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小説「命の消費」

この肉が目を持っていた時に、何が映っていただろうか?と思いながら薄く削いだ鹿のローストを味見した。しっかり塩を振ったつもりだがかなり薄かった。その分肉の味と言うのか血の味と言うのか、いや、きっと違う。この生き物が食べたものの味がしているのだな、と、思った。生き生きした眼球を持っていた頃に、鹿は何を見ただろうかと再び考えてもうひときれつまみ食いをした。下処理があまくて硬い筋が残っていたが、まあいいだろう。きっと最後に見たのは、剣呑な黒い筒じゃないはずだ。この町には山も海もある。木の葉から覗く、灰色の雲や青緑の海を眺めて、そして、撃たれたんだろう。これが生命の消費なのだな、と指に付いた肉汁を拭きながら私はなお考えた。落ち葉を踏み分けて、木の実を食べて、恋をしては鳴き交わして、そういう、生命が私に消費されたのだ。ゲージの中で太る鶏の目線になったことはなかった。水槽の中の魚の目線になったことはなかったのだ。目に影を宿すこと。それが生命の定義ではあるまいか。

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