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<カムヒビキ>に見るカタカムナ文化    【直観物理と相似象 その 10】


カタカムナ文化の内容を示す資料

 楢崎皐月氏は、相似象学会誌「相似象」第3号の中で、カタカムナ文化の内容を示す現行の資料を大別すると、次の三種類となることを記しています。

 カタカムナノウタヒ

 第一は、<カタカムナノウタヒ>と呼ばれるもので、楢崎皐月氏が、先の世界大戦の終戦直後、1949年に兵庫県六甲山系金鳥山、俗称狐塚付近において、平十字氏所蔵の巻物から写し取った、「カタカムナ図象文字」による80首の歌として伝えられるものです。楢崎氏は、それ以前に満州の吉林において、老子教、蘆有三老子より、日本の古代には、高度の文明を持つ「噫仁八(アシヤ)族」が先住し、八鏡文字を使っていた、という、老子教の古伝を明かされていたので、このカタカムナ文字がその八鏡文字ではないか? という直観と、純粋の好奇心から、解読を志したものです。解読に全力を注いだ結果、その内容の重大さに驚き、これを最大の根拠として、その価値を高く評価し、信憑性を主張しています。ただし、その時代考証や、物的証拠については検証は行われていないため、正当な歴史的文献であるとは一般には受け入れられてはいないのが現状です。しかし、楢崎氏は、カタカムナ文化の何よりの物的証拠として確信的なのは、私達の現代「日本語」そのものと、「カタカナ文字」であると主張しています。
 楢崎氏が解読し、内容を吟味した結果、このカタカムナ文献は、従来の国学や神道研究による古事記日本書紀の解釈とは、まったく趣の異なるものであり、個々の単語には同じものがあっても、古代神秘思想的な臭いは全くなく、しかも、現代科学とは別体系の、高度な物理に基づいた哲科学が展開されていたことがわかったのです。
 カタカムナの図象文字や、カムヒビキによって伝えられた、日本最古の五・七調のウタは、その後の万葉のウタ、謡曲、和歌・俳句へも発展した源流であり、真に、「日本の文化」をアリノママに示す、古代日本人のココロのヒビキに他ならぬものであったのです。また、単に日本民族の起源どころか、「人間の文化」の「原点」に迫り得るものでもある事を確信したのでした。そして、今日まで謎に隠されていた、日本史上での「天皇家」の立場や、モロモロの古文書の、正当な価値付けを可能とするものでもあったのです。

カタカムナノウタヒ 第一首
「カタカムナ ヒビキ マノスベシ アシアトウアン
ウツシマツル カタカムナ ウタヒ」(楢崎皐月自筆)
「相似象」第9号より

 カムヒビキ

 第二は、<カムヒビキ>によって伝えられるものであり、ほとんど、漢字に当てて意訳、または音訳されているものです。
 <カムヒビキ>とは、日本の上古代(縄文時代以前、今から約1万2000年以上前)に、国土に先住していた「カタカムナ人」によって、アマハヤミを利用して感得された、高度のサトリのことです。本稿を含むマガジン「カタカムナ人の直観物理と相似象」シリーズの、これから数回にわたる課題は、この<カムヒビキ>による、カタカムナ人の直観物理についてであり、「相似象」第4号の記述に即して、<カムヒビキ>の側面から、直観物理を詳細に検討して行く予定です。
 <カムヒビキ>は「カタチに見えないモノを、ヒビキを以ってサトル」ことであり、その内容は、現在の科学常識には抗するものが多いのですが、現代の、科学、技術の在り方に疑問を抱き、人類の歩みに反省の念を持つ人々にとっては、大きな示唆をもたらし、現代人の考え方を根底から揺さぶるインパクトを持っています。

