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スーパーカミオカンデと許容と信頼

この人は自分と違う考え方で生きてるなぁと思う人と、お互いに「我々は違う考え方だねぇ」と認め合いながら話すのが好きだ。


今日は仕事で富山・石川出張があったので、昨日前泊をしてちょうど富山と岐阜の県境あたりにある、スーパーカミオカンデで研究をしているサークルの後輩に会ってきた。スーパーカミオカンデの入り口を見せてもらい、近くの科学館で研究者直々に説明してもらうという大変贅沢なことをしてもらった。


スーパーカミオカンデの入り口

スーパーカミオカンデってなんぞ?というと、すごく観測しづらいニュートリノというめちゃくちゃ小さい粒子を、観測するための山の中の地下洞窟のような施設らしい。

数十年に一度しか起きない超新星爆発からやってくるニュートリノを観測するために、緻密なシミュレーションを行い、入念に準備されていて、年に何回か対応のための訓練もして、常時誰かが対応できるような体制になっているという話が一番面白かった。準備の感じが防災訓練じゃんと思った。

もし実際そのニュートリノを観測したら、全世界の天文台にすぐに連絡が行くらしい。地球が一丸となって(もともと球だけど)、力を合わせてその後やってくる光の観測に備えるらしい。まじ宇宙。かっこよすぎ。


美味しいお刺身

そのあと富山の海の幸をいただきながら、後輩と話をしたんだけど、前から自分とはきっと考え方がだいぶ違うんだろうなと思っていた人だったので、冒頭に戻るけど、話していて「我々は違う考え方だねぇ」となった。

「我々は違う考え方だねぇ」は「うちらって考え方似てるね!」より、一段深い共感という感じがする。いや、深いとか浅いとかでもないのかも。前者って共感というより許容なのかもしれない。

私とあなたは違うと相手に伝えることは、下手をすれば「我々は分かり合えませんね、さようなら」という意味に取られる可能性もあるんだけど、そういう意味じゃないことをお互いにわかっていることを前提に言い合うことができる、その信頼関係が心地よいのかもしれない。まあそう思っているのは自分だけという可能性もあるけど。


人と信頼関係を築きたいね〜(でかまとめ)


帰りの新幹線で書いているんだけど、もう大宮を過ぎてしまったし、もう東京着いちゃうから終わり終わり。


ではまた!



追伸 スーパーカミオカンデの話は、調べたらわかることなのかもしれないんだけど、とにかく得た知識をすぐに披露したかった。ミーハーだから。

ていうかスーパーカミオカンデって言いたいだけかも。自分は研究から落ちこぼれたという感覚があるので、きっと永遠にアカデミックへの憧れがある。私もアカデミックなこと言いたい。#アカデミックと繋がりたい#アカデミック嫌いじゃないよって人らぶりつ#1mmでもアカデミックと思ったらいいね ………

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