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インドアな僕とイチローと。

「さきほど、シアトル・マリナーズより発表がありました。
この試合の後に、イチロー選手が、
会見を行うとのことです…」

野球中継の最中に流れた、アナウンサーのこの一言で、

勘ぐった人も多いと思います。

勘ぐるというより、覚悟していた人も、多いと思います。

用があって中継を観られなかった人でも、

また、野球ファンじゃなくても、
この後の光景を想像していた人も、
少なくはなかったと思います。

イチロー・スズキ

僕が初めて、
野球という言葉を知るキッカケとなった人物であり、

また初めて、名前を覚えた野球選手。


彼が現役生活に終止符を打ち、引退することになりました。

会見の様子がノーカットでおさめられた動画は、
再生数200万回を越えるものも。

テレビのニュースで断片的に見ただけでは、
とてもその場の雰囲気は伝わらないと思います…。

口を開いてみればいつもと変わらなかった、イチローの語り口。

「この歴史的瞬間を…」という緊張感と、
夜遅くまでの仕事となった疲労感とが
入り交じった記者席。

僕が今まで見聞きした感覚からしても
(そんな類いの質問は、いつもは蹴られるんだけどなぁ…)
とヒヤヒヤしてる番記者さんの心の声が聞こえてきそうな雰囲気まで

ぜひ、野球好きじゃなくても、アウトドアじゃなくても、映像が残っているうちに、
観ていただきたいな、と思います。

こんなことを言ってる僕ですが

父の影響で野球を、そしてイチローを知ったとはいえ、

自分でも思っている以上に、
彼の言葉にチクリと刺されながら、人生を生きてきたのだなと思い返しています。

小学校の図書室で本を借りる時に、何気なしに選んだのは

彼の足跡が、子供にも分かりやすく説明されていた
イチローの本でした。

その頃本人はもう、アメリカでの挑戦を始めていたので、
試合をテレビで見ることは、休日にちょっとできるかできないか…でしたが、

気が付けばその時の、シアトル・マリナーズのスターティングメンバーも
覚えてしまっている自分がいました。

イチローのすぐあと、2番を打ってともに塁上を駆け回った、マーク・マクレモア

クリーンアップで彼らを確実に返す、
ブレット・ブーン

見た目も名前もいかつかったDH、
エドガー・マルティネス

派手なイメージのメジャーリーグにおいて、
「渋い打者」のイメージを勝手に抱いてしまった
カルロス・ギーエン

マリナーズのキャッチャーといえば城島
のイメージを持つ方もいるかもしれませんが、
僕は忘れません、ダン・ウィルソン

この思い出も、もう消えてしまう… 。


僕の人生の5分の4は、彼に魅了され続けてきたので、

なんだか、大事なものがなくなり、
死んでもいいという気持ちはこういうことなんだろうなと思います。死なないですけど。

言い方を変えれば、僕の人生、
イチローに狂わされてきた、
なんて言ってしまっても、おかしくありませんでした。

「そんなに野球好きなら、野球やらなかったの?」と言われそうですが、

その通り、
僕は野球好きの男の子に育ちました。

彼は憧れであるけれど、
あまりにも天才で、そして遠い存在に映っていました。

小学校◯年の時点で、バッティングセンターで100㎞/hのボールを打てるようになっていた…
イチローでも、ドラフト4巡目指名だった…

(歳を取った今なら、その指名となったカラクリも、理解できるのですが。)


こういう記述を数々目にした僕。

ある日父に、バッティングセンターに連れていってもらったのですが、

…1球も、当たらない。

その時、ほぼ自分だけの勝手な感覚で
僕はプロテストに落ちたような感覚になりました。

野球選手は無理だ、と通告されたような
心持ちになりました。誰から言われたわけでもないのに。

本来、
「(努力して)100㎞/hを打てるようになった」

とか、

「今打てなくても、また打てるようになればいい」

解釈するのが、自然なのかもしれませんが、


僕は、

(いとも簡単に)100㎞/hを打てる人でないと、プロにはなれない…

当時から、僕にはそんな、センスや適性の有無で、
選民思想で多くの物事を考えていたのです。


(しかも、そこから這い上がって、打てるようになりたい!なんて
誰にも相談することもなかったんです…)

よく聞くお酒の噺のひとつに、

「あ~!今年のドラフト、俺指名されなかったかぁ~…!」
と笑い話にする、というネタがあるのですが

僕は小2ですでに、

ドラフトは「待つもの」ではなく
「見るもの」になりました。



僕の暗くて重い重い欠点も、
この選民思想にルーツがあります。

芸術の世界よりも、
スポーツの世界をチェックして幼少を過ごしてきたため、

本当に実力のある人やチームに必要とされる人は

勝手にお呼びがかかる、
それ以外は、その世界に進む権利などない

ましてや、自分を売り込む、応募する…なんてナンセンスなことだ。世界の理に反している…

これをスタンダードにしてしまっていた僕、
ボールを打てない自分自身に気付いた僕は、

小学校の休憩時間で、
野球をやっている友達の輪を見つけても、

「人数が半端なら、自分から抜けようかな…」
(んなこと考えてるの自分だけだったと思います)