 カムナガラノミチ

 第三は、<カムナガラノミチ>によって伝えられたものです。神道では「神ながらの道」となっていて、「天照大神の設立された道」の意味に解釈されています。その中では、古事記にも記されるアメノミナカヌシ、タカミムスビノカミ、カミムスビノカミは、造化三神という扱いになっています。しかし、これは後代になってから直観物理のサトリの真意が失われ、タカミ、カムミ、ムスビ、カミ、ミナカヌシ等の言葉の本来の意味が、まったく解らなくなってしまった後に、神秘思想による神道が形成されたことを物語っています。
 <カムナガラノミチ>の内容は、アマの本質論に深く立ち入ったもので、特に実践の哲学として重要なものを含んでいると観じます。これについても、後ほど扱う予定です。

あらためて、<カムヒビキ>について

 カタカムナの48の音を示す声音符が決められた発想の元は、カタカムナ人が体覚によって感受した、宇宙天然のヒビキを、人間の発生できる近似の音に写したところにありました。
 すべてモノが動けば音を発します
 特に、地球や太陽のような天体が旋転したり循環したりして宇宙を運行すれば、すさまじい音響を発しているに違いありません。
 宇宙には、無数の星雲、星団、恒星系があり、それらを動かしている力は、真空中とはいえども巨大なものであり、渦巻いて刻々に変動し、その影響があたりに伝搬します。
 それは人間の五感に感受されなくとも、鋭い体覚があれば、その気配を感受できないはずはありません。
 人間以外の生物は、そのような体覚によって生存を保っているのです。カタカムナ人は、そのような音ならぬ音を、<ヒビキ>として感受し、声音符として残した
のであり、先に人間の意思があってそれを音に当てはめた、というようなものではありません。
 「私たちの使う日本語の一音一音には、その基底に、それぞれの思念がある。」というのはその意味なのです。

 さて、<カムヒビキ>とは、カムのヒビキ、すなわち「カタチに見えないものを、ヒビキにてサトル」ことであり、カタカムナ人がアマハヤミを利用して得た高度のサトリのことを言います。
 現代物理学は、有名なマイケルソン=モレーの実験に基づく、光速度不変の原理を掲げ、「光速よりも速いものは存在しない」ことを前提にしていますが、核科学に関する実験の際に、原子炉内に、超光速粒子「タキオン」が捉えられました。タキオンは、中性子や陽子とも異なる、「奇妙さ量」の多い微粒子で、追試は困難と言われています。この奇妙さ量(ストレンジネス)は、最近の科学が取り上げ、その素性はさておいても、存在が認められている物理量です。
 アマハヤミとは、カタカムナ人が、生物体覚とも言うべき、鋭敏な直観によって、聴覚的に体覚した、言わば最も奇妙さの多い、超光速の(と言ってもタキオンという物質粒子とは異なるのですが)、無限高速粒子のことを言います。 

 アマは宇宙空間に存在し、超光速で引力のような力を伝えています。
 そのアマを媒介に伝達するアマハヤミが、天然自然の「美的成り立ちや美的機能構造」をもたらす様相を、音声による音響効果、あるいはものの形に託して表現されたものが、カタカムナ人のウタヒや三種の神器(ヤタノカガミ、フトマニノツルギ、マガタマ)等なのですが、その他の残された文献の総ても含めて、古い和語では、これを<カムヒビキ>と総称しています。

 上古代以降の後代人は、上古代人(カタカムナ人)のような生体の鋭い感覚を失ってしまったために、<カムヒビキ>の内容は高度過ぎ、理解できぬものとなってしまい、古事記に漢字記載する時には、意味の分からぬものとなってしまったようです。
 このような<カムヒビキ>も、内容が理解できさえすれば、日本人の深層意識にはカタカムナ人のサトリが秘められているし、現代は思考的に理解できるだけの科学識があるので、本能的に共感できるものが大いにあります。
 これが外国人から見た日本人の「奇妙さ」の所以だ。と楢崎氏は書いています。外国人には、この日本人の深層意識は、なかなか理解できないものとなってしまっているということです。

