見出し画像

らゔロマンス

私はラブロマンスが嫌い。
映画はミステリーやサスペンスを好んで観ている。
頭を使い、伏線を探し、物語の流れや結末の予想をパターン別に複数用意しながら観ていく。当たれば嬉しい、予想を裏切られたらそれはそれで面白いと思える。ネタバレや考察を徹底的に調べあげ、答え合わせをするためにもう一度観たりする。
ホラーやアクション、コメディーやファンタジーは脳死で観れるので逆に嫌いではない。

ただ、ラブロマンスだけはどうも好きになれない。

ラブロマンスが嫌いな理由を人に説明するとき、
「理想が高くなりそうだから」 とよく言う。
少女漫画の実写映画のようなキラキラした恋愛を観てしまったら、現実の恋愛にもそれを求めてしまいそうだから。「映画のような恋がしたい」と前向きに恋愛と向き合ったところで現実の厳しさに心が折られるに違いない。

でも私はきっと、本当は誰よりも映画のような恋愛に憧れているのだと思う。

ラブロマンスは恋が実るまでにいろいろな葛藤があり、それを乗り越え最後には恋が実りハッピーに終わるものが多いと思う。
「この2人はきっと幸せに生涯を添い遂げるんだろうな」と思わせてくる。でも現実の恋愛はその後が大変でしょう?
私がしたい恋愛は映画のように続編がなくとも「末永く幸せに生涯を添い遂げる」というのがわかるくらい永遠が誓われた恋愛。死ぬまで、もっと言うと死んだとて一緒だと言う約束が欲しい。

「そんなの何が起こるかわからないじゃん。」
それはそう。
だけど私は自分から離れることは殆どない。

私は約束や束縛が嫌い。ただそれは「異性と連絡を取るな」、「友人より恋人を優先しろ」のような細かいものであって、「ずっと一緒にいる」という未知で膨大な約束はなぜか守れる気がする。

私は嘘が嫌い。果たせもしないのにその時の気持ちだけで「ずっと好きだよ」、「自分から離れることはないよ」などと無責任なことをよく言えたものだ。少し経てばやれ「他に好きな人ができた」だの、「自分よりいい人がいるよ」などと言って離れていく人ばかりだった。

私は理解ができない。異性とは連絡を取っても構わないし、友人を優先してもらっても構わない。相手の考えも否定しないし、相手に合わせて都合のいい言動をする。なのになぜ「ただずっと一緒にいる」という簡単なことができないのか不思議で仕方ない。
安定より刺激を求めてしまう人が多いのか、?

これは恋愛だけでなく友人関係でも思う。
多少気を使い合い、意見が食い違ったとしてもお互いの意見を尊重し丁度いい答えを出し、関係を長く続けていくものではないのか。と日頃からよく考えている。わざわざ関係を断つほど難しいことなのだろうか…。私がズレているのか?重すぎるのか?
きっとこれからも考えさせられると思う。

私が今生きているのはノンフィクションの世界。
だからこれ以上、永遠の恋に憧れては厳しい現実で心が折れないように、私はやっぱりラブロマンスを嫌いでいようと思う。


私の考えや、人との関わり方は理解されにくいことが多い。なのでこれはこっそりと。

いつかラブロマンスみたいな
「永遠」を誓える人が現れますように。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?