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男性にも女性にもなりきれない女の苦悩その1

6歳になったら男の子になる!

4歳の私が自分に課した到達点。

"おママごとセット"の代りに、当時流行っていたボロットを手に入れ、近所の悪ガキ共と追いかけっこをする日々。

こうして男の子と遊んでいれば、6歳には男の子になっているはず!

私は、おママごと遊びに惹かれる気持ちを抑えながら、ひとつの希望を胸に外へ出て行った。

しかし、お気に入りのロボットを取られては泣き、ちょっとした高さから飛び降りることが出来きないと言っては泣いて帰った。

「そんな簡単に男の子になれるわけないだろう? 」

「あの高さが怖いだって?意気地なしだな」

誰かに薄ら笑いをされているような感覚になった。

そして、努力しても男の子になれないということを知るには、多くの時間を必要としなかった。

5歳になった私は思った。

どこかに忘れてきてしまった"あるもの"を取り戻したい。

しかし、男の子と遊んでも一向に"あるもの"が生えてこない

この絶望的な事実だけが、ポカリと宙に浮く。

もう、無理かもしれない…
必死に努力するのは意味のないことなのかな?

男の子なりたいと必死に努力した幼い日々は無常にも過ぎ去り、大きな課題を残したまま、私は小学5年生になっていた。

クラスの男子達は私と目が合っただけで「すみません」と頭を下げる。
睨んだわけではない、ただ、目が合ったけだ。

弱いものイジメをしているヤツ、給食で軽いものしか運ばないヤツ、掃除をサボるヤツ…

「お前さぁ、昨日の給食も軽いの運んでたよね?いつも楽してんじゃん。牛乳か大食缶運べよ、ほらぁ!」

「お前ら、何やってんの?泣いてんじゃん。もう関わるな!あっちに行けよ」

不正やズルさを見つけては、にじり寄る姿はまるで、竹刀を持って廊下を歩く生徒指導主任のようだった。

当時のあだ名は"番長"

いや、いつも高圧的な態度を取っていたわけではない。

むしろ、普段は穏やかで、皆を笑わせるのが好きな庶民派だったと自負している。

休み時間になると、時々エッチな話をしたり、モノマネをしたり、小ネタを披露する私の周りは人だかりができた。

「お笑い芸人も悪くないな」

そんなことを考える、いわゆる"お調子者"。それが私だった。

人間失格の"道化者"と似た何かを有していた私にはもう一つのあだ名があった。

"変態"

私はこのあだ名をひどく気に入っていた。
他にはない特別感がたまらなく、褒められているような錯覚にさえなった。

番長で変態?

変態な番長?

どっちでもいいが、女扱いされていないことは確かだった。

そんな私も恋をしていた。

学年で一番のモテ男Yくん。

この、学年で一番のモテ男のYくんとどういう経緯でそうなったのか記憶は定かではないが、交換日記をすることになり、その噂は学年中に瞬く間に広がった。

当然、女子からの嫉妬をかい度々呼び出された。

「十六夜さん、Yくんの誕生日パーティーに行くんだって?私の方がYくんのこと好きなんだから、その権利譲りなさいよ」

「え?」

「だから、十六夜さんが何で行くのよ。Yくんのこと大して好きでもないくせに!私の方が行くのにふさわしいって言ってるのよ」

「誰をパーティーに呼ぶかはYくんが決めることでしょ?」

くだらない。くだらなすぎる。

女子の嫉妬の理由は本当にくだらない。

私は、こうしたくだらない揉め事に巻き込まれるたびに、女の醜さを思い知り、「だから、女は嫌いなんだよ」と吐き捨てるように、でも誰にも聞こえないように呟いた。

女友達はたくさんいるし大好きだ。

でも、醜い感情をぶつけてくる女性は苦手。

そんなことを思うと同時に、自分も女性の端くれであることを嫌というほど自覚するしかなかった。

同じ頃、初老の男性Mからラブレターを貰った。
20歳になる娘がいるという60過ぎのMからの執拗なアプローチと危うくイタズラされそうになった経験から男性への嫌悪感が芽生えた。

ある種のトラウマを抱えながら過ごした小学校も桜の咲く季節になり、私は"変態女番長"を卒業した。

しかし、男になりたい女が好きなのは男性で、その男性すら嫌悪の対象になってしまった私は…一体…何者なんだろうか…。

※中学生以降ものんびり綴ってまいります

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