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4-1.道具としての青銅器の役割

 銅鐸が鳥除けの道具だった!?

 そんな馬鹿な話があるだろうか。これまで数々の研究者が銅鐸の謎に挑んできた。中には一生の仕事にした方も当然いらっしゃる。だが、その研究の中にも、鳥除けの道具なんて説はまったくなかった。いや、あってたまるか、馬鹿にするな!と、真面目な方なら怒りだすだろう。至極、当然だ。

 そこで、どのようにこの出雲の地で再葬が行われていたのかを想像し、可能な限り再現してみたい。そして、その中から青銅器の使用方法を考えていこう。

 それでは改めて、青銅器を制作した親方と出雲の依頼主の再登場である。
  
 出雲の依頼主は春からまた交易航海にでることになっている。何か月も出雲を開けるわけであるから、もしその間に主要氏族の長が亡くなったときはよろしく頼むと親方たちに託して出発する。

 ある日、主要氏族である長老の一人が亡くなる。親方に連絡が入る。さっそく仕事にかかる。まず、依頼主への連絡を早舟で送る。次に葬儀の準備に取り掛かる。遺体が固まらないうちに衣服を整え、あらかじめ用意していた藤と竹で編んだ篭に遺体を収める。遺体は屈葬の状態で篭に収められたのだろう。この段階でヘビ、ムカデ、ハチを防ぐ領布を篭に何枚も付けておく。次に遺体を神山に速やかに運ばないといけない。

 神山とは、あらかじめ取り決めによって山に入ることを禁止された場所である。この山で遺体を白骨化させることになるので人間が立ち入ることは基本的に許されない。遺体を神山に運ぶと、すでに親方の部下たちが葬儀の準備をして待っている。ここで登場するのが銅鐸である。

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 銅鐸に舌を装着する。次に遺体の入った篭に4つの強靭な紐を付け、その紐を銅鐸の型持ち孔に通し、固く縛る。銅鐸底の型持ち孔に紐が引っ掛かるように装着する。そして銅鐸の紐(ちゅう)孔に数本の紐を通し、その紐を放射状に広げ一本の竹に固く結ぶ。その竹を山中の木に立てかけて紐でしっかりと結びつける。以下がその想像図である。

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 次第に遺体は腐り、崩れていく。そのとき銅鐸を吊るしている支点が移動し、銅鐸が鳴るという仕組みである。鳥や獣が遺体に触れようとしても、銅鐸が鳴る。さぞや鳥や獣も近づきがたかったであろう。

 数年後、遺体が白骨化する。その間も、春であろうが、夏であろうが、秋であろうが、冬であろうが、風が吹けば銅鐸の音が谷に鳴り響く。当時の人々は神様に成る音に聞こえたかもしれない。神庭荒神谷遺跡の銅鐸を思い返してもらいたい。あの銅鐸のひとつはなんども鳴らしたために銅鐸内部の凸帯がすり減っていた。このことも、神庭荒神谷にて何年も銅鐸が鳴り続け、それが亡くなっている人の数ほどの回数であれば、凸帯があそこまですり減るのも当然であろう。

 話を再葬儀式に戻そう。遺体が完全に白骨化するには最短で1年を要するであろう。冬場に亡くなることもあるだろうから年を越すことを考えると2年後の秋、航海船団が帰ってきたときに骨を取り出すのが妥当だろう。この骨を篭から取り出すとき、素手で触ることは衛生上難しかっただろう。そのためには篭から骨を取り出すのに道具を用いた可能性がある。そう、その道具とは銅剣である。

 骨になった遺体を篭から取り出すのに、衛生上の理由から素手で触るというわけにはいかない。それでは何を使って篭から骨を取り出したのだろうか。銅剣である。銅剣で骨を気傷つけないよう、篭を結んでいる紐を切る。そして骨のみを取り出す。篭など使用済みになったものはその場で焼却する。神庭荒神谷遺跡では周りの土が何度も焼かれた跡があるのをご存じだろうか。あれだけ青銅器が集まる場所では当然、なんども焼却を繰り返したことだろう。

 取り出された骨は近くの小川で綺麗に洗われる。青銅器が奥まった谷で多く発見されるのは、近くに小川が流れている必要があるからでもあるだろう。綺麗に洗われた骨は、骨壺に入れられ、速やかに納骨堂に移動させられる。

 骨壺は人一人分の骨を入れる大きさである必要があったであろうから、特徴的な大きめの骨壺が用意されていたはずである。そして納骨堂は青銅器を使って再葬する人物にふさわしい立派なものが用意されたと想像する。

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 ただ実際にそのようなことが行われたとすれば、おそらく納骨堂は外部の者が入らないよう厳重な建物を用意したはずである。でなければ、ネズミなどが侵入して骨をかじったりするだろう。ムカデ、シラミだってわくことだろう。そのための特殊な処理を施さねば、とても納骨堂に安心して収めることはできない。

 では、具体的にどこに骨を収めたと考えるのか。実に難しい問題だ。たった一冊の本でこの問題を解くには枚数がまったく足りない。この問題をどんどん掘り下げていくと、神社祭祀の起源にまで触れることになるので、この辺にしようと思う。可能性としては以下の写真から想像していただきたい。

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 次には鏑矢(かぶらや)を大野原の中に射て入れて、その矢を採らしめ、その野におはいりになった時に火をもってその野を焼き囲みました。そこで出る所を知らないで困っている時に、鼠が来て言いますには、「内はほらほら、外はすぶすぶ」と言いました。こう言いましたからそこを踏みましたたところ落ち入って隠れておりました間に、火は焼けて過ぎました。そこでその鼠がその鏑矢をくわえ出して来て奉りました。その矢の羽は鼠の子供が皆食べてしまいました。
 かくてお妃のスセリヒメは葬式の道具を持って泣きながらおいでになり、その父の大神はもう死んだとお思いになをその野においでになると、大国主命はその矢を持って奉りましたので、家に連れて行って大きな室に呼び入れて、頭の虱(しらみ)を取らせました。そこでその頭を見るとムカデがいっぱいおります。この時にお妃が椋の木の実と赤土を夫君に与えましたから、その木の実を食い破り赤土を口に含んで吐き出されると、その大神はムカデをくい破って吐き出すとお思いになって、御心に感心にお思いになって寝ておしまいになりました。そこでその大神の髪をとってその室の屋根のたる木ごとに結いつけて、大きな岩をその室の戸口にふさいで、お妃のスセリヒメを背負って、その大神の宝物の太刀弓矢、また美しい琴を持って逃げておいでになる時に、その琴が樹にさわって音を立てました。そこで寝ておいでにあった大神が聞いて驚きになってその室を引き倒してしまいました。しかしたる木に結び付けてある髪を解いておいでになる間に遠く逃げてしまいました。そこで黄泉比良坂(よもつひらさか)まで追っておいでになって、遠くに見て大国主命を呼んで仰せになったには、「そのお前の持っている太刀や弓矢をもって、大勢の神を坂の上に追い伏せ河の瀬に追い払って、自分で大国主の命となってそのわたしの女(むすめ)のスセリヒメを正妻として、宇迦の山の山本に大磐石の上に宮柱を太く立て、大空に高く棟木を上げて住めよ、この奴め」と仰せられました。そこでその太刀弓を持ってかの大勢の神を追い払う時に、坂の上ごとに追い伏せ河の瀬ごとに追いはらって国を作り始めなさいました。(古事記 ―根の堅洲国―)

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