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ヲスヒナリ....食と性の本能         カムナガラノミチ 5            【直観物理と相似象 その 23】


ヲスヒナリ....食と性の本能

 楢崎皐月は、ヲスヒナリに関して8つの句を選択しました。ヲスヒナリとは、「食(ヲ)と性(スヒ)の本来性(ナリ)」のことです。それは、食本能、性本能の視線とは異なり、食本能、性本能のそれぞれによって摂取する栄養の本質は何か? を問うているものです。したがって、それは、生命保全に関する重要なサトリを示すものであります。
 以下の8句を総合して、カタカムナ人の考えていた「食」や「性」は、現代人の考えているような、人間の欲望や本能に基づいたものではなく、食物自体や、性機構のしくみの、天来自然のルールの生物の「ナリ」に基づいたものでした。そして実は、食本能と性本能の本質とは、共に、サヌキとアワの代謝であった、という結論となります。

第25句 アマナカネミチ(食本能、性本能との違い)

カムナガラ 
 アマシウツシミ サヌキアワ
 ミシロヲスホミ スヒナホミ
アマナカネミチ ヲスヒナリ


概要の意味
「カムナガラ(形は見えぬものであるけれども)、すべてのアマ始元量から変遷した個々の物質の実体(アマシウツシミ)はサヌキとアワ(正反の電子と正孔)であり、それが栄養代謝物の基礎(ミシロ)になって、食べ物(ヲス)に加着親和(ホミ)し、また性機構(スヒナ)に加着賦存(ホミ)している。それはサヌキ アワの内核(ミ)とも言うべき<アマナ>の、潜象・現象を重ね合わせたオコナヒによるものである。またそれが。食と性の天来のナリ(本来性)になるのである。」

「相似象」 第5号 200ページ

 <ヲスヒナリ>の<>は食べること、<スヒ>は、「好」であり、上古代語で性(セックス)を意味します。
 <ナリ>とは、生物としての「本来性」です。現代人が人間の食本能、性本能を根源的な本能と思い込み、その本能に従うことが、生物の自然さであると解釈することが、現代人の思考を狂わせる要因となっています。カタカムナ人の観点からは、「食」や「性」の本性は、欲望や本能に基づくものではありません。ヲスヒナリ、すなわち、食本能、性本能のそれぞれによって摂取する栄養の本質は何か? を問うたものなのです。人間の世の中がいかに「文明化」して、人間の生物感覚が退化しても、天然自然のルールや、人間の本性(ナリ)は変わりません。楢崎皐月は、『人間の本性を知り、本性に基づく「直観の鍛錬」をすることは、生存を保つ上に、決して怠ってはならない。それを怠れば「文明化」によって過保護に陥りがちな人類は、奇形化、病弱化が避けられぬことになってしまう。』という事を警告しています。
 カタカムナ人は「食」や「性」を「環境」との連帯的関りから一貫して捉え、自然総体の循環系がバランスを崩さぬようにという、連帯的配慮に重点を置いて、天然自然の「ヲスヒのナリ」を洞察していたのです。楢崎皐月の文章を掲載します。

 例えば、自然の生物が、あれほど多量の種子や卵をバラまき、その中の何憶分の一だけが生命を全うするという事も、一寸考えれば無駄の骨頂で、もう少し量を少なくして確実に安全に育てたらよさそうな気がするが、それが人間的な思考というもので、自然総体の循環系として、すべて、他の生物の「ヲスヒ」の「ミシロ」となることが、組み込まれて居るわけである。もし人間的な親切心や益虫害虫的な合理精神で、なまじ保護を加えたり、制限したりすれば、その刹那からこのバランスは崩れ、当面の生物のみならず、周辺のものの運命を狂わせることになる、ということを、我々は、最近の自然破壊や公害問題等によって、ようやく気付き始めたが、カタカムナの上古代人は、既にこの事を、もっと大きな観点から、天然自然の「ヲスヒのナリ」として観察していたのである。
 すべて「環境との関連」に関する直観が大切だという事である。

「相似象」第5巻 202ページ

 カタカムナ人はまた、「環境」についても、その本質は、大地大氣のサヌキ、アワとの関連で観ていて、常に、潜象(アマ-カム)の支配を感じていました。

第26句 スヒナ ヲスホミ(食と性の本性はサヌキ アワの本性の相似象)

