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アマウツシミチ……健康保持の法        カムナガラノミチ 6           【直観物理と相似象 その 24】


アマウツシミチ……健康保持の道、独学の法

 「相似象」第5巻によりますと、前項(カタカムナ人の直観物理と相似象(23))のヲスヒナリのサトリを受け、次に、健康保持の基本である<アマウツシミチ>が取り上げられています。内容は、「カムミ」を畏れて、敬い、祀ることを教えている以下の8句に述べられている「サトシ」となっています。これは、後世の宗教思想と相似象ですが、その根底にはカタカムナ人の直観があるのであって、その本質を明確に掴んでおく必要があります。
 尚、この内容のほとんどが、「相似象」第5号から抜き出したものです。

第33句 カムミ収着の方法(イヤシロチにおけるミソギ)

カムナガラ
 ヲスヒナリウケ カムミマギ
 カムミイヤマヒ イツキノリ
アマウツシミチ アマナミチ
 

概要の意味
「カタチは見えないけれども(カムナガラ)、食と性の本来性(ヲスヒナリ)の本来性を受け、目に見えないカムミを求める気持ちが強くなり、カムミを尊重して(イヤマヒ)、熾烈な願望を祈り続けることは(イツキノリ)、カムミ(サヌキアワ)を身体に収着させる(イヤミソギ)、アマウツシの有効な方法(ミチ)である。」

「相似象」第5号 216ページ

 カタカムナ人の直観によれば、食本能や性本能も、終末的本性(ナリ)ではなく、それらの存在するカミ(起元)には、それぞれ「食の本性」「性の本性」がある、すなわち食べられる物自体は、めいめいの異性の親和(ムツミサチ、第30句)の所産であり、その「性」のカミは、カムとアマの異種異性の親和(モトツアマカム、第32句)の本性に至るのです。それらが私達に「食」「性」への神聖な欲求念を与え、それが本能となって、熾烈な願望(イツキノリ)を持つことになる、という関係で、サトシが示されています。

 <イヤミソギ>の「イヤ」は、「イ」の「ヤ」(極限飽和安定)まで、イヨイヨ、ますます、活性に、の意。「ミソギ」の原意は「ミ」を「ソグ」、すなわち、サヌキアワを「身に収着させる」であり、それによって身内(内実のミ)の密度が濃縮されて、外見はソゲた形になることを意味します。したがって、山の頂や神社などで行う、「禊」の行という言葉は、これから派生した語であると思われますが、それらを行うの場所は、原意のミソギを行う場でもあったと考えられ、そこは、楢崎皐月らの調査によって、例外なく「還元電圧」を持ったイヤシロチであることが確かめられています。イヤシロチでは、そこに存在する動植物鉱物等にサヌキ・アワのカムミが供給され、いわゆる生物の健康度を高めることができます。また、イヤシロチでは、体内の電流値が増加し、頭の冴えが実感されます。
 これと対比されるのが、ケガレチです。「ケガレ」は「氣の枯れた」土地であり、そこに存在する動植物鉱物から 電氣を奪い、生氣を消耗させ、崩壊を早める不健康地、すなわち電氣の分布密度が低い「酸化電圧」地です。
「カタカムナ人の直観物理と相似象(9)イヤシロチとケガレチ」参照
 現代人は、体覚(カン)が劣化して、大地表層の電氣構造が、生物の保全や人間性や機能までに重要な作用を及ぼす因子であり、私達の生存の上に支配的な力を持つることを真に実感している人はほとんどいませんが、カタカムナ人は、それを察知するだけの鋭い体覚を有し、人間の知性(サトリの性)や智能(理智の能力)のマトモな進化を促進するための、極めて有効な生活技法として、イヤシロチにおける「ミソギ」のスベ(方法)を人々に体得させていたのです。

