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刑務所に入る前のまだ学生だった頃からの話。

「自分が刑務所に15年入ることになった事件について話しました。」

https://note.mu/iwazakifuusui/n/n0340c7fdf313

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こちらのnoteからの続きです。

18年前の絶望と,今朝の対比。

18年前の今日、

「今日は死ぬにはもってこいの日」

と思った。

今朝起きたときも、死んでもいいと思えた。

「今日は死ぬのにもってこいの日。」

ナンシー・ウッド (著)  金関寿夫(訳)

恋人を失ってから何度も唱えていた、この本に書かれていた言葉。

「今日は死ぬのにもってこいの日だ。

生きているものすべてが、私と呼吸を合わせている。

すべての声が、わたしの中で合唱している。

 すべての美が、わたしの目の中で休もうとしてやって来た。  

あらゆる悪い考えは、わたしから立ち去っていった。

今日は死ぬのにもってこいの日だ。

わたしの土地は、わたしを静かに取り巻いている。

わたしの畑は、もう耕されることはない。

わたしの家は、笑い声に満ちている。

子どもたちは、うちに帰ってきた。

そう、今日は死ぬのにもってこいの日だ。」

前回のnoteを読んだ人たちから、温かい言葉をたくさん頂いた。

ここには、私の犯罪歴を一部ぼかして書いた。

ぼかしたのは、未だ私には守りたい家族がいるから。

「自己のしたことを正直に話す。」

ことと、

「話した結果に責任を持つ。」

という原則のせめぎ合いの末の文章だった。

私は、まだ守りたいものがあり、守るために嘘をつく部分があると思う。

過去の私は、

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