匿名性の高低について

神戸にきて、住み始めるなかで、PTA役員も引き受けています。知り合いがほとんどいないこともあって、いろんなひととつながりたいという思いから、PTAをやってみようと思いました。

とはいえ、PTAはお母さんの社会。僕だけが男という場面も普通にあります。そんななか、お父さんの集まりがあるようで、初めてみなさんと対面しました。そして今日は、お父さんたちの飲み会。お祭りのこと、それぞれのこれまでの人生、仕事のことなんかを話していました。

ここで感じたのは、久しぶりに匿名性の低さ。神戸にきて、基本的には自分が何者かということは誰もわかりません。匿名性が高い状態が続いていた。岡山の中山間地域に12年住んでいましたから、匿名性はほぼなく、僕が何者かがわからないどころか、バレまくりの毎日が続いていました。だから、久しぶりに匿名性の低い状況になって、なんか帰る場所に帰って来た感じがしてホッとした。自分のことに興味を持って話を聞いてくれるだけで、存在していることを感じられるというか。

この匿名性の高低ということを意識したことなんてなかったのですが、いなかにいたら、都市のカフェに行って紛れたくなることがありました。そうしたことを、場所を変えずにできるということは、地方都市の強みなのかもしれません。

「生きづらさ」という言葉がものすごくたくさん使われているけど、匿名性の高低を意識して、気分によってそれを積極的に切り替えることは、都市ではやりやすいと思うのです。都市はギスギスしていると思われがちだけど、いなかからすれば、そこは本当に恵まれているんじゃなか。そんなことを最近感じています。

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