 先程述べたタキオンについてですが、タキオンは衝突に際しエネルギーのやり取りがなく「反物質」に属するものではないかと言われ、その質量を計算すると虚数になるという、物理学的言っても大変「奇妙な」粒子なのです。
 この性質は後にストレンジ・クォークが原因であることがわかり、素粒子の持つ一つの性質であるとされ、現代物理学においては、素粒子内のストレンジ・クォークの数をストレンジネス(奇妙さ量)として、計測できる量として定義されました。
 このように、すでに現代科学の中にも、現代科学的思考の範疇では、説明のつかない現象もあるといった矛盾が孕まれつつあり、見える世界の、<現象のみに偏る古い世界観を改めなければ、科学も混迷時代を迎えるようになってしまっていることが感じられます。

 それに対して、カタカムナ人は、現代人は持っていない鋭い体覚によって、潜象(カム)の「アマ始元量」を感受し、その物性を把握していたことは、これまでの投稿にて何度にもわたり、記して来ています。
 カムヒビキは、日本の上古代から続く文献であるにも拘らず、電磁氣現象や、時間空間量の本質は何かという問題をはじめ、生命の起源、天体の発生、精神現象といった、現代科学ではまだナゾの多い事項についても、現代科学をはるかに凌駕した広大なスケールをもって、大局から高度の判断を伝えていて、これを参考にすれば、現代理学にも新たな認識が吹き込まれ、それを基軸とした大いなる発展を遂げる可能性を秘めています。

 天然自然には「美」の意識はないのですが、その成すワザである花鳥風月に「美」を感じ出したところに、人類の文化や人間的心情の芽生えがあります。どうして自然が「美的」なハタラキをするのかを解明しようとする度合も、その民族の文化のレベルに関連すると言えるでしょう。
 日常生活においても、天然自然の美に感応し共鳴するまでに内容が充実したのが真の文化であろう、と考えられます。
 科学におきましても、天然自然の美的機構を充分に解明できるものであるべきであるのではないでしょうか。

 画家が対象を見据えてキャンバスを置くときに、最も良いと感じる場所というものは、最も電子(マイナス・イオン)の密度が高い場所であるといいます。これは「美感電圧」の物理に一致し、最も心地よい感覚が「美」と感じられるのでしょう。
 そこでの創作には、カタカムナの直観物理によれば、高い電圧で、あるアマココロの参与(アマウツシ)があり、創造的なヒラメキを感じる機会が多くなるのである、と言われています。

 家を建てるにも、ものを置くにも、最も安定した、落ち着きを得る場所・方角があるのです。そのような場所やそこにあるものは美を感じさせる、美的機能構造を持つのです。

 カタカムナ人は当然ながら、自分たちの持つ体覚(カン)により、イヤシロチ・ケガレチを知っていました。
 後代人にとってはその感覚は退化し、殆どの人は感じることが出来なくなってしまいました。しかし、体覚は劣化したと言えども、まだその感覚を残している者も存在するので、そのような人々によって、「風水」と呼ばれる、誰もが好ましい方角を選択できるような、実践可能な方法論が学問としてつくられました。これによって、後代の人々は、統計的方法によって方位の選択が可能となりました。しかし、それで得られるのはあくまでも学問としての智識であって、体感によって得られたものではないのです。
 また、現代科学では、客観性を重要視し、このような目に見えない、主観的な美の感覚については、考察の範疇に含んでいないため、マトモに取り組もうとしていませんが、直観物理に学び、体感の鋭さを鍛え、もっと広い見識を持って、見えない世界の現象についても、好奇心を以て積極的に取り込むように態度を改め、根本からの理論構築をして行くべきではないでしょうか。

