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Footwork & Network vol.16 no.1 常に漂う

焦りと不安

去年の2月末くらい。世間ではコロナウイルスの脅威が徐々に広がっていき、安倍前首相が全国の学校に臨時休校の要請を出して緊急事態宣言が出るとか出ないとか言われていた頃。騒々しい世間とは対照的に、僕は実家で「無」の日々を送っていた。
あまり記憶がないというのが正直なところだが、未来に対する得体のしれない焦りと不安から、とにかく色んな事を頑張ろうとしすぎてしまったために自分自身をコントロールをできなくなり、何かをしようとしても身体が動かなくなった。医者からしばらく休むように言われ、何も考えれなくなった。入っていた予定を全てキャンセルし、アルバイトなどもお休みさせてもらった。情けなさしかなかった。

3月末くらいになり、少しずつ体調を取り戻し始めてはいた。しかし、コロナウイルスの影響で大学の授業がいつ始まるかも不明で、こんな状況の中でどうやって「やりたいこと」をやっていくかもわからずにいた。そんな時、ゼミで2020年度の方針について話す機会があった。そこで先生が言った言葉が、「学びを止めるな」という言葉だった。世間では、大学の授業は対面がいいとかオンラインでもできるとか様々な意見が飛び交っていて、僕たちが学ぶ環境がこれからどうなっていくのかはわからない。もしかしたら、今までとは全く違ったスタイルになるかもしれないし全てが未知だ。でも、どんな状況でも「学ぶ」という姿勢だけでは持ち続ける。その言葉を聞いた瞬間、何故かはわからないが今まで肩の力がすっと抜けた気がした。そして「学ぶ」という言葉が僕の頭の中で何度も繰り返された。

そんな時、ある募集を見つけた。インターネットを活用して最先端の取り組みを行っている高校での、アシスタントのインターンだ。塾講師などのアルバイトをしたことはないし、受験したのももう2年以上前のこと。科目の勉強を教えれるかどうかは不安材料ではあった。しかし、「学ぶ」という言葉が頭の中で繰り返されているその時の僕にとっては、このインターンがこれ以上ない場な気がした。すぐに応募して面接をしてもらい、すぐに一日後には採用の連絡が来た。正直なところどんなことをするのかは全くわかっていなかったが、新しい取り組みが行われている教育の現場で、生徒たちはどのように学んでいるか見てみたいという興味が一番だった。その高校もコロナウイルスの影響で授業開始が遅れてしまったが、5月からオンラインで授業が始まり、僕は実家からオンラインでの勤務を開始した。

「やりたいことがないんですよね」

そうして始まったインターンの日々。徐々に仕事にも慣れ、キャンパスでの勤務も解禁されたことでたくさんの生徒と話す機会が増えていった。ある日、休み時間に生徒たちとしていると、「やりたいことがわかんないんですよね」とボソッと呟いた生徒がいた。その時、僕は大きな勘違いをしていたことに気づいた。この高校は、大学生の僕からしたら「こんなところで学びたかったな」と思えるくらいに素敵な環境だし、それを活かしてどんどんチャレンジしていく生徒もいる。しかし、それは僕がキラキラしているところしか見えていなかっただけで、ほとんどは普通の高校生。将来が不安で、とりあえずその時自分が知っていたことを「やりたいこと」という風に偽って大学選びをした高校の時の自分と同じ。素晴らしい環境にいることは間違いないと思うが、だからといって何か特別ということは全くないのだ。

「やりたいことがないんですよね」という言葉に対して、僕は何と答えるのが正解か、何とアドバイスするべきか必死に頭を駆け巡らせた。しかし、どれだけ考えても目の前の生徒にとって有益なことを言える気が全くしなかった。そんな時にふと「そんなのおれだってわかんない」と呟いた。特に深い考えがあったわけではないが、気づいたらそう発していた。何故この言葉がでたかはわからない。でもこの言葉はまぎれもなく僕の本音で、心の底から出た言葉という感覚があった。

この言葉をきっかけに、僕は「教える」ことを辞めようと思った。ちょうど同じ時期、経営組織論という授業を受けていたことで、僕は「学ぶ」ことに関してそれなりに知見を得た気になっていた。そしてそれを「教える」ことが生徒にとっていいことだと。しかし、そんなのは僕の自己満足でしかないし、そもそもその知識を納得して僕が実践できているのかと言われればそれはまた別の話。その知識がまだ自分事になっていなくてどうすればいいか分かっていなかったから「そんなのおれだってわかんない」という言葉が出たのだ。