「僕がいるチームが、負けてしまう…」
(負けないように自分が頑張る、という発想はありません…)

次第に、
遊びに入らないことを、選ぶようになっていました。

野球は好きなのに。

この頃から同時に、補欠思考といいますか、

『前を見るより後ろから支える』マインドが

僕のメイン思考になりました。


野球はいまでも好きです。

体育会系の人とのつきあい方は
わからないまま育っちゃったけど、

野球好きで育ったおかげか、彼らがキライ…というわけではありませんでした。


むしろ、英雄視してしまうし、
去年、母校が甲子園まであと一勝…というとこまで迫ったときは

内野席で冷めた様子を繕いつつも、
白球の行方に一喜一憂している自分がいました。



ルールはわかるので、
体育の授業中、
女子にルールを教えることはやってましたが、

教えた子がフライをあっさり捕球し、
ハイタッチして喜びあった一方、


僕は立体視に難があるのも災いして、
フライが全然捕れないままでした

(そのぶん、キャッチャーばかりしてました…)

…おかしなこと言ってます、僕?大丈夫?


今では、野球と真逆そうなことを呟いている僕ですがしかし、

根っこには、
フロイトの言葉よりも、芸術家岡本太郎の言葉よりも、

なによりイチローの言葉のほうが、眠っています。

ドキュメンタリー番組や
アメリカの記者の取材記などから知り得た、

彼のパーソナリティー(の劣化番コピー)が
眠っています。思い出してきます。

目標も失った中で一人暮らしをして、

周りに旧知の知り合いがいない状況に立たされ、
せめめどんな人と会うか、考えなきゃ…と
真っ暗ななかで考えてたところ、


先日の会見の前半で、彼の口からも出ていましたが、


 生き様というのは僕にはよくわからないですけど、生き方と考えれば、さきほどもお話しましたけれども、
人より頑張ることなんてとてもできないんですよね。

あくまで測りは自分の中にある

それで自分なりにその測りを使いながら、
自分の限界を見ながらちょっと超えていくということを繰り返していく。

そうすると、いつの間にかこんな自分になっているんだという状態になって。

…どこかでこれに近いことを思い出して、

人付き合いを変えようと実践してた僕に、

ちょっとだけ、気付くことができました。

そういえば10年以上前のCMでも、
イチローが野球少年に向かって

「毎日少しずつ昨日の自分を越えていくんだ」

と話しかけていたっけ…。

僕だけが頑張っていた、なんて言うワケではないですよ…
誤解なきよう。

また、
キャンパスの外のことが気になりはじめ、移住とかまちづくりだとかの話を聞くようになり、

しかし地元の人からしたら「よそ者」「少数派」である僕が
どう人と接していいかわからなくなった時、


…これもまた、インタビューを記録した記事から引用しますが

「アメリカに来て、メジャーリーグに来て、
外国人になったこと、
アメリカでは僕は外国人ですから。

このことは、外国人になったことで人の心を慮ったり、人の痛みを想像したり、
今までなかった自分が現れた
んですよね。

この体験というのは、本を読んだり、情報を取ることができたとしても、体験しないと自分の中からは生まれないので。」

この一節、

今、周りの人より遅いかもしれないけど、
コミュニケーションを日々の考え事にしてる僕にとって、

インドアな僕でもまた、
これからもまた、イチローから影響を、ギフトをもらって、生きていくのかなと感じました。


あの頃に芽生えた選民思想ですが、

少なくともそれを他人対しては、押し付けてしまわないように、頑張らねばと思います。


チャレンジする人を叩いたり、
すぐに「今」の別の人と比べてしまわないように。

人に話しかける発想の無かった自分の「過去」と、
「そのあと」の自分とを見返し、

とある人の「過去」に目を向け、
そして「そのあと」も想像して、時には一緒に考えて。



今必死で、言葉に気を遣おうとしている自分がいます。
傷付いた経験から逆算して、それはやめようと、必死な自分がいます。

…でも、自分に対しての選民思想が、
時おり外にでてきてしまうこともあります。すいません…。

(ただ、何にでも「チャレンジ」という、一見ポジティブそうな言葉を使って、

僕が守りたい人たちの視点や意見をなおざりにすることは
さすがに許せないのですが。)

こんな僕は野球選手でもスポーツ選手でも、なにかのパイオニアにも、なれないのかもしれませんが、

ここ2、3年、
新しい出会いや発見もあるけれど、

正直、後退しながらの時期、
後退しかしてないように感じたこともありながら

でも最後には、

後悔など、あろうはずがありません

少しはこんな言葉で、

自分を締め括れるように、

精進せねば…と思います…。

おかしなこと言ってます?僕?

(お付き合いいただきありがとうございました)

※冒頭の写真は、大阪に行った時に購入した、
日米通算4000本安打記念グッズです。

~終~

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