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年始、石巻 日和山公園に行った話

石巻駅から歩いて20分ほど、山を登った先に日和山公園がある。高台なので、遠く水平線まで見渡せる見晴らしの良い公園。古くは、松尾芭蕉が訪れ句を詠んだと言われているらしいが、詳しくは知らない。東北を観光していると、本当に至る所に、松尾芭蕉の句碑があり、「松尾芭蕉、句詠みすぎだろ」という気持ちになっていたので、詳しくは調べなかった。ともかく、年始に日和山公園に行った。目で見てみたかった。2011年3月11日、俺は福岡の高校生で球技大会をしていた。

駅から公園まで歩いて行く途中に、復興まちづくり情報交流館という施設があり、館長リチャードさんと話した。外国の人だったので、驚いたが、93年から石巻専修大で講師をしていたって。

彼が言うには、日和山公園がある日和山の奥、海と公園の間の地域が一番津波の被害を受けた地域だと言う。そこには新たに家を建てるわけには行かず、復興祈念公園ができる予定だと。8年経って、まだ「予定」なのかと驚きつつ、山を登ることにした。

公園から、海の方を見下ろすとポカーンと空いた土地が広がっていた。手前には、沢山の墓地。右奥には、テレビでよく報道されていた「がんばろう石巻」の看板がある。震災の時は、沢山の人がこの公園に避難して登ってきたという。俺が行った時期は、新年明けてすぐだったこともあり、多くの人が公園に来ていた。色んな人が高台から、ポカーンと空いた場所を指差しながら、あれやこれや言っていた。

遠くからだと、分からないことが沢山なので、山から海側に降りて、実際に歩いてみることにした。

「更地」って言葉は悲しい。

俺が生まれた街にも色んな「更地」がある。でも、俺はそれがただの「更地」じゃないことを知っている。かつては、でっかい本屋があったこと、アーケードがあったことを知っている。

石巻の海側の歩いた地域は、「石巻市南浜地区」と言うらしい。石巻に初めて来た俺からすると、この土地は「更地」に見えた。遠くに、クレーンが5台ほど作業しており、何人かの作業員がいたが、その向こうには海が見えた。スコーンと遠くの海が見渡せるほどに何もなかった。日和山公園には、震災以前の写真が貼ってある。それをみる限り、ここには沢山の家があり、沢山の生活があったはず。ってこと考えながら、とっても綺麗に舗装された道路を歩いていると何とも言えない気持ちになった。やるせないって言えばいいんだろうか。

日和山公園には、金兵衛茶屋って店がある。戦隊ヒーローのお面が沢山売ってて、だんごが中で食べれるお店。正月以外もそうなのかは知らないけど、えらい昔ながらのお店があるなと、帰りに入って団子を食べラムネを飲んだ。

夏!みたいな写真が撮れてしまった。大失敗。

日和山公園を歩いていて思ったのは、すれ違う人みんなが笑ってるってことだ。そして、高台から指差してあれやこれや言ってる人も、みんな笑っていた。これを「意外だ」と思ってしまう、自分が悲しかった。自分にとっての、石巻に対してのイメージが「震災」で埋め尽くされてるから、これを「意外だ」と思う。そんなことはない、自分の住んでる街と同じ街だ。歩いて初めて分かった。

震災ってすげえ触れにくい。言葉がなかなか出てこない。でも、俺が石巻に行きたかった理由は純粋に「知りたかった」からだ。俺は、起こったことを、一つの言葉に押し込めないことが大切だと思う。「悲しみ」「復興の光」「安全」「安全じゃない」みたいな一つの言葉、パッと聞いただけで何か分かった気になるけど、本当のことは何一つ分かってない。俺も、一回行っただけで、ズルズル歩き回っただけで、何も分かってない。でも、分かってないことを分かることが大事だと思った。

石巻に行ってから、2ヶ月が経った。この写真は全部、2ヶ月前に撮ったもんだし、今は全然違う光景が広がってるかもしれない。もしくは、大して変わらないかもしれない。分からない。分からないから、また行こうと思う。

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