キャリアと「やりたいこと」

よくよく考えてみると、職員の先生方もあまり「教える」ということをしているイメージがない。もちろん授業をすることはあるのだが、それよりも生徒と面談し雑談などもしながら一緒に進路やキャリアについて話していることの方が圧倒的に多い。では、そんな先生方が自身のキャリアや「やりたいこと」なるものとどのように向き合ってきたのだろうかが気になり、2人の先生にインタビューを行うことにした。

まずインタビューを行ったのはOさん。以前は離島で働いていたと聞いたことがあり、個人的にどのようなキャリアだったのかとても気になったのでお話を伺ってみた。東京生まれ東京育ち。高校卒業後は都内の理系大学の理学部に入学するものの、入学直後に学校の雰囲気や「ここは社会のために学ぶ場ではなく、ひたすら知的好奇心を満たす場」という言葉を聞いて、来る場所を間違えたと思ったそうだ。そこから大学4年間、悶々と過ごし、周りの流れに身を任せる形でそのまま大学院に進学。しかしやはり大学院での勉学も楽しく感じられずに半年で休学。その後、知り合いからの誘いで地域おこし協力隊として離島で公営塾の立ち上げに携わり、任期の3年を過ぎてからもその地でコーディネーターとして2年間働いた。そして離島で過ごして5年たち、東京に戻ることを決意し、転職。現在の職に至るそうだ。

これまでのキャリアを語ってもらった中で、印象的だったのは「流れに身を任せて」「自分で決断できなくて」という言葉が何度も出てきていたことだ。大学院に進むことを決めたのも、周りの友人をほとんどが大学院に進むから。一見大きな決断に見える離島に行くという選択も、目の前の状況からか逃げたかった時に知人から誘われたからというだけだそうだ。一体何がOさんをそうさせていたのだろうか。
「本当にやりたいことや本当に自分に向いていることがあるんじゃないかと思ってた」Oさんはそう語った。「やりたいこと」という言葉をよく聞く。何か人には「本当にやりたいこと」なるものがあって、「やりたいことを仕事にする」ことが立派なことだと。もちろんそのような考え方もあるし、そのように生きている人は素敵だなと思う。しかし、必ずしも「本当にやりたいこと」というものがあって、それと巡り合えるかなんてわからない。そもそも、それがやりたいことかどうかなんて、実際にやってみないとわからないことなのではないだろうか。Aさんが「決断できなかった」と語っていたのは、その「やりたいこと」という正体不明の呪縛にあったように思える。

そんなOさんが、流れに身を任せたわけでもなく、誰かの誘いでもなく、自分で決断して選んだというのが今の職だそうだ。Oさんがそう感じることができたのは、「やりたいことを仕事にしなければならない」という呪縛を解き放ち、まずは自分の能力でできて、誰かの役に立つかという考え方で仕事を選ぶことにしたからだそうだ。どこにあるのかわからない、もしかしたらあるかどうかもわからない「やりたいこと」に囚われるのではなく、現在の自分と社会との接点の中で居場所を探る。その考え方のシフトが、Oさんを動かしたのだろう。

次にお話を伺ったのはHさん。今年度の秋から僕が所属するキャンパスに来られた方で、まだじっくりお話はしたことがなかったのだが、時々される過去のお話が衝撃的なものが多く、この場を借りてお話を伺うことにした。
九州出身で、中学校の頃にオーケストラの団員になりたいと思ったことをきっかけに地元の音楽大学に進学。しかし、音大の先輩を見てみるとそのまま音楽の道でそのまま食べていくことがイメージできずに退学した。その後はシェフになりたいと思うようになり飲食店でアルバイトを続ける生活を送った。しかし、また大学に行きたいという想いが生まれ結局地元の大学に通い教職の資格を取得した。そこから、東京の中学校で英語の教師として働いたが、とにかく仕事が大変だったこともあり2年で退職。その後、表現者としての血がまた騒いだのだろうか、ミュージカル団員をやりたいという気持ちが生まれ貯金を切り崩しながら半年間で5本も舞台の経験したそうだ。貯金がなくなりそうになってから、翻訳のアルバイトなどで食いつなぎながらミュージカルを続けるも、役者としての限界と、やりたかったことをある程度やり切ったという気持ちも感じたことからミュージカル団員はそこで辞めた。そして、英語の教師としての経験が活かせる点と待遇の面から今の職を選んだそうだ。その過程で他にも様々な苦労があったそうだが、これだけ見ても普段の穏やかな雰囲気からは全く想像もできない、「波乱万丈」という言葉がよく似合う過去に思える。

