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ゆっくり歩く瞑想法



去年の春のワークショップでも行った、ゆっくり歩く瞑想法。
この瞑想法の目的は、全身への気づき。
体のあらゆる部位をのんびりと歩き回るように注意を向けてみる。良いとか悪いとか正しいとか間違ってるとかの判断を下さずに、いつもより一つ一つをゆっくりと、どの部分を感じられるかをただ意識しよう。
最初は体の部位をうまく感じられないと思う。
骨盤や脚のような大きい部位でさえ感じられないことに驚くかもしれない。
実際に感じられる身体の部位の中、おそらく最初に気づきやすいのは不快な部分や痛みがある部位だろう。うずきやけいれんも感じるかもしれない。そうした不快感はより深い身体感覚への入り口となりうる。その不快感をしばらく味わい、体験した時何が起きるかに気を向ける。
次に筋肉の張りに注意を向ける。それに対して何かをしようとせず、ただその張りに注意を向ける。張りを緩めたくなるかもしれないが、それよりもただ張りをそのままにして、自然に変化していく様子についていく。
次は、身体の外殻にあたる肌の感覚に気づいてみる。体を全体として感じられることができるだろうか、首や肩に対して頭がどこにあるかを感じられるだろうか。
胸は感じられるだろうか。腕は感じられるだろうか。
呼吸はどのように感じられるだろうか。呼吸は充分に楽に入るだろうか、胸や喉やお腹で止まるだろうか、肋骨が呼吸とともに広がったり収縮したりするのを感じられるだろうか。骨盤が動くのを感じるだろうか。
これを、歩きながら行う。歩くことに気が向き過ぎないように、極力ゆっくりと動作をする。
体の気付きのスキルは時間をかけて徐々に培っていく必要がある。あまりにも早く深く物事を体験すると、圧倒されてさらなる抑圧や解離につながる恐れがある。
ほとんどの場合、私達は実際の直接的な体験を「考え」や「頭の中にある映像」に肩代わりさせる。
そうした偽物の感覚に気づけるようになるまで、肌の下にある自身の体感覚に波長を合わせるのは困難だと思う。
まずその体感覚が存在することを知らなければ、それが欠けていることに気が付かない。この体の直接的な体験は、徐々にしか始められない。毎日行って数カ月、あるいは数年。体の部位がどこにあるかは知識として知っているかもしれないが、実際にそれらの部位を感覚として感じることには時間がかかる。
多くのアスリートにとってさえも、それは難しいことだと思う。脚や体の他の部分が自由で無理なく自然に機能するようになるためにはその部分にどんな澱や不快感がこびりついているのかに気がつく必要がある。
また、もう1つ罪とゲシュで行ったエクササイズを紹介する。
まず初めに身体を脱力して膝を少し曲げて立つ。そして、振動が起こるまま、身体の感覚にまかせなる。静かに立ち、振動がやって来るのを感じるようにする。そして体が少し震え出したらそれに委ねる。
体の組成分の9割以上が水分で出来ていることをイメージする。流動体に、液体になり、溶けて流れるように。(つづく)

今日は誕生日でもないけど、巣鴨のマルジで母に赤いパンツを買ったよ。


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