見出し画像

自分の鈍感さを憂いた日。表現できる喜びを感じる日。【インドア目線】

2011年3月11日 14時46分。

その時の僕は、鳥取県の学校の中で
美術の授業で絵を描いていた最中でした。

3階の美術室。鳥取でも揺れを感じました。

ざわつく室内。

しかし僕はもっと小さい頃に、震度6弱の地震
(鳥取西部地震)を体験したこともあって、

「これくらいなら、あの時のほどでもないか」
といった気分で、

一時の不安は、すぐに頭から過ぎ去りました。

いつものように、その日の授業を終え、
いつものように、美術部での個人作品の制作を進め、

いつものように動く伯備線に乗って、
家に帰ってから、テレビで見た映像。


ここから先は、説明の必要もありません…。

自分がいつものように
絵を描いていたときと同じ時間に


同じ日本のなかで起きていたことを、
その夜に初めて理解しました。

自分の鈍感さに、ひどく嫌気が差した一夜でした…。


普段から「雑用が仕事」と言っていた顧問の先生。

翌日から、いつもよりもバタバタしていました。

2011年 全国高校総合文化祭。

「文化部のインターハイ」とも呼ばれる、年に1度の祭典。


実はこの年、開催地が福島県に決まっていた、
その矢先での震災だったのです。

高校球児が「甲子園」、
サッカー男子が「国立競技場」を目指すのと
同じテンションで、

当時の部のなかで、 僕も

「めざせ福島」
ホワイトボードに一筆添えたこと、
この右手が覚えています。

震災の影響もあり、
開催すらどうなの?という議論もあった総分祭。

一部の部門でスケジュール変更したり、
作品発表のみ実施したりしながら、
開催することになりました。

https://www.youtube.com/playlist?list=PL5715C5EF27334692

絵画部門で作品の出展が決まっていた部員のもとには、

「現地に行ってもいいか、必ず親御さんから確認をとってね」と先生から話がされました。

また、先生主導で

使っていない画材を
東北にいる同世代などに向けて贈ろうと呼び掛けがありました。


放課後の美術室に、使っていない水彩セットを持ってくる、クラスメイトたち…。

それらを贈る(託す)日が近付き、

僕たち美術部員も被災地に向けて
メッセージを沿えました。


僕はなにかの歌詞で見た一節、

「やまない雨はない」

確かこんなニュアンスのメッセージを、
絞り出して書きました。

(今と比べて)恥ずかしいほど他人に興味のなかった当時の僕にも、

地震や津波に襲われて
使えなくなった教材、画材、楽器など…

そのニュース映像は、刺さるものがありました。

なかには、一時的に絵が描けないとかじゃない、
もう二度と、絵が描けなくなってしまった同世代だっています…。






「なんと声をかければいいのか…」

正直そんな心持ちのなかで浮かんだ、精一杯の一言でした。


全国各地から被災者の声を聞くために向かった、

臨床心理士さんたちを取り上げたニュースも、
何度か目にしました。

大学生になると、
さまざまな想いを持って、自分から東北に足を運んだ同世代も、珍しくなくなりました。

一方僕は、言語化しきれない、
複雑な想いを抱いています。

『東北に行ったことを思い出にする』
そんな心づもりでは行きたくない…

救助関係の現場で働く人親戚から、生の声も聞いたため、余計に、
「何もできない僕なんかが…」という雑念が先行しました。

そんな理由で、
「現地」へ足を運ぶことのないまま、現在に至ります。

しかし漠然と感じる、
こうして、自分の想いを表現できることへの
喜びやありがたさ。


近々発表する予定の絵があります。
それをテーマにしたわけではないのですが、

この時期に絵筆を取ると、
今でも、あの時間を思い出すんです…。

~終~

読んでいただきありがとうございます。いただいたサポートは、鳥取のアートシーンで活動されている方々を応援する際に使わせていただきます。