 <カムミ マギ>の、「カムミ」とは、目に見えぬ(カム)生命の代謝物(ミ)であり、ここでは、サヌキ、アワのミを指しています。「マギ」は招き、求める意です。

 <イツキ ノリ>の「イツキ」は、カムミ(「イ」の個々(ツ))の発生(キ)の思念、「ノリ」は乗る思念を表します。「イノリ」は、それを欲しいと切望する熾烈な願いにより、それが自分の身体に乗りかかって来る、と感じる姿を言います。後代のような祈祷や呪墓の意味はありません。この句では、イノリの根本はミソギであり、ミソギの本質は、カムミの収着であることを示しています。

アマウツシ>は「アマの始元量から変遷した(ウツされた)もの」であり、<アマウツシミチ>とは、そのサヌキアワのカムミを身に着ける方法のことです。

 「食」と「性」の本能(ヲスヒナリ)をサトれば、異性を求める生物的な氣持がスナオに発動され、互いの人間性向上、人体の美化を願う念が生じ、そのようにナホされる力のもとを希求して(カムミマギ)カムミを尊ぶ気持ちになります。それが、「アマウツシ」により「イヤミソギ」するための「イツキノリ」の基本態度となります。

 次の句も、この第33句と同様に、アマウツシミチの教えの重要さを伝えるものとして残っています。

ウツクシノ イツキノイノリ イナシコメ
ミソギ ハラヒ ナホビヒコヒメ

「相似象」第5号 221ページ

 <ウツクシノ>は、イヤシロチの中でも、特に景観の優れて美しく見える場所のことであり、そこはまた「カンダ」とも呼ばれ、更に楢崎皐月は「美感電圧地」とも言っています。カタカムナ人達は、そのようなところをイツキのイノリの場として、そこに行ってアマウツシを受ければ、異性相互が美化され、向上するということを、当時の社会意識として弁えて、実行していたのです。この習慣が、後世のヤシロ―神社―祭礼の伝統に代わって行ったものと考えられます。

第34句 ヤワセのマツリ(男女の集まり)

カムナガラ
 カムミカシコミ アガメアフ
 ヤワセノマツリ イツキノリ
アマウツシミチ アマナミチ
 

概要の意味
「カタチは見えないけれども(カムナガラ)、和楽(ヤワセ)を求める多くの男女の集まり(マツリ)において、互いにカムミを尊重し合う(カシコミ)喜びを希求することは(イツキノリ)、生命の代謝物であるカムミ(サヌキアワ)を身体に収着させる(イヤミソギ)、アマウツシの有効な方法(ミチ)である。」

「相似象」第5号 222ページ

 <ヤワセノマツリ>
 「ヤワセ」は「セ」を「ワ」する意です。
 「セ」とは、セく(急く、塞く、堰く、咳く)、セセこましい、セセらぎ、セまる等の用語に感じられる恩念です。
 ヤワセは「セ」をやわらげ和する意です。「マツリ」は、「マが個々(ツ)に分かれた(リ)のを集める」の思念です。「祭」は後世になっての派生語で、神々や人々を集めてマツったことから出たものです。
 カタカムナ人は、男女のマツリ(集り)が、カムミを活性に起動し誘発する物理であることを知っていて、その時の接触の快い恍惚感に最高の幸福を感じ、それが正反の生氣を増幅し、心身の健康を保つ最も有効なアマウツシのおかげであることを感じていました。
 このように、「マツリ」を、その「カミ」に遡って、根本に立ち返ってマツリの原意を知ることにより、カタカムナ人の真意を認識することができます。

 <カムミ カシコミ>の「カシコミ」とは、威儀を正しく畏敬し、尊重することです。また、人体において、カムミを保有する密度の最大の場所は、男女の性器にあるため、雌雄性器を表すのに「カシコネ」とか「サヌキアワ」という言葉が用いられます。これは、カタカムナ人にとって、もっとも人間の畏敬すべきモノの宿る場という意味を持ちますが、その意識は神聖なものでした。

