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2023/09/14 歩くことがただ歩くことで

朝、自宅のあたりは土砂降りで持っていきたくない折りたたみ傘で新幹線に乗り、博多、空港と順に踏んでゆく。
リュックのファスナーに近いところは軒並み雨が染み込んでいて、財布の中のカード類はビショビショ、かつやの割引券は夜まで濡れたままだった。

空港で土産にしようと明太子屋が開くのを待っているとこれから東京出張だというせみちゃんに声をかけられ、こちらはこれから台湾に行くというのは何かそれだけで自慢しているようでちゃんと羨ましがってくれてとても楽しい。

国際線の乗り場から眺める滑走路は普段、反対側の国内線から見るのとは全く景色が違い、遠くの篠栗あたりの山に絶え間無く雲が漂っているのを見ているともう見知らぬ土地にいる気分になる。

桃園空港に降りた時の匂い、街の匂い、他人のことをいちいち気にしないありがたみは歩けば歩くほど体に喜びとなって湧き出てくる。
これだこれだ。

そういえばMRTで見かけた楽天イーグルスではなく楽天モンキーズの赤いキャップを被ったおじいさんの佇まいは、懐かしさと不穏さとその存在に立ち入れないものを感じてとても台湾だった。
どこに行っても居場所のない私は、こうやってハッキリと立ち入れない人たちがいる土地にいた方が快適だ。

ホテルにチェックインしてBeyond Galleryで川俣御大の画力を堪能し、ご飯をご馳走様になり、今回もアテンド役を担ってくれたさいちゃんと夜のコーヒー屋でお互いのことを話す。
余計なことに気をつかわない、本当にシンプルな一人旅はずいぶん久しぶりな気がして、心地良い。
だけれども過去の旅の感じ方とは全く違う感覚で、どこまでも日常を歩いている感じがするのは何やら頼もしい。

今回はいつぞやの旅の反省からちゃんとお供になる本を持参した。
吉田健一の「酒肴酒」で、自分でもまだ読み終わってなかったのかともうこの見慣れた表紙と一緒なのが不思議な気持ちだけど、今回の旅にずいぶんぴったり来るからしょうがない。

 旅に出ていると、食事をするのも、その通り、食事をすることになり、これは家にいる時でもそうであるはずであり、また、多少ともそうでなければやり切れないが、家にいれば食事の最中に現金書留が届いたり、そのあとですぐ仕事をしなければならなかったりする。
(中略)
 そしてそれは勿論、少しもいいことではない。旅をしている時だけ、普通並に人間らしい生活をするのでは、いずれはやって行けなくなる。つまりは生活の問題になるらしくて、それが自分が住んでいる場所になければ、これをどうにかして取り戻す他ない。

「人間らしい生活」と題された短いエッセイが、旅の途上によく染み渡る反面、翻って私はずいぶん人間度を上げることが出来ているなあと思えるのは何度も同じ街に繰り返し旅することの効能だろうか。
歩くことがただ歩くことであり、改札をくぐる、荷物をおろす、ビーフンを食べる、作品を見るということがそれ以外の何物でもないということはたぶん集中力のなせる技だと思うが、実は日常的にできないことでこれはとても幸せなことでもある。
文章が長ったらしくなっているのは、一日吉田の文章に浸ったせいと、旅の高揚感なのは間違いない。

そう言えば晩餐のメンバーが皆一様に今晩は早く帰らないといけないと言っていた。
今日は台湾で、一月の間開きっぱなしだった地獄の門が閉じる日なので、百鬼夜行のごとく幽界の存在が夜道をそぞろ歩き深夜はそれらに出くわすと言う。

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