 人間が天然自然の美に惹かれて、知らず知らず自らを高める結果になるのは、その美に感応して自らを「起励」し、自ら振動が高まり、天然自然のヒビキに感応し得るまでに高調した時に、天然自然の美の根源を自らカイマミルのです。
 そのように希求するものは、人間の最も純粋な知性の発動であり、どんなに強い物質や名声や知識等の要求よりも高度なものです。美の根源を知るとは、宇宙の森羅万象、私たちの生命を生むモトを知ることになるからです。
 その根源が私たちの魂の故郷とも言うべき「アマの始元量」なのです。

 美の感覚の洗練の度合いの根拠をどこに求めればよいかと言えば、結局はアマの密度量、すなわち「奇妙さ量」の多寡に関連する、と楢崎皐月は書いています。芸術的創造は、人間側の能力だけで真の「美」が得られるのではなく、といって、そこに神秘思想を持ち込む必要もありません。アマ始元量の存在を直観した、カタカムナ人のサトリによって、始めて、美の発動する根拠を知ることが出来るのです。

 先程にも述べているように、科学においてもほんの僅かではあるが、「奇妙さ量」が認められつつあります。しかし、奇妙さ量の次元にとどまっているのであれば、神や仏や創造主と言った次元と変わりなく、科学が神秘を受け入れるということになり、それは科学者としては、はばかられることです。しかし、カタカムナ人も「奇妙さ量」について触れているという訳ではありません。上古代人の紛れもない素直な体覚から「アマの始元量」を観じている訳なので、それは彼らにとっては、五感と同様に紛れもない事実であり、奇妙でも何でもないのです。おそらくこの体覚は、現代人においては退化してしまった松果体の働きによると考えられます。重要なのは、彼らのそのような松果体による真なる体覚を経験した言葉に、謙虚に目を向けるべきだ、ということではないのでしょうか? ともかくどれだけ科学が「奇妙さ量」を認めたとしても、カタカムナ人の体感した「アマの始元量」を認めない限り、現在の科学常識では、到底真相に行き着くことはできないことになってしまいます。

 真理は、単に科学上のものだけでなく、人間の精神の問題についても同じく真理ですから、哲人の中には、「アマの始元量」の存在を体験的に直観して、「真理」に到達した人々も存在し、その境地は「悟り」とか、「正覚」とか言われています。しかし、それは個人の体験に限られていますから、客観性しか認めない科学であれば、今の段階では、ガンコに真理を見る目を自ら閉ざすことになります。そして、ますます混迷の域に入り込んでしまうのは避けられないことになります。
 今日の科学は、闇雲に偶然を期待したマグレ当りの研究を行う、といった時代錯誤のものではないはずです。
 一人の科学者が一生をかけて一つのテーマを追求するには、単なる思い付きに任せるのではなく、その奥に、科学者自身の哲学があり、基本方針があるのでなければ、真に価値のある研究は生まれないでしょう。
 最も大事なのは、研究者としての「本質」「方向」を見抜く「カン」の鋭さです。松果体の本来の機能は、洞察力を飛躍的高めることだと言われています。

 エジソンは、電球を発明するまでに、世の中にある数千種類のありとあらゆる物質をフィラメントとして使えるかどうかの実験をして試そうとしたと言い伝えられています。このエジソンの意欲と根気と努力には敬意を表するしかないのですが、そのようなエジソンを見て、天才科学者であるニコラ・テスラは、「彼には一貫した哲学が欠けている。私なら、数十分の一の時間で同じ発明をすることが出来る。」と冷ややかに言ったといいます。

 実際、テスラの発明は、高度のアマウツシを受けたのではないかと思われる、常人では考えられないようなものばかりです。現在私達が使用している交流電氣の基礎理論的な考えもテスラのひらめきから始まったものです。あるいは、その後の彼の思考は既存法敷居は全くとらわれない斬新なものであり、例えば、電線を使わずに、地上と空中を通じて縦波電波により大電力を移送する方法等、現代の科学者をしても未だ手の届かない、フリー・エネルギーに関連したものが数多くあります。

ニコラ・テスラ(1856-1943)

ニコラ・テスラの名言
What one man calls God, another calls the laws of physics.
ある者が「神」と呼ぶものを、他の者は「物理法則」と呼ぶ。