 <アガメ アフ>の「アガメ」は崇め尊ぶ意、「アフ」は尊敬し合う意です。男女に、互いに相手を尊重する気持ち(カシコミ)がないと、真の和楽(ヤワセ)はあり得ません。異性を求める生理的衝動の情念を、「カムミ」に対する認識を、熾烈な願望へと導き、人々の良識的通念を、人間の性癖や機能の向上の方向に向けることにより、人類社会の在り方の基盤(カガミ)を示したと考えられます。

● 人々は無意識裡に、男女和楽の集まり(マツリ)を求めています。同性同士の集まりでは和楽はなく、ケナシあってケンカになるところを、異性が入ると和らぐ(ヤワセ)ことが多いのは世の常です。それは、男女ともに、互いに生命の代謝物であるサヌキ・アワを活発にアマウツシする効果を実践しているからです。
 男女の和合和楽、接触といっても、現代人の想像するような「性行為」を意味するものではありません。
 孫を残すための性行為は、性の本性(ナリ)の一面に過ぎず、それは、個体にとっては逆に生氣を消耗させるものであるから、節度が必要です。自然の生物では発情期のように限られた期間しか子孫保存の本能は働きません。

 かくしてカタカムナ人は、生氣最大のアマウツシを得る男女の和合は、最も効率よく電氣を発生し、生氣を増す行為であり、そして、それは神聖なイツキのイノリの本来のスガタに基づくものであると考えて、大いにカムミを求めあい、与え合ったのです。それは子孫を残すために必要な性行為とは異なる、「天与の健康法」でありました。

 その時の参加者の持っていた、「カシコム」という畏敬(カシコミ)の念は、カタカムナ人の持つ人間性の特徴と思われますが、畏敬の対象をひたすら「カムミ」に向かわせ、それについて考える(カムカヘル)ことを、人間の最高の心のミチとしたのです。カタカムナ文化とはいかに高い精神性を持ったものでありましょう。

 さらにその「カムミ」は、カタカムナ人の鋭い直観によって把握された、「実在する潜象」であるために、その物性物理(コトワリ)が明晰に示されています。実際、把握された潜象のカムミは、現代物理学上でも「宇宙力」や「反物質」として裏付けされるようになって来ています。

 「アマーカムの対向」の相似象として、それぞれの個人が自分の配偶のサヅカリを希求し、夫は妻にアマを見、妻は夫にカムを見る気持ちで結ばれた者たちが、相手を互いに尊敬する感情は、人間であれば自然に備わっているスナホな相(スガタ)を表現するものです。カタカムナ人達の純粋で根元的な生き方に感動を覚えないでしょうか。

第35句 タムカヒマ(輻射圧増幅)

カムナガラ
 カムミタカマル タムカヒマ
 アハセイハフネ イツキノリ
アマウツシミチ アマナミチ

 概要の意味
「カタチは見えないけれども(カムナガラ)、カムミ(電子正孔)の増幅される<タカマル>効果のある、<タムカヒマ>の合掌を行いながら、「イ」の正反(ハ)の二つの根(フネ)、すなわちカムミを希求するイノリを続けることは、生命の代謝物であるカムミ(サヌキ、アワ)を活性に身に収着させる、アマウツシの有効な方法である。」

「相似象」第5号 228ページ

 <タムカヒマ>とは、手向ヒ間、すなわちマアヒ(間隙)を保つ合掌のことです。このようにして合掌すると、タナゴコロから放出される電磁波の輻射が増幅され、次第に輻射圧が高まり、熱くなってきます。この方法は、精神を統一して、思考の焦点を絞って追及を持続するのに有効なものです。


タムカヒマ
「相似象」第5号 229ページ

 タムカヒマの効果の物理に関する、以下の歌詞があります。

カシラ ハラ ヤクサイカツチ ウツシツミ
ヒダリ ミギリノ タムカヒマ

 意味
「タムカヒマにより、カシラ(頭)とハラ(腹)における八種類の電氣(ヤクサイカツチ)の反応を知ることができる。」

 <ヤクサイカツチ>は、脳波(カシラ)と生理活動の体内電流(ハラ)の波形的特徴を、八種類に分類しているということです。両掌のマ(間隙)をつくると、体内電流と脳波の重畳した脳電流が発生し、無意識領域に影響を及ぼします。<イカツチ>は刺激波的なインパルスで、脳波的な働きをします。

