『アメリカン・アニマルズ』と通り魔の心境

『アメリカン・アニマルズ』という映画を観た。
ストーリーとしてはすげえしょうもなくて、アメリカのごくごく平凡な大学生4人が時価1200万ドルの画集を盗みに行くまでと、盗んでからを描いた映画なんだけど、驚くべきはそれが実話だということ。
だから、『トレインスポッティング』みたいに4人の若者の荒くれた青春像を期待していた俺としては面食らったわけだ。ほとんどドキュメンタリーじゃんこれって。実話かよって。

で、この映画の肝が、4人の大学生が驚愕の犯罪を企てるまでの心境の変化を丁寧に描いてるってことなんだけど。犯罪としてはどちゃくそ重いことをやってる訳です。だって、時価1200万ドルって日本円にしたらおいくら億円?ってなもんで。すげえ重いことを企てる割に、動機がしょうもない。「おんなじ事しか起きない日常に彩りが欲しい」みたいな、あらゆる大学生が思ってるんじゃないかみたいな動機から犯行がスタートする。芸術家志望のスペンサーって学生が4人の中にいるんだけど、彼なんか、芸術家たるものこんなありふれた日常を歩んでていいのか、みたいな、ある種真面目な動機から、ならクソたっけえ画集盗んじゃえばいいんじゃね?みたいな感情の変遷を辿って、犯行に及ぶ。

観て思ったのが、あ、この感情抱いた事あるな。ってこと。大学生でいるうちって誰からも認められないし、でも反面認められない自分が嫌だったり、好きだったり。インスタグラム開いたら同じくらいの歳のモデルがクソ活躍してたりして、俺って何者なのかな、って何度も考えて自暴自棄になったり。そんな中、俺はたまたまバンドっていう自己表現のやり方を見つけたからいいけど、見つけられなかったらそういう犯罪に至ってしまう気持ちすげえ分かる。ハロウィンの渋谷の映像観ながら、俺だってトラックひっくり返したいよって思ったもん。

あらゆる世間が言う「悪いこと」には、理由がある。この頃で言うと、バイトテロの動画。あんなんも、目立ちたいってストレートな衝動が引き起こしてるものだと『俺は』思うけど、反面目立ちたいって思わせる「社会」がある。目立ったことするとすぐ釘刺されて、SNSも毎日誰かが炎上してて、あたかも「お前もみんなとおんなじように普通に生きろよ」って言われてるような社会で青春過ごしてて、まともにいられる方が逆におかしいのかもしれない。トラックひっくり返してる奴が正常で、ひっくり返してない俺たちが間違ってるのかもしれない。

登戸駅で通り魔があって、そりゃあもうすげえ悲しい気持ちになった。子どもは宝だ。絶対に守らなきゃいけない。でも、どうも犯人の人格を攻撃するような意見ばっかりな気がする。「あの人はああいう生まれで、こういう育ち方をしていて、そりゃあああいう犯罪するよね」みたいな。「死ぬなら一人で死んでくれ」なんてこと言ってる人も見て、俺は尚更悲しくなった。そうじゃないだろうよ。憎しみが憎しみ生んでどうすんだよ。

俺は、人を殺したいと思ったこともないし、死にたいと思ったこともない。でも、トラックひっくり返したいと思ったことなら幾らでもある。大事なのは、自分の中のそういう気持ちと向き合うことなんじゃないだろうか。バイトテロしてる人を攻撃することなら簡単だ。人殺しを否定することも簡単。でも、必要なのは攻撃じゃない。自分だってそうしないとは限らない、じゃあ何でそうしたくなるのかっていう想像力が必要だと思う。

俺はどこまでいっても、人を愛したい。
当たり前のように目の前にある「社会」を完全否定してでも。

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