I don’t care that they stole my idea . . I care that they don’t have any of their own.
わたしのアイデアを盗まれても気にしない。わたしが気になるのは、彼らが自分自身のアイデアを一つも持っていないということだ。

If your hate could be turned into electricity, it would light up the whole world.
あなたの憎しみを電気に変えたら、世界中を明るくできるだろう。

ニコラ・テスラの生涯
氏名 ニコラ・テスラ     英語名 Nikola Tesla
生年月日 1856年7月10日   没年月日 1943年1月7日
享年 86(歳)        国籍 アメリカ
出生地 オーストリア帝国(現在のクロアチア)のスミリャン
職業 電気工学者、発明家

 1856年7月10日、ニコラ・テスラは、オーストリア帝国(現在のクロアチア西部のスミリャン)に生まれる。
 父はセルビア正教会の司祭。母は泡立て器などの調理器具類の発明をするような人物であった。
 二コラは5歳のときに兄を乗馬事故で失う。ニコラ以上の神童と呼ばれた兄を上回るため、ニコラは勉学に励み、特に数学で飛び抜けた成績を収める。
 1875年、19歳のニコラ・テスラはグラーツ工科大学に入学。そこでテスラは交流電流の可能性に魅せられる。その後、父が死去したことからグラーツ工科大学を中退。
1881年、24歳のテスラはハンガリーの国営電信局に就職。同時に交流電流方式の探究も続けた。
翌年、テスラはフランス・パリへ移動し、ゼネラル・エレクトリック社のフランス法人で技師の職を得る。テスラはモーターの開発も続け、1882年に誘導モーターの開発に成功。
しかし、ヨーロッパでは誘導モーターに興味を抱く人物に巡り会えず、テスラは1884年にアメリカへ渡った。
1884年、28歳のテスラは発明王トーマス・エジソン(1847~1931)のエジソン電灯会社に就職。しかし、同社は直流による電力事業を展開しており、交流による電力事業を提案するテスラはエジソンと対立して翌年に退職。
1887年4月、独立したテスラはテスラ電灯社を設立し、交流による電力事業を推進。同年10月に交流システムの特許を出願する。
1888年、31歳のテスラはアメリカ電子工学会でこれまでの成果を発表し、世界的な注目を集めるようになる。
1893年、シカゴ万博やナイアガラの滝での発電事業に交流電流が採用されたことをきっかけに、世界中が交流へと大きくシフトしていくことになる。
1915年、テスラはエジソンとともにノーベル物理学賞受賞候補となったという噂が流れるが共に受賞しなかった。
1943年1月7日、ニコラ・テスラはニューヨークで死去、86年の生涯を閉じた。

WEBページ「癒しツアー」より引用

 ただし、こう言った天才科学者のサトリは前述の聖者や哲人と同じで、本人一代限りであり、それを理解して研究を引き継げる後継者がいないのが現状です。
 楢崎皐月もそのような科学者の一人でありましたが、幸いなことに彼の場合には「相似象」なる学会誌に膨大なる資料を残してくれました。そこには、発明された品という、試行錯誤の結果のみが残っているのではなく、楢崎氏の独特な哲学に基づいた、モノの観方の根本的な考え方が示されています。そのおかげで、私たちは、カタカムナ文献という貴重な資料を紐解くことができ、直観物理による科学哲学の神髄に触れることができるのです。

 現代科学において抜けている論点は、「本質は何か」という部分です。
電氣の本質、磁氣の本質、原子・素粒子の本質、光・熱・力・電磁波・時空・重力等々として科学が抱えているものの本質は何なのでしょうか?
心とは、精神現象とは、美とは、善とは等々の本質的質問に答えが出せていないのではないでしょうか。

