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何が楽しいのか分からない


結果の過大評価は、過程の過小評価です。感覚的にした(しようとしている)ことを言語化し コミュニケーションするという、社会生活上の最低限の手続きが失われます。「説明はいらん結果がすべてだ」という世界では、言葉を使う機能が低下します。

それでも、他人に何かを伝えないといけない場面はあるわけで、そのときに出てくる言葉は、もう目も当てられないくらい意味不です。これを言うのが 指導者だったり、マネージャーだったり、トップアスリートだったりするので、スポーツ界は丸ごとヤバい方へ牽引されていきます。

問題は、その「曖昧さ」にあります。自分でも定義できていない言葉を、軽々しく使うのが癖になっています。ざっくりしたワードが、津々浦々のグラウンドで 熱く飛び交っています。

中でも罪深いのは「楽しむ」という言葉だと思います。「楽しむことが大事」とか「サッカーを楽しめ!」とか、平気で言ってくるわけです。よく分からないけど、仕方なく自分なりに楽しくやっていたら、今度は「ヘラヘラするな」とか「楽しむことと 楽(ラク)をすることは違う」とかキレられて、いやいや、漢字一緒じゃん日本語ワロスwwwクッソややこしいなクッソwwwくぁwせdrftgyふじこlp


人生においても重要なテーマだと思うのですが、そもそも 楽しむ とは何か? ギリギリの試合を戦ったあとのインタビューで言う