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それって高いの? 安いの?

いま卵が高騰したり、マヨネーズの価格が跳ね上がって私はびっくりしているんだけれど、ドンキホーテでキューピーマヨネーズ300円超えか、わー、高いなあと私が思う横で、多分「え、私がBio c'bonで普段買ってるのは700円だけど」という人もいるはずで、高いなあ、安いなあと思う地平は、たぶん千差万別なのだと思うー。

それで、20代の頃に母と買い物に行ったときのことを思い出した。母は根っからのおしゃれ好きで、服を買うことが大好きだった。たぶん、何かのご褒美で服を買ってあげる、と言われてデパートに出かけたんだと思う。

私は貧乏学生だったので、普段出入りしないフロアでどぎまぎしていたのだけれど、ロメオジリのきれいな色のブラウスをみつけて、鏡の前で当ててみた。
「似合うじゃない、いいわー」

値札を見たら、3万5千円ぐらいで、その時2人が上げた声が

「あら、安いじゃない。いいわ、それ買ってあげる」

「たかいっ!」

だったことを今もよく覚えてる。

母は、3万円のブラウスはちっとも高くない、普通だと言う。
私は、ブラウスに3万円払う気はしない、買ってもらうにしてもそんな価格のものは必要ない、と言う。
じゃあ、何になら3万円払うの? と母がいうので
気に入ったお皿があったら迷わず払うと答えたら
母は、お皿に3万円なんてバカみたい、と答え
じゃあ、お皿一枚に払うお金の限度はいくら? と聞いたら
1万円以下! と即答が返ってきた。

ほんと、ものの値段の相場は人それぞれで、おもろいー。
その人の価値観みたいなものが、ダイレクトに反映される。

まあ、そんな風にそれぞれなんだから、他人の金銭感覚にとやかく言うのは、野暮なことだなあとも思う。


その頃から何十年も経って、服とかお皿とか、私の物の価格の相場はいろいろ変わったけれど、途中からフリーランスでシングルマザーで子育てという状況になってからは、日用品の価格相場はかなり下がった。
会社員のように月ごと、年ごとの収入の予測がまったくつかないので、仕事が無くなったり、自分が病気にでもなったら1発アウト! という危機感がずっとあった。1人路頭に迷うのはいいけれど、子供は食わせなくてはならぬ。だから、いざという時に備えて無駄に使わないようにと、心のどこかでいつもセーブをしていたのかもしれない。そんな習慣が、いつの間にかついちゃった。

何もかも我慢していたわけじゃなく、せっせと使った分野もあったけれど、暮らしの根っこのところは締めておこう。そんな数十年だった。

それさ、そろそろ変えてもいいんじゃないのかなあ。
自分の下着とか持ち物とか、日用品にいいものを揃えてもいいんじゃないかしら。

このところそう思って、いろんなものを揃えようとしているんだけど、いざこれまでより高いものを買おうとしても、なんかぜんぜん楽しくない>笑
それより旅行に行くとか、美術展や映画を見るとか、誰かの陶芸の作品とか、用途がよくわからないような飾り物を買うとか、そんなことに使うほうがずっとわくわくしてしまう。
結局、お金の使い方というのはあまり大きくは変えられないものなのかなあ、なんて思うこの頃なのです。
自分が使いたい場所に、きちんと使う。それでいいのかなー?


余談だけれど、知人の話で、親から遺産相続を受けてお金持ちになっちゃったー! という人が、いったい何に使ったんだ? とよくわからないうちにどんどんお金がなくなってしまったんだって。
どうして? と思ったら、お金持ちになった! と思ったところで、日用品が数ランク上のものになってしまったんだと。
たとえばこれまで1000円ほどのオリーブオイルを使っていたのに、5000円のオリーブオイルを買うようになる(いや、確かにおいしいけどね、あれはね)。買い物をする店も変わり、毎日使うお金が割増で高くなっていき、収入は同じなので貯蓄が崩されて消えていく。
そんなこんなで、お金ってあっという間になくなっちゃうんだよーって>苦笑


お金の感覚は、本当にそれぞれでおもしろい。
お金に関しては「エッジ」という言葉が私にはぴったりなんだけど、そのあたりもまた書くかもしれないですー。

今日はこのくらいで。





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