カムナガラ
 スヒナヲスホミ カムナマリ
 ミクラアマタマ カヨフマリ
アマナカネミチ ヲスヒナリ


概要の意味
「カムナガラ、性のしくみ(スヒナ)と食べ物(ヲス)に、親和賦存(ホ)している「ミ」は、無限界の支配する潜象の粒子(カムナマリ)である。宇宙球(アマタマ)には、そのような環境の「ミ」が自由に充満し(クラ)、無限界(カム)と始元界(アマ)を通っている。それが、潜象と現象を兼ねたアマナのオコナヒ(アマナ カネミチ)によって、「食」と「性」の本来のナリ(本性)となっている。」

相似象 第5号 206ページ

 この示しは、「食」と「性」の栄養となる「ミ」は、宇宙広域に関連がある、というサトリに基いています。すなわち、食物や性のしくみをホミした潜象粒子(カムナマリ)とは、宇宙に充満する サヌキ・アワ の「ミ」のことです。したがって、「食」「性」の現象の本質とは、サヌキ・アワのヒトツカタ(相似象)であるという表明なのです。

 <スヒナ>とは、性(スヒ)のナ(代表するもの)、すなわち「性の機構」という意味です。<スヒナ ヲス ホミ>とは、性の機構(スヒナ)と食べ物(ヲス)に、加着親和しているミ(ホミ)の意味で、その「ミ」とは、カムのナ(代表する名代)の支配するマリ(カムナマリ)であり、宇宙域(アマタマ)には、そのような「ミ」が、自由に(ク)現れている(ラ)、という意味です。

第27句 アサヒ ツキシロ(太陽と月の輻射エネルギー)

カムナガラネ
 アサヒツキシロ コリツモリ
 イブキチクヌネ チグリクミ
アマナカネミチ ヲスヒナリ


概要の意味 
「カムナガラ、「食」と「性」の機能には、太陽や月の放射する輻射勢力(アサヒ ツキ シロ)が凝集され(コリツモリ)、イブキ(生氣)のチクヌネ(蓄積された目に見えぬ根元)として、長く滞在する(チグリ)ように、仕組まれて(クミ)いる。それは、アマナによる、潜象と現象の兼ね合わされたオコナヒ(ミチ)であり、「食」と「性」の本来のナリである。」

「相似書」 第5号 205ページ

 この示しは、アサヒ(恒星)や月の放出する輻射エネルギー(モロカゲ)が、蓄積され(コリツモリ)、宇宙の生氣が持続的に組み合わされて(チグリクミ)、地球の輻射エネルギーとなり、その大地や大気のエネルギーが、生物の生氣(食と性)の根元となっている、というサトリを表したものです。

 カタカムナ人は、「輻射」現象の本質をサトリ、太陽エネルギーのみならず、諸天体の放出するモロカゲを吸収した地球や月は、また、そのエネルギーを放出し、地球上の生物は、それらの、強弱さまざまの輻射エネルギーを受けて、生育したことを直観したのです。
 月の放射する電磁波は、強いものが濾過されてエネルギー密度が低く、生物のなかには、そのような弱い月の光でなければダメなものがあります。月の役割について、カタカムナ人は、潮の干満について以外にも、「モロカゲ」の内に感じていたのでした。

 <チクヌネ>(男女性器の古語)は、ここでは、輻射現象の本質的役割を演じる、サヌキ、アワの電氣粒子が、「食」と「性」の現象に現れる、生氣の根元である、という意味の直観を示す言葉として使われています。

 性器の表現を、重要な哲学の表現に流用するなどという事は、性に対する罪意識というブロックを持つ現代人には考えられないことですが、カタカムナ人の性についての認識は、本能的ではなく、生命の根源として理性をもって捉えようとする、広くて自由な、すなわち、より高い次元の意識に基づいているようです。

第28句 イブキ ウブスナ(大地電氣)

カムナガラ 
 イブキウブスナ サヌキアワ
 トコチオホヌチ ハタツタネ
アマナカネミチ ヲスヒナリ


概要の意味
「カムナガラ、生氣(イブキ)を生み出すもの(ウブス ナ)は、サヌキとアワ(正反電氣粒子)であり、それは大地(トコチ)の、強大な大地電氣(オホヌチ)の放出する生氣の種(ハタツ タネ)である。その事は、アマナの潜象と現象とを兼ね合わせたオコナヒによる、「食」と「性」の本来のナリ(本来性)である。」

