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自分が絶対に賭け事をやらない理由。

町外れにあったロードサイドの中華屋。
メニューが多くて味が本格的だったこともあり、二階の大広間も含めていつも大勢の客で賑わっていた。
40代と思われる愛想の良いご夫婦が切り盛りしていて、妹が入院していた子供の頃、残業帰りの親父とたまに通っていた。

「最近行ってないからまた◯◯(店名)に行きたいな」

親父に言うとその表情が曇る。

「うーん、ちょっと雰囲気が変わったみたいだからなー」

親父は詳しくは言わなかったが、同級生たちの話を総合すると、その町中華のご主人が博打にハマり、以前ほど仕事に身が入らなくなっているとのこと。
そして店を閉める時間が早くなり、二階の大広間は賭場になっているらしい、ということだった。

そんな話を聞いてから数ヶ月、店はあっという間に潰れた。

噂ではご主人は賭けに負けて払えなくなった巨額の借金の見せしめに身体の一部を欠損された後に地方の飯場に、奥さんは東京の風俗に売られたとのことだった。あくまでも噂だ。

好奇心しかなかった自分は友人たちと自転車を飛ばして、その中華屋に行ってみた。
一階のガラス戸からは店内の様子が見えたが、椅子やテーブルがひっくり返り、床にはグラスや丼のかけらが散乱していた。
寒気がした。あの大勢の客で賑わっていた町中華がものの数ヶ月でこうなってしまうのかと。
友人たちも無言で店内の様子を見つめていた。

十数年後、自分は旅行先のマカオでドッグレースになぜか熱くなり、「もうひと勝負だけ...」と残り金を全部投入しようとしたことがあるが、あのガラス戸から見た記憶が歯止めになった。
あれは多分自分が人生で初めて見た"地獄の風景"だったように思う。

ギャンブル依存というのは金額の大小というより、脳内報酬系の機能異常だ。
趣味として、嗜みとして博打に携われるのは数%、ごく一部の人だけで「俺はそういうのコントロール出来るから大丈夫」という人ほど深みにハマっていく。
真面目な人ほど、律儀な人ほど。

色川武大や伊集院静、浅田次郎など、ギャンブルとうまく付き合っている作家のエッセイを読むと、その愉しみを存分に味わっている気がして心底羨ましいと思う時もあるが、自分にその才能は皆無なので出来れば一生無縁でいたいと思っている。

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