 今日行われている手技の技法は、このカムナガラノミチに起因するものと思われます。したがって、それは本来、アマウツシの意味、すなわち、すべての手技は「カムミ(サヌキアワ)の収着」という真相の物理に根源がある、ということですので、それを踏まえての手技を意識すれば、効果は非常に高まる可能性が高いと考えられます。

第36句 ムネニタナマタ(記憶復活)

カムナガラ
 イブキオクソギ カムミフキ
 ムネニタナマタ イツキノリ
アマウツシミチ アマナミチ


 概要の意味
「カタチは見えないけれども(カムナガラ)、胸の上に両手の指又を組み合わせて乗せ(ムネニタナマタ)、イブキを奥深く身に着ける、副式の深呼吸をして(イブキオクソギ)カムミを増発させる(フキ)イノリを続けることは、生命の代謝物であるカムミ(サヌキ、アワ)を活性に身に収着させる、アマウツシの有効な方法である。」

「相似象」第5号 231ページ

 楢崎らによると、「ムネニタナマタ」の深呼吸は、記憶が活性に蘇り、反省を容易にする効果があることが確認されたということです。「相似象」誌には、以下のような記述があります。


ムネニタナマタ
[相似象] 第5号 231ページ

 深呼吸と共に「ムネニタナマタ」を置く技法は、(伏臥位でも座位でもよい)私達の実験に於ても記憶が活性によみがへり、反省を容易にする効果が認められた。その物理は、体内電流を増幅し、蓄電(パイル)効果的に電気容量を増すことが考えられる。したがって、エネルギーは増大し、「電氣的中和」の物質に対しても、その運動が活性化され得る。それによって、脳波の波形を活性化し、重畳する波型を拡大して(重畳・高調波)、無意識領域に反応する弱性波の共振が可能になる。そうすると、共振波形が、復元的に種類を増し、その結果、選択性が増大する。記憶の復活は、そのような過程によって惹起されるのであろうと考へられる。普通には、過去に印象された波型(記憶)の再現力は、時とともに減衰消滅するのが一般である。(西欧人の祈りの姿は、この、タナマタを深く組むカタチに相似している。)

「相似象」第5号 232ページ

第37句 ミキザヒザオキ、膝とも談合(頭脳活動活発化)

カムナガラ
 カムミタハチル タナココロ
 ミキザヒザオキ イツキノリ
アマウツシミチ アマナミチ

 概要の意味
「カタチは見えないけれども(カムナガラ)、カムミを放出する(タハチル)掌を、正座した(ミキザ)両膝の上にのせ、カムミを熾烈に求める願いを持ち続けることは(イツキノリ)、カムミを活性に身に収着させる(イヤミツギ)、アマウツシの有効な方法である。」

「相似象」第5号 233ページ

 この句は、カムミは掌から放出され、また、正座した膝の上に掌を載せることで、一層その放出が盛んになるという、カタカムナ人の直観に基いた示しを表しています。

 <タナココロ>は、アマから分かれて独立して(タ)、アマのココロを代理するもの(ナ)という思念であり、タナココロ(掌)とは「手の心」の意味です。

 <ヒザ>とは、統合し(ヒ)分離する(サ)という基底思念から、「膝」の名称となっています。

 <ミキザ>は、三段に折り曲げた、日本式の正座の姿勢を意味します。この姿勢は日本人独特のものであり、その起源もカムナガラノミチにあったのでした。「相似象」では、以下のように記述されています。