 「相似象」 第5号 207ページ

 この示しは、「生氣」や「元氣」の本質が、サヌキ、アワの電氣粒子であり、太陽等の諸天体からの輻射の他に、大地電氣も放出されている、というサトリに基いています。

 <ハタツタネ>は、「大地電氣(オホヌチ)が、個々の物質(ツ)の、独立の根元(タネ)になっている」という意味。大地電氣のサヌキ、アワの
正反の放出(ハタ)が、生命体の生氣の根元となっていることを述べたものです。言い換えると、「食」と「性」の栄養は、アサヒ ツキシロ、すなわち諸天体からの輻射の他に、大地電氣も放出されている、というサトリが基になっています。

 直観物理によれば、地球も生命体であり、自転公転運動をしながら宇宙空間を飛び回り、諸天体からエネルギーを吸収し、蓄積し、放出して、息づいているのです。この大地電氣が地球上の生物の生存に多大な影響を与えています。それが如何に大きな影響を持つかについて、体覚の甚だしく劣った現代人は、まだ理解できないでいるのです。森林伐採、海洋汚染、資源の乱獲等の人類が無造作に行った活動は、地球生命体の生氣に負の影響を与え、その付けは、人類の生存に関わる脅威として残っているのです。


第29句 サネタチネ(蓄積のイワヤド)

カムナガラ 
 ハタツツツタネ ナラシウケ
 チグリイワヤト サネタチネ
アマナカネミチ ヲスヒナリ

概要の意味
「カムナガラ、大地から放出される(ハタ)、個々の生氣の種(ツツタネ)が、食物と性機構に、ナラシ(生成され)、受け継がれ(ウケ)、持続的に蓄積されて(チグリ)、潜在している(イワヤト)。この事は、アマナによる、潜象と現象の兼ね合わされたミチであり、食と性の本来のナリである。」

「相似象」 第5号 209ページ

 <イワヤト>とは、岩屋戸、すなわち隠れ場所を意味します。生氣の蓄積される場所は、生物の雌雄性器(サネタチネ)の内奥である、という考えです。ただし、性器や内臓器官そのものを指すのではなく、<アマナ>による<カム>のチカラの代行である、サヌキ、アワの電氣粒子が生物の生氣を生み出す基であり、サネ タチネ(雌雄性器)はそのイワヤトであるというサトリなのです。

第30句 カシコネ(性行為に対するサトリ)

カムナガラ
 チグリアマタリ アカマハエ
 モトツカシコネ ムツミサチ
アマナカネミチ ヲスヒナリ

概要の意味
「カムナガラ、食物と性機構に関する生氣の種(ハタツタネ)は、アマ始元量の遷移蓄積(チグリ)が、充分に果たされたとき(アマタリ)、若芽(アカマすなわちアからタチをラハス意)を発生する(ハエ)に至る。それは一般の生物の雌雄性器(カシコネ)の交わりに基づく(モトツ)、ムツミのサチである。この事は、アマナによる、潜象と現象の兼ね合わされた行動(オコナヒ)によるものであり、それが食と性の本来のナリ(本性)となるのである。」 

「相似象」第5号 210ページ

 この示しにより、一般の動植物に通じる「受胎、胎児発育、幼児出産」の
相似象である、生氣の実体が、雌雄性器の親交(サヌキ・アワの電氣粒子の、異種親和の本来性)に統一されています。すなわち、食や性の行為も、天然のナリ(本性)として賦与された、生物の本来性であるということであって、決して人間の欲に基づくものではない、というサトリが表されているのです。
 自然の生物が、多くの種子や卵を産出し、孵化したばかりの芽や幼虫が他の生物にどんどん食べられるとしても、その存在は、他のヲスヒのミシロとなる価値があるのです。「食」の本性を知ったうえで、個々の生態(ナリ)を良く考えて、その生存を十分に果たさせることで、人間もまたミシロを得る、という、天然自然の大きな循環系を考慮することが、マトモなミチ(オコナヒ)に繋がる、ということを、カタカムナ人はサトっていたのです。
 また、現代人的発想では、性行為は、子孫を残すため、性慾本能を満たすため、快楽の追及、愛の示し等に位置付けられますが、カタカムナ人のサトリからみれば、その捉え方も一面的です。彼らの直観は、性(セックス)の本性は、「異種親和による生氣の増幅」という、マイナスエントロピーを発生させる天然のナリである、と捉えたのです。

