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パトラッシュ、もう疲れちゃったよ

いつ見ても泣ける「フランダースの犬」の最終回でネロが言う言葉は
「パトラッシュ、疲れたろう。 僕も疲れたんだ……。 なんだか、とても眠いんだ……」
なんだけど、人生の至るところでこの言葉が脳裏をかすめると言う人は結構多いんじゃないかしら。そうでもないかしら。

私は、かすめる。


言葉はなんか、タイトルのように編集されちゃってるわけなんだけど、頭をかすめる。


念の為に言っておくけれど、私はいまとても幸せです。毎日なんの不満もなく1日が終わっていくし、ああ、ほんとに神様ありがとう、こんな平和な日々をとよく心の中で手を合わせている。
なんというか、しあわせであるということと、疲れているということは、またちょっと別のことなのかもしれない。

というようなことを、先日お友達と昼下がりにうちでカヴァ飲みながら話していたんだったー。

第一線で活躍していた人で、海外派遣から戻って近所のスーパーの惣菜コーナーで働き始めた人がいてね。こんな仕事をするために大学にやったわけじゃないってお母さんが嘆いたそうだけど、お惣菜コーナーに惹かれるその気持ち、めちゃわかるよねー!
大きなタスクとか、重圧とかにもう疲れちゃって、ぜんぜん違うことがしたくなるっていうかー。
なんてね>笑

なんか均等法世代でね、受験から仕事まで頑張って、子育てもして、離婚とかしたりもして、それでもいろいろ楽しいこともうれしいこともいっぱい関わって、まあ、これはなんと十分に充実していたなあと思う。
でも頑張って歯を食いしばって努力し続けた時間は大きかった。その時間はずっしりと体やあたまのどこかに残っているのかなあ、なんて思う。


去年、3ヶ月ほどフランスに滞在して制作をしつつ、展覧会をした。それはおそらく、私が心のどこかでずっと思い続けてきたことなのかもしれないけれど、そこにたどり着くまでに積み重ねてきたいろいろな体験があって、それが導いてくれた結果なのだと思う。
積み重ねている間、ずっとずっと、楽しかった。振り返ってみれば、この10年の間に積み重ねた膨大な時間があった。頑張った分、ごほうびも大きかった。でも、疲れた。それは本当に、めちゃくちゃ疲れた。

フランスで滞在していた友人の家の窓から毎日空を見て、ああ、帰ったら引っ越そうと心に決めた。人生の「窓」を変えよう、と。
それで、引っ越して、いまここにいる。
家を探すのも引っ越すのも、暮らしを変えるのも、何もかもがうれしくて楽しくて、でもやっぱり、大変だった。めちゃくちゃ疲れた。

人生を築くには、人生を変えるには
やっぱり、大きな大きなエネルギーがいるんだなあ、と思う。

だから、
ふと気付くと

ああ、疲れたなあ


と思っている。
それはたぶんネガティブな意味での疲れではなくて
しあわせを積み重ねた結果の疲れなのだろうけれど

でも

これだけの大きさのエネルギーに立ち向かえるだけの力を
いつまで持ち続けていられるのだろう、とも思う。


パトラッシュ、もう疲れちゃったよ。
なんだかたまらなく眠いんだ。



だから、少し休もうかなって思う。
そしたら、また歩く。

まだもうちょっと、歩けそうな気はする。


さて、今日も1日。



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