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わがまま

ひとつ、お願いがあってね。
"私の気が済むまで話を聞いて欲しい"
っていう私のわがままを聞いて欲しいの。

私はどちらかと言えば「聞き専」の類だと思う。
よく相談を受けたり、「誰にも言わないでね」と秘密を教えてもらうことが多かったから。だけど自分の話はあまりしてこなかった。
じゃあ、なぜ自分の話をしてこなかったのか。
ここに書いていこうと思う。

「だから1人でもいいから、
長い長い私のわがままを最後まで聞いて欲しい。」

まず自分の事を話さない理由として 「話すことがない」 というか、「話す必要がないと判断した」 から。
なら聞いて欲しいとかわがまま言うなよ。と言われてしまうと思うけど、「話す必要がない」という思考に至ったのにも理由がある。

まず私は自分の話を聞いてもらうにあたって
「相槌が適当な人、ながらで聞く人、
話が脱線する人、自分の話にすり替えてしまう人」
が本当に苦手で、私が話してる時にそれをされると「この人は私の話に興味がないのか」、「なら今後はこの人には私の話をする必要がないな」と思ってしまうからだ。
さらにネガティブに拍車がかかり「誰も私の話には興味がない」と思うところまできてしまい、人に自分の話をする事が少なくなった。

次に「本音で話す事への怖さと恥ずかしさ」がある。
私は普段、ふざけたり冗談ばかり言っている。だが中身はかなりのネガティブ思考というか、闇の深い部分がある。その闇をさらけ出すと、「そこまで暗くて面倒な人だったのか」と思われることがすごく怖くて恥ずかしいのだ。

閉ざし気味の私でも、1人で悶々と抱え込むにも限度があり、誰かに自分の話を聞いて欲しいと思うことがたまにある。
本音で話す怖さと恥ずかしさを押し殺して、
「興味がない」と言われるかもしれないと思いながら
いざ頑張って話してみたところで、
「あーわかる、自分もさ~」とか「ところで~」みたいに話をすり替えられ、周りの人達も話を取った相手に連れていかれてしまう。そのままどんどん話したかった内容から離れていき、モヤモヤだけが残る。
すごく心細くて、寂しく感じる瞬間だ。

それでも気を配ってくれたのか、たまたまなのか。周りが雑談を楽しむ中、1人孤独感に襲われている私に話を戻してくれる人が稀にいる。その瞬間は泣きそうになるくらい嬉しいし、とても感謝している。

私は1つの話を時間をかけ深く語り合いたい。
そしてそれを共感するでもなく反対するでもなく、「そういう考え方をする人なんだね」と
理解して欲しい、そして受け入れて欲しい。

とても面倒で、とても聞いて欲しかった
私の"わがまま"でした。


最初で最後の機会、
終わるまで目の前に居てくれた君が大好きだよ。
私の"わがままを聞いてくれて"本当にありがとう。

もし君に何かあったら、聞き専の私に任せてね。

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