源氏物語の作者について

『源氏物語』の作者は紫式部というのが通説ですが、実際に五四帖すべてが紫式部の作品かというと古来様々な説があります。

国学を大成した本居宣長は『源氏物語玉の小櫛』の中で「たゞ紫式部作れりといふほかは、みなうけがたし、又末の宇治十帖は、式部が作れるにあらず、といふ説あれど、ひがことなり」と述べ、ただ紫式部の作とするのが正しいと述べています。

これに対し、例えば一条兼良の書いた『源氏物語』の注釈書『花鳥余情』には藤原為時がこれを作り娘の紫式部が細部を描いたとする説、四辻善成の『源氏物語』の注釈書『河海抄』には藤原道長が加筆したものとする説、或いは他にも光源氏の死後を描いた宇治十帖は紫式部の娘である大弐三位の作であるとする説などがあるようです。

作家の円地文子氏も『源氏物語』を全訳した後に書いた文章で、宇治十帖などは別の作者によるものではないかと述べられています。

私個人としても宇治十帖の作風については若干の違和感を感じているのですが、専門家ですら決着のつけられない問題を素人が扱っても仕方ないのかななどと思いつつ。こういう謎に包まれた部分も『源氏物語』を惹きつける魅力の一つなのかもしれません。

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