Hさんのお話を伺って抱いた印象は、Oさんとは真逆。音大に入っても中退してシェフを目指したり、教師という職も一度は捨てミュージカルに挑戦するなど、その時の自分の好奇心に素直に選択しているように思えた。好奇心を追い求め続けるために、傍から見れば「安定」している状態を捨ていばらの道に突き進み、自分が納得いくまでやってみる。話を聞いてる僕からすると、どう見ても絶対に苦しそうな状況の時も、特に苦しいとは感じなかったそうだ。一度英語の先生を辞めたのは、仕事の大変さやご家庭の事情もあったらしいが、そこからいきなり収入がない生活を選択できるのは普通の人ならそれなりの勇気がいるように思える。Hさんがすごいのは、自分の好きにここまで熱中できることももちろなるが、それよりも不安定な状態に身を置いても自分らしさを失わないところのように思う。

学びとキャリア

生徒の言葉や、職員の先生方の話を聞いて改めて思う。「やりたいこと」とは何なのだろうか。果たして「やりたいこと」があることが立派なことなのか。一年前、体調を崩してしまった時の僕は、かつてのOさんのようにこのやりたいことの呪縛に囚われていたように思う。やりたいことがあると偉くて、持っていない自分は何も考えていない自分。だから早くやりたいことを見つけなければならない。そんな考えが、僕を混乱させていたのだと思う。もちろんHさんのように「やりたいこと」があって、それを実践できる人は素晴らしいなと思う。でも、それが上手く以下なった時に、無理に「やりたいこと」を自分のキャリアに当てはめようとするのは、どこかで歪みを起こしてしまうようにも思う。「やりたいこと」と言ってしまうとどうしても固定的な意味合いで捉えられがちだ。そうではなくて、ある意味もっと緩く考えてもいいのではないだろうか。そのヒントが「学ぶ」という言葉にあるように思う。

「学ぶ」というと、例えば「経営学を学ぶ」とかのように他動詞として使われることが多く、それは新しい知識をみにつけたり、スキルとして何ができるようになることを意味で使われることが多い。つまり何か外向きの対象があって成立するものということだ。もちろんそれも学ぶことの一つなのかもしれない。でも、もっと広い意味で考えてみると、学ぶということは不安定で曖昧な自分を受けいれ、新しいものや今までとは違ったものを取り入れながら変わろうとする姿勢をもつことではないだろうか。その意味では、「学ぶ」という言葉は自らの状態を表している言葉にもなりうる。生徒のやりたいことがないという言葉に対して、「そんなのおれだってわかんない」と言えた時、僕は学ぶための第一歩に立てたように思う。それは「やりたいこと」を軸に自分自身を固定的な存在として捉えるのではなく、「学んでいる」という流動的な存在として自分自身見つめれようになったからだ。これは一学生としての学びだけではなく、これからキャリアを築いていく上でも大きな分岐点になるように思う。

OさんとHさんのこれまでのキャリアの話を聞いていると、タイプ的には真逆の過去を歩んでいたように思う。しかし、一つだけ共通点があった。それは未来に対する考えだ。Oさんは、将来的にもっとできることを増やしたいという思いから最近になってプログラミングを始めたり、現時点で転職するつもりはないが、自分自身を客観的に見つめるために転職活動も少し行っていくそうだ。一方Hさんは、複業申請をしたり、ブログでの発信などにも挑戦し始めたそうだ。正直なところ、2人ともわざわざそんなことしなくてもこのまま稼いでいけるのでは?と僕からすれば思うが、2人の頭の中に「安定」という二文字の気配が全くない。

去年の経営組織論Ⅰで、「ボーダレスな時代のキャリア」というテーマで神谷俊さんがお話してくださったときの言葉が、僕の頭の中に強烈に残っている。

「常に漂い続ける」

そしてこの言葉を聞いた時の僕の感想が残っていた。

「自分も含め、多くの学生は何者でもない自分に対して不安を覚えているのかと思いますが、そのような何者でもない自分を楽しめるような考え方になれば『今』を生きることができるのかなと思いました。何者でもないからこそどこにでも行ける、そうポジティブに思えるようにしていきたいです。」

キャリアを語っても、学びを語っても同じ。VUCAと呼ばれる変化が激しい時代の中で僕たちができるのは、固定的かつ安定的な何かにすがるのではなく、何者でもない自分を受け入れて変わり続ける勇気をもつことだけだ。もちろん不安はあるし、一寸先は闇かもしれない。でも僕には共に学んでいける仲間がいる。またインターン先の高校生には、僕たちアシスタントがいる。教えるなんて大層なことはできないけど、共に歩んでいくことはできる。そうやって色んな人と助け合いながら、僕はこれからも漂い続ける。


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