 <ムツミ>とは、個々(ツ)の無い(ム)「ミ」、すなわちオノレをムなしくして一体となる意なのです。めいめいがオノレを強く主張するところには、和楽(ムツミ)はありません。
 

第31句 サナミ モミタチ(受胎、発生、出産、世代交代の相似象)

カムナガラ
 サナミモミタチ タキカワケ
 タキカイヨフヨ イカツヒメ
アマナカネミチ ヲスヒナリ

概要の意味
「カムナガラ、苗が成長して実を結び(モミタチ)、独立したカタチが分離する(タキカ ワケ)。そのスガタは、あらゆる生物に見られる、受胎、胎児発生、発育、出産という、相似の現象であり、その分離した実一代の生命(イヨ、すなわちイの世代)と、子々孫々に受け継がれる交番生命(フヨ、すなわち二つの世代)とが宿り伝わることになる。この事は、アマナによる、潜象と現象の兼ね合わされた行動(オコナヒ)によるものであり、それが食と性の本来のナリ(本性)となるのである。」 

「相似象」 第5号 212ページ

 この示しは、生命の世代交番は、食物と性機構に内在する電氣粒子(イカツ)の統計的存在性(イマタチ)の、交番消滅からの由来を直観したサトリに基いています。電磁波の周波数は、電氣粒子の生成・消滅、すなわち世代交番を示していて、粒子としては生滅ですが、エネルギーとしては、持続的に伝わるものですから、カタチとしては、粒子・エネルギーの二組として現われることになります。このサトリは、電氣現象に留まらず、すべての生命現象の本質を、一貫して把握する基礎となっているのです。
 直観物理では、生命質と物質、電氣と磁氣、力、光等を、すべて、サヌキ・アワの世代交番の相似象として、総括的に把握しているのです。それが故に、電氣現象をはじめとした、現代科学未知の問題も、自然にさりげなく、その本質を見抜くことができたのです。

第32句 フタハシラ(生命交番の相似象の原象はアマーカム)

カムナガラ
 イブキヨヨツグ フタハシラ
 モトツアマカム サヌキアワ
アマナカネミチ ヲスヒナリ


概要の意味
「カムナガラ、「食」と「性」のフタハシラの電氣粒子(サヌキ アワ)によって、生命の(イブキ)の交番(ヨヨツグ)が行われるが、その二柱のサヌキ アワは、本来(モトツ)、カム(無限界)とアマ(始元界)の二つの世界の交番という、天然自然のスガタの相似象なのである。この事は、アマナによる、潜象と現象の兼ね合わされた行動(オコナヒ)によるものであり、それが食と性の本来のナリ(本性)となるのである。」 

「相似象」第5号 214ページ

 この示しは、以下のサトリが基になっています。
 「前句に述べた生命の交番は、電氣粒子の統計的存在性(イマタチ)に因由するものであり、その生命の交番は、アマとカムの交番という、天然のスガタに相似するものです。それはすなわち、潜象(カムのチカラ)と、現象(アマ始元量から変遷した電氣粒子)のナリ(本性)を兼ね合わせたアマナのオコナヒによって、波動的なエネルギーと、粒子のスガタとが、<イマ><イマ>に、発生・消滅を交番に繰返して互換される現象である。」

 つまり、サヌキ アワはアマ始元量から発生し、アマの本性を受け継いでいるゆえに、イマタチに、イブキ(生氣)が交番される(ヨヨツグ)ということなのです。
 以上を纏めますと、「食」と「性」の本性は、宇宙の生氣(イブキ)に繋がり、食本能、性本能という現象も、宇宙的な広域からの作動によるものである、という直観が示されたものなのです。

 カムナガラノミチでは、以上のようなサトリが基となり、人間の心身の健康法や、衣食住に関する、さまざまな技法が創成されています。これらはまた、別項にて紹介したいと思います。





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