 「ミキザ」の星座の姿勢は、体内の活動電流が抑制的に整調される。その場合、膝は「孤立球導体」の役割を演じ、球面に一様に電荷が分布する。その電氣密度を増した膝の表面は、脳波のリシーバ(受信)としての整合(マッチング)の条件を保有したと観られる。即ち、「ヒザ」と「タナココロ」の接触は、接触面に於る電流の流れに、相互反発による、「負方向に働く別種のエネルギー」が創成され、「第三の心」ともいうべき、神経電流の特別な信号が生起し、大脳に送信する物理が考えられる。
 ▶この「第三の心」を「霊覚」とか「第六感」または「八識九識」というのかもしれないが、私達の体験では、平素考えられなかった思考の方向が次々に展開され、綜合判断を能率良く運ぶことが認められた。
 上述の「負方向に働く別種のエネルギー」ということは、反粒子又は反電磁波と成るエネルギーであり、客観されないエネルギーである。
 最近の科学は、ようやく負方向に働くエネルギーを考慮し始めたが、カタカムナ人の直観物理では、工業的規模でこのエネルギーの発生に関わる技法が示されている(ミトロカヘシ)。
 また、このエネルギーは医術として利用され、タナゴコロを活用した、<アマウツシ>の技法が、いろいろ行われていたようである。
 昔から俗間に「胸に手を置いて良く考へる」とか、「膝とも談合せよ」などという言葉が伝わっていたのは、前句の「ムネニタナマタ」や、この「ミキザヒザ」等の鍛錬技法の教えが、何となく尾を引いたものであろう……。

「相似象」第5号 234ページ


ミキザヒザオキ
「相似象」第5号 233ページ

 以上のように、日本式正座(ミキザ)は、椅子式、胡坐、座禅等に比べ、日本人にとって、頭脳活動を最もよく整調する効果があるようです。

第38句 カスミハミ 深呼吸(第三の心)

カムナガラ
 カムミシキフク イヤシロチ
 シゲカスミハミ イツキノリ
アマウツシミチ アマナミチ


 概要の意味
「カタチは見えないけれども(カムナガラ)、カムミの活性に発生する(シキフク)イヤシロチにおいて、盛んに(シゲ)カスミをハミながら、イツキノリを持続することは、生命の代謝物であるカムミ(サヌキ・アワ)を身に収着して(ミソギ)、生命力をいよいよ活性にするアマウツシのミチである。」

「相似象」第5号 236ページ

 <シゲ カスミハミ>において、「シゲ」は繁る意。<カスミハミ>は、電氣の豊富なイヤシロチにおいて行うアマウツシの方法です。カスミとは、その意味は不明確ですが、楢崎皐月の推定によれば、空氣、電氣のような、良く見えない霧のようなものを指す意味と、イヤシロチに繁茂する草木の汁(エキス)を指す意味があるようだ、とのことです。
 

ミシロソギ ヲシモノイノリ カスミハミ
オモヒ カネワク  カムナガラミチ

「熾烈な祈りを続けつつ、断食してカスミを食めば、深い思慮(オモヒカネ)が発生する」

 これもカムナガラノミチから取った句です。
 <オモヒカネ>とは、普通では考えられない思慮が発生するという意味です。

「仙人は、カスミを食って生きる」と言われていますが、山中に住み、イヤシロチに置いて断食して、身に取り入れているのは、エネルギーとなるサヌキ アワなのであり、同時に、瞑想により、アマウツシを受けながら、頭脳明晰さを保っているのだと思われます。

 また、次の句も、示唆に富む内容です。

ヲシイノリ マギイヤシロチ クサグサノ
タメツ ネコヂル カスミハミワザ

 「食物に対する熾烈な欲求によって本能的に発生する味覚の授けを借り、イヤシロチに生育する草木の根などから、味の良い水溶液を選んで吸い取る。そのことにより、体質を改善することができる。」

