『ゾンビつかいの弟子』の感想

※以下の文章は予告なく加筆・修正される可能性があります。
※感想内に多少のネタバレが含まれます。純粋に作品を楽しみたい方は、先に『ゾンビつかいの弟子』を読むことをお勧めします。

 フォローしている「森とーま」さんの長編が完結し、私も楽しく最後まで読ませてもらったので、簡単な上あれこれ寄り道している感じの文章で申しわけないが、感想を残しておこうと思う。

 まず、どう読んでいったかを話しておこう。
 たぶん、私は第一章からきちんと読んでいなかったんだと思う。その記憶と自信が無い。
 初見ではけっこう飛び飛びに読んでいたようで、ゾンビが頻繁に出てくる章だけ集中して読んだり、また読まなくなったりしていたような気がする。ストーリーの方向性が見えにくかったせいもあってか「スキ」を付け忘れることもあったはずだ。そのせいか、内容に関する記憶にもムラがあった。
 例えばヒロインのビィのことは「あ、この子がそうなのか」と後から認識したぐらいだったりする。きっと、彼女が主人公と一緒にいる章をサラッとしか読んでいなかったんだろう。

 それでも気になって読み進めたのは、やはりタイトルに「ゾンビ」とあったからだろう。なにしろ私はゾンビ映画が大好きなのだ。
 マニアというほどではない。ホラー映画好きの延長上で、そのジャンルのひとつとしてゾンビものは好きなほう、という感じ。
 いわゆるゾンビものの元になった作品を始めとして、有名な作品以外も好きだが、より変化球的なもののほうを好む傾向にある。あのジャンルに付きもののいくつかの「お約束」が好きだし、作品ごとにそいつをどう扱っているかにも興味がある。
 また映画のノリをルールで再現したゾンビのボードゲーム(これがまた、山ほどある)も大好きだ。ただ、バイオハザードなどのゾンビが出てくるビデオゲームはほとんどやったことがないし、有名なドラマ「ウォーキング・デッド」は見ていない(理由はハマると面倒臭そうだから)。
  それに、考えてみるとゾンビの小説はあまり読んでない。
 だから「ほう、ゾンビの小説か~」と興味を持った。
 で、作品を読み始めたとき、「うんうん、もしゾンビものを書くことにしたら私も一人称の文体を選ぶだろうな~」とか思ったのを憶えている。
 たぶん「主人公がどこまで人間でいられるか」を書きたくなるからだ(いや、これは私が書いたらの話であって森さんがそうだという話ではありませんよ)。ゾンビものの大切なテーマのひとつは「どこまで人間でいられるか」だと思うからだ。大半のゾンビものでは「お約束」としてゾンビは人をゾンビにして増殖する。噛まれたら、傷ついたら、体液が体内に吸収されたら……など細かい違いはあるが、ともかく人間の登場人物たちは常にゾンビになる危険性と隣り合わせなのだ。自分がいつ、濁った目をしてうなり声をあげ、反射的に人を追い回す腐った死体に成り下がるかわからない。
 成り下がる──と書いたが、これもかなり人間側の勝手な上下関係だ。ゾンビものの作中では人間でい続けることはとても辛く困難がつきまとい、誰もが疲れ果て、追い込まれていく。むしろ、ゾンビになってしまったほうが楽な気がしてくるくらいにだ。
 ただ、やっぱりあれは「成り下がる」感がある。もういいや……とあきらめてゾンビの列に加わる感じがそう思わせる。吸血鬼もので吸血鬼になってしまうのとでは、似ているようでけっこうちがうのだ。

 などという私のゾンビ観とは裏腹に、「ゾンビつかいの弟子」には、なかなかゾンビが出てこなかった。主人公がいつネクロマンサーの修行を始めるのか、などと思ったりもしたけどそんなことはなかった。
 これはもしやゾンビものではないのでは……と思いつつも興味を失わなかったのは、主人公の伊東と神白の道中に、あきらめに近いものを抱きながらも淡々と進み続ける、ゾンビものロードムービーのあの空気が感じられたからだ。

 普通のゾンビものでは、ゾンビが急速に社会を崩壊させ、生き残った人間たちが次々と人間性を失っていく。
 この作品でも「実はゾンビではなかった生体兵器」は、感染などしないプログラムで動くロボット(彼らが死体を改造したものなのか、生きたままコントロールされているのかは、ストーリー上の焦点となっていく事柄だ)なのに、彼らはじわじわと社会に浸透し、これまでの日常を破壊していく。
 ゾンビのようにそれ自体が増殖して短期間で崩壊させるのではないが、ゆっくりと人間たちが自壊していく恐怖がある。一見、政府も理性的に対処しているように見えるのだが、まったく信用出来ないし、地方が無政府状態になっていく感じはゾクゾクする。みんな、果たしてそれが正しい対処なのか誰もわからず、わからないままに順応していく感じが。
 もしかして、それがゾンビを放った連中の狙いだったのではないのか……みたいな、そんな感覚にもなってくる。
 ゾンビ狩りと称して人が人を襲う社会現象といい、生体ロボットへの実験といい、主人公が「自分が人間でいられるには何が必要なのか」を探し続けた物語なのだと思うと、やはりこれはゾンビものであったのだなあ、などと思うのだ。

(その他のこまごまとした感想)

 文体と話の進め方について。
 伊東や神白の会話の様子や、淡々とした描写が、どこか眉村卓の描く歪んでしまった社会が舞台の作品を思い出させてくれて、私は心地よく読めて楽しい気分になれた。
 みんな淡白なんだよね。あと返しがストレート。でもそこがいい。

 少々心残りだったのは、こまごまとした部分があまり説明されないこと。
 これは、あくまでも私の嗜好の問題なのだが、「ちょっとでも引っぱり出された事柄」はあとあとまで気になってしまう。
 読み手とは(いやまあ、私の嗜好というだけで一般論にするのはあんまりよくないが)、ストーリーのいろいろな事柄に対して、なんらかの説明を欲しがる生き物なのだ。
 例えば、伊東の高校の教師。かなりいい人っぽいのだが、ストーリー中では唐突に出てきて唐突に去っていく。もちろん、伊東の主観で書かれたお話なのだから、あのときだけ彼の人生でクローズアップされただけなのだ──と言われればそれまでなのだが。
 ただ、伊東の亡くなった妹の話は、もう少し知りたいところではあった。あと、お父さんのことももう少し知りたかった。家族が、妹についてなんらかの話をするシーンが出てくるかと思っていたのだ(あ、待ってよ、どこかであった? 読み逃している?←心配になってきた)。
 あと、T大のことが気になった。T大と書かれると、大半の人は東大を連想してしまうのではないだろうか。しかし、「T大ってことは実家?」というセリフや、伊東が、練馬が東京かどうかピンときてなかったりするくだり見るに、どうもそうではないっぽい。だとすると、なんかややこしくなるな……と思ったのだ。

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