謡ふ酒屋樗堂一茶/烟しての巻
日常平語
17
二人がふたり足を投出し
地蔵切るあたりは花の散すまし 茶
初ウ十一句、地蔵さんお地蔵さん、花散る里のお地蔵さん。
〇
地蔵 ぢざう、石造の地蔵菩薩。(身近なほとけさま)
切る きる、「地蔵切る」で、石の石造を刻むこと。
あたりは 辺り・は。(辺り一面のあたり)
花の はな・の、花盛り。
散りすまし ちり・すまし、散り+「済まし」の連用形で、すっかり散ってしまったなあ、と。
〇
ふたりが ふたり あしを なげだし
ぢざうきる あたりははなのちりすまし
シンクロした身体は、草木虫魚になり、野辺の石造にもなり、<もの>になる。あたり一面、桜花舞い散る世であることよ、と。詠う花の定座の一句でした。
〇
「地蔵切る」は、前句と同様に、説明ではなく身体感覚として理解すべきと考えています。
あたかも、己が身体を刻み、写し出すかの如くに、、、、。
芭蕉に
己の火を木々の蛍や花の宿
近代の句に
影を己へ刻む青葡萄雲の峰 昭彦
04.12.2023.Masafumi.
余外ながら
「僕は馬鹿になった」祥伝社(2000)
右目
ビートたけし
僕には、右目で物を見る癖が有る
それは子供のとき
家にお客が来たり、外で母が他人に会ったりした時
僕は必ず、母の腰につかまり、後ろから顔を覗かして
相手の人を見てたからだろう
だからか、考え方も右よりのような気がする
でも事故でその右目も傷み、霞がかかってしまった
ヨウブンは「柳田さんの場合には、民族構成というのものは、最後の『海上の道』で追求たように、祖型を一つと考えていたと思うのです。折口さんの場合には、これは複数と考えていたのではないか。何度もそうした民族の波及があったのではないか、渡来があって成立したのではなかろうかということですね。」
村武精一・坪井洋文対談「日本文化研究をめぐる方法的争点ーーあらたな出発点としての回顧と展望ーー」『季刊社会科学』第12号(1968)
なんだ、なんだ、なんだ??
2002 Dolls Dolls Dolls
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