能性が否定できなかった。
 サダムがアメリカの軍事介入がないと信じた一つの理由は、アメリカのイラク駐在大使エイプリル・グラスピの不用意な発言だった。平成二年七月二十五日、サダムと会った際、イラクとクウェートの争いに関してアメリカは「格別の見解は持たない」とグラスピは発言したのだ。「格別の見解を持たない」ということは、この問題に関してアメリカが不介入を決め込むのではないかとサダムが判断してもおかしくはない。
 イラク軍のクウェート侵攻直後、「砂漠の楯」作戦が展開されるが、到底「楯」とは言い難い貧弱な部隊しか米軍は展開できなかった。米軍が世界最強であることは疑いようのない事実だが、その戦力は世界中で拡散しており、戦力を中東に展開するまでには時間がかかったのである。仮に、サダムがクウェート侵攻直後に、サウジアラビアにまで侵攻する電撃作戦を展開した場合、米軍は揚陸拠点を失うことになったかもしれない。
 クウェート問題は些末な問題ではなかった。我が国の原油の七割を供給する中東情勢は累卵の危うきにあったのである。
八月一四日、電話でブッシュ大統領が海部総理に呼び掛けた。
 
「こんどの事態は、第二次大戦以来の国際政治の分水嶺だ。日本も、われわれの共通の利益を守るということに完全にコミットしているというシグナルを送ることが、いま世界にとって重要だ。そういう意味で、日本が掃海艇や給油艦を出してもらえば、デモンストレーションになる。日本が米国に完全にコミットしていることを世界に強く知らせることが大事だ。ソ連でさえ、海軍による貢献を示唆している」

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