第39句 タフリ カチフミ(カカマク天空アマネソラ

カムナガラ
 カムミカカマク アマネソラ
 タフリカチフミ イツキノリ
アマウツシミチ アマナミチ

 概要の意味
「カタチは見えないけれども(カムナガラ)、カムミの懸り拡がっている(カカマク)、環境的外界(アマネソラ)を、大手を振って(タフリ)歩き踏み(カチフミ)ながら、カムミを求める熾烈な願いを持ち続けることは(イツキノリ)、生命の代謝物であるカムミ(サヌキ・アワ)を身体に活性に収着させる(ミソギ)、アマウツシの方法である。」

「相似象」第5号 238ページ
タフリカチフミ
「相似象」第5号 238ページ

 ここでは、アマウツシを得るためには、特別なことをしなくとも、大手を振って歩くということが、カムミを活性に誘発させることになる、というサトリが示されています。

 <アマネソラ>は、「外の空気」という意味で使われています。

 生きているのは、「カムミ」が刻々と新陳代謝しているからであり、そのアマウツシが活性に行われていて、電氣が満ち足りている場合に「元気が良い」ということになるのです。反対に、この電氣が欠乏状態になると、氣が滅入り、元気なく、病氣がちとなります。
 考えに行き詰まった時には、外に散歩に出かけたりして気分転換すれば、良い考えが浮かんでくることが多いのですが、その物理はというと、「カムミカカマクアマネソラ」すなわちカムミ(サヌキ・アワ)が行き渡っている大氣からのアマウツシのお陰であることを、カタカムナ人はサトっていたのです。

 <カムミ カカマク>は、「カムミ」が私達の環境に大きく「カカってとりマイて」いる感じを表現したものです。私達は常に「カムミカカマク」中に生きていて、カムミなしには一刻でも生きられないことを認識しましょう。

第40句 アフギ ヌカツチ(無意識行動の認識)

カムナガラ
 カムミアナツネ オホトコチ
 アフギヌカツチ イツキノリ
アマウツシミチ アマナミチ


 概要の意味
「カタチは見えないけれども(カムナガラ)、カムミの滞在する個々の根(アナツネ)の、大地(オホトコチ)に、上向きに寝たり(アフギ)伏したり(ヌカツチ)しながら、カムミを熾烈に求める熾烈な願いを持ち続けることは(イツキノリ)、生命の代謝物であるカムミ(サヌキ・アワ)を身体に活性に収着させる(ミソギ)、アマウツシの方法である。」

「相似象」第5号 240ページ

 この句は、カムミの存在する大地に、全身を接触させることによって、カムミ(生氣の根元)が、身体に活着するというサトリに基く示しを表現するものです。

アフギヌカツチ
「相似象」第5号 240ページ

 このような動作は、現代人も無意識的に行っています。しかし、カタカムナ人の賢者達は、その行為の中に「最も大切な真理」があることを明確に認識し、人々に指摘したのです。一見同じような動作でも、訳も分からずたまたまやっているのと、その物理をわきまえているのでは、直感の鍛錬の意味で大きな差があります。
 平素このような態度を基本とする生き方をすることにより、たまたま生じた病変に対しても、ほとんどの場合は、効果のあるアマウツシの医療(イヤスベ)を施すことによって、回復は容易であったと考えられます。反対に、不必要な不自然な緊張を掛けた動作はアマウツシを拒み、病気の原因となるというわけです。
 現代人のように、自分の健康を医師任せにする態度そのものが、病気の原因となっている訳です。「自分の身体は、自分がいちばんよく知っている」という言葉を真摯に捉え、自分の身体をよく観察し、病気の兆候があれば、原因と解決の方向を自分で探り、自らが病気の治癒をしながら、身体のバランスを取っているという事実を、もっと認識すべきなのです。
 カタカムナ人が何百歳の長寿命を誇ったとされるのも、直観物理のサトリが、自分たちの生命保持のためのチエとなり、人々は日々の実習を怠らなかったためであると考えられます。カムナガラノミチにおける行き届いた技法は、長寿を経てこそ、長年にわたる経験によって得られたというものではないかと推察されます。
 



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