 また、生物と無生物の区分についても、明確な説明が付いているとは言えません。

 楢崎氏は、「科学がもう少し進歩して、様々な分野において、奇妙さ量に行き当たって一旦は混迷に陥り、それを解決するために、別な観点からの思考の方向を探るようになり、それらの経験を繋いで行けるようになれば、<アマ>の始元量に到達することでしょう」、と言っています。

 それは、現代人であれども、思考によって追い詰められ、八方塞の極限状態になった時に、アマウツシを受け取り、カンが閃いて解決方法を得ることが出来るということなのです。それは、地球上の生物が過去に発生した地球の厳しい環境変化を乗り越えて「生存」を果たすために、環境に適応するように身体的な「変容」を果たして来たことに通じるものと考えられます。それが自然の成り行きというものであれば、いずれはそこに到達せざるを得なくなるのでしょう。
 カタカムナ人は、もっと大きなスケールで、「直観」によって<アマ>を感受し、大掴みに全体を達観してから、「相似象」として、宇宙大のものから微視的なものに至るまでのものの物理(コトワリ)を知(サト)っていたのでした。

 今は、現代科学にとっても試練の時期なのであり、科学が本質究明を放棄し、末端の事象の解明に終始している限り、そこには限界があることを感じざるを得ません。

 科学が全体にはアンバランスで、専門家と呼ばれる人たちの集団になると、専門外の者が正しい知識を得たいと思っても、結局不完全なものを押し付けてくることになり、私たちはアイマイのまま、それをウノミにしなくてはならなくなる、という現状が続いています。

 現代人は、真空中には「ナンニモない」と教えられて育った結果、<アマの始元量>については発想できなくなってしまっているのですが、カタカムナ人の直観は「そこにはナニカがある」と考えたのでした。
 しかし、直観力の退化衰弱した現代人には、それをスナホに受け入れることは非常に難しくなってしまっているのです。

 直観物理では、例えば「電氣(イカツ)」についても、サヌキ・アワという男女の正反の電氣性として捉え、宇宙大から素粒子に至るまでの現象を「相似象」として一貫してその本質を把握しているために、その説明の趣旨は明快でスジミチが通り、誰にとってもその道筋はスンナリと吞み込めるのです。この根幹がはっきりと意識されれば、個々の研究や技術においては、必要に応じて短時間で習得することができるはずです。しかも、無駄や間違いが入り込むスキマがありません。また、一生懸命努力して覚えたり身に着けたものが、根底から覆される、という事はなくなるはずです。
 しかし、科学が全体的にアンバランスな今の状況では、それぞれ専門家が立てこもり、部外者を寄せ付けなくなり、部外者にとっては、例えば現代の学校教育のように、学生にとって「電氣は難しい!」という印象や、「真空中には何もない!」と言った間違った認識を植え付けてしまうようなツミは深いものになります。

 また、いかに鋭い直観が大事だと言っても、科学に素人の思想家の思い付きでは、一般人の信頼は得られても、それでは不十分であり、当然なことに、鋭い直観に加えて高度な科学の伴う「勘考」も必要となります。そうでなければ、高度の「科学識」の批判に耐えることはできません。直観と科学識の両者のバランスも非常に大事だということになります。

<カムナガラノミチ>について(簡単に)

<カムナガラノミチ>については、また、機会を新たに扱っていく予定ですので、ここでは簡単に、必要事項を列記します。

カムナガラノミチ
<カミ>は神ではなく、「起元」とか「源」の意味である。
<カム>は、カタチのナイ(目に見えぬ)の意であり、潜象の「基礎物理量」であるアマ(始元量)の発生源を意味する。
<ム>はムナシイの「ム」であり、「無」「亡」「欠」の意。
<カ>は「形」を意味する音。
<カムナガラ>は、「目には見えぬ存在であるけれども」という概念の表明。
<ミチ>は「実(ミ)として持(チ)しているモノ」の意であり、「学術的内容」のことを示す。「道」はこれから派生してできた。

 楢崎氏による「カタカムナ図象文字」の解読により、<カムナガラノミチ>の真意が、初めて正され、その内容は、非常に奥深いものであって、高度な内容が、長年、神秘思想の中に埋没し、日本人の意識の中からほとんど忘れ去られていた、という驚くべき事実が判明したのです。
 本来の<カムナガラノミチ>は、日本民族の上古代の精神文化を示す「カタカムナ文献」の一環として、当時の人々の持っていた哲学的サトリや、生活の様子を記すものなのです。すなわち、中古代以降開発された古神道や、神社神道等の宗教とは、本質的に異なるものでした。それにもかかわらず、神道は、上古代人のカムナガラノミチの伝統を正当に受け継いだ宗教文化だと、漠然と思われているのです。
 カタカムナ人は、直観による把握の<サトリ>を持っていました。それは中古代以降の後代の人々の持つ神秘観ではなく、五感と同様の直接の体覚として得られるものでした。(楢崎氏による)。しかし、その直観機能は時代の流れとともに退化し、中古代の人々は直観が全く働かなくなってしまっていました。このように神秘思想は、直感性能の劣化した後代人が思いついた思想なのです。しかも現代にまで伝わる神道関係の書物の中には、カタカムナ人による、直観物理を説いた言葉が、神秘思想に影響され、「神の名」や「所の名」として変えられてしまったものが伝承されているのです。
 多くの神道の研究書によれば、神道は天照大神の説いた道であり、その原典は古事記・日本書紀(記紀)にあるとされています。その後、古文書の研究家の努力によって、記紀の原典に当たる古文書は、何とか見つけられました。しかし、カムナガラノミチについては、未だに本格的な研究はなく、不鮮明であり、研究不足だと楢崎氏は述べています。

 楢崎氏は、更に以下のように述べています。

 神道の研究としては、南北朝時代、南朝公卿の北畠親房が著した歴史書、神皇正統記しんのうしょうとうきの中の本地垂迹ほんじすいじゃく思想(神は仏が世の人を救うために姿を変えてこの世に現われたとする神仏同体の説)の研究等の、神秘思想に基づくものがいくつかあります。しかし、カタカムナ人の直観物理を伝える、最も信頼すべき資料として研究すべきものは、古事記に記載がある「天武天皇が撰録された時の資料であった、「本辞」による「異本」や、「天武天皇が旧辞で記録された」といわれる古事記の「原本」(勅命により、稗田阿礼が誦習していた原本)です。しかしながら、このような「異本」や「原本」についての調査・究明は未だ為されていません。それらはおそらく音標文字で記されていたと思われますが、漢文字普及を図った当時の政治指導者たちの手で抹殺されたものと思われ、公的機関では全く保存されていません。また、後になって阿礼が殺されたのも同じポリシーからだと思われます。このような事情下で、秘かに保存された音標文字による<カタカムナノウタヒ>は、非常に貴重な研究資料なのです。

 その中には、若干ですが、<カムナガラ>という歌詞があり、それらの歌には、現象背後の基礎量に係る観得、すなわち<サトリ>が表明されているのです。

 また、楢崎氏によれば、漢文字で伝えられている「神名比々軌」、「神名比備軌」という書物があるのですが、神髄道とか惟神道として、神分之歌といわれるものが記載されていて、使われている漢字を音標文字に置き換えて判断すれば、概略は物理を説明した内容を表していると言います。さらに、書物名の「神名比々軌」とは、「神名の音標文字による」という意味であり、また「神名比備軌」とは、「神名を付した表象物の名称による」という意味であり、比々軌も比備軌も共に、漢字を使用していても、オンを借りて、カムナを伝えたことを表明しているのです。

 また、大工の使う器具である木理(キメ)にも、石工の使う器具である石理(イハメ)にも神名があり、それぞれ大工、石工の技術を伝えています。彼らも、物言わぬ木目や石目の語り掛ける「ヒビキ」を感得し、実生活に活用する直観の知恵があったようです。

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