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推しの物語と、内部の語り部たち

前回の続き。
(読んでくださった方、ありがとうございました!)

推しの隙の向こうを見ようと目を凝らすのは、日常とか生の生々しさのためだけじゃない。

たとえば、物語性。


物語が持つ麻痺の力

物語は我々を酔わせて麻痺させる力がある。

たとえば音楽。
音楽はときに私たちを物語の主人公にして、悲しみや不安を麻痺させる。

服や化粧品、小物、部屋のインテリアもそうかもしれない。
そういうものは自分を酔わせて演出したい何かにしてくれる。

そのとき、自分の見たくない一面は覆い隠してくれるかもしれない。
それも麻痺だ。


酔わせてくれるのは自分にまつわる物語だけじゃない。
推しの物語もそう。
何かに夢中になっているときは、ほかの何かを忘れられる。

推しをどう推すかは、人によって違う。
憧れたり、自分と同一視したり、いろいろだ。

推し方がどうであれ、心を注いでいる人の物語にも、私たちはちゃんと酔える。


かつて、おるたなの物語はセレモニーだった

だけどおるたなに酔うのは、難しい。
いや、仕組まれたように酔うのは難しいと言うほうが正確か。

そういう物語を仕掛けるときはあるけれど、どこかセレモニー的だった。
つまり、布団をかぶってみっともなく泣きながら見るようなそれではなく、たとえば卒業式とか結婚式みたいな。

襟を正した場所で、ぐでぐでには酔えない。
だから帰ってからこっそり、一人でたくさん飲んで泣くのだ。
そうしてはじめて、芯から酔える。

ていうかむしろ、おるたなはセレモニー的なものがうまい。
うますぎるとも言える。
(こういうところもYouTuber的じゃないなと思う)

結局そういうキャラクターなんだと思っていた。
そしてそれを楽しんでもいた。
YouTubeという新しいプラットフォームでセレモニーをやるという隙の、その隙間にあるであろうものに酔う。

(渋谷ジャパンさんのほうだったと思うけれど、某後輩クリエイターのセルフプロデュースを褒めてたことがあった記憶がある。逆に言えば、自分たちのセルフプロデュースに甘さを感じていたということだろう。たぶん)

おるたなはセルフプロデュースが甘い。だがそれがいい。

そう思っていた。
何年か前までは。


語らない推しを内部から語る人たち

①「#タイガ目線のおるたな」

様子が変わってきたきっかけは、後輩がチームに加入してきてからだと思う。
特に最初にメンバーとして加入したタイガくんの力は大きかったと思う。

ずっと二人でやってきて二人で200万人以上の規模にまで育て上げてきたチャンネルのメンバーに加入することは、ものすごい重圧だったと思う。
当時、後輩を何らかの形でチャンネルに出すことは結構メジャーなやり方だったと思うけど、たいていは高校とか大学のリアルな後輩だったりした。
でも、タイガくんとおるたなの間にはそういう誰から見てもわかりやすい物語はなかった。
(結果、時間をかけて作りあげてしまったのだけど)

そんな中でタイガくんがSNSで「#タイガ目線のおるたな」タグでつぶやきはじめたとき、私は歓喜した。
物語の作り方も日常の見せ方にも隙のあるコンテンツで、質の高い「日常パート」をやってくれるなんて。
このとき、この人はオタクの喜ばせ方を知っているな、と思った。

このタグはもう使われていないし、使う必要もない。
もうとっくに、「一番近くから見ているファン」みたいなキャラ付けなんて不要だ。

だけどタイガくんの「見せ方のうまさ」は、今も確実におるたなというコンテンツにいい影響を与えていると思う。


②チームおるたなの記者、オックン

三人目の後輩、オックンはおるたなともその前に加入していたTK兄弟とも毛色が違っていた。

二年前の自分が言いたいことを全部言語化してくれていたので、貼ります。

要は、それまでの四人で作ってきた雰囲気をかき回すことなく、新たな風を入れてくれたのがオックンの存在。

オックンの力のひとつは、誰よりもわかりやすい言葉の力だと思う。
「ツッコミ」という役割もその一つで、加入してしばらくはめちゃくちゃ動画内で忙しそうだった印象。

(余談だけど昔こんな本読んだ。ツッコミとはわかりやすさであり、わかりやすさとは愛なんだ)


おるたなは自分たちの軌跡を物語として、自分たちの性質をキャラクターとして、わかりやすく提示するのが決して得意とは言えない人たちだと思う。

(たまにある「あれって何だったんだろう?」となる動画の一つ)

オックンが自らを「記者」だと自認していたのはどの動画(もしくはSNS?)だったかは忘れてしまったけど、オックンはときどきほかのメンバーについて自身のサブチャンネル「オックンのモーニングコーヒー【朝活】」で語ってくれている。
オックンにしかできない立ち位置で。


そして、近頃の変化

優秀な語り部たちを手に入れたおるたなは、確実に変わってきている。

自分たちで自分たちの物語を、ここまで語ってくれる日が来るとは思わなかった。

より大人になったからというのもあるかもしれないけど、きっと後輩ズの影響もあると思う。
わかりやすく語り、見やすく提示してくれるスキルをチャンネル自体がうまく吸収している。
さかしい、もとい、かしこい人たちだから。

だけどね

わかりやすさとは愛。
けれど、わかりやすさのためには、得てして細部が捨象される。

その捨てられた要素すら、なんだか惜しく感じてしまう。
それを拾い集めてこねくりまわして形を作り、またわかりやすさという愛のスポットを浴びせてを繰り返すことで、きっと語りは深まっていくのだと思う。

だからこれは、改めて語りませんか、という遠回しなお誘いでもあります。
一人で語れることなんて、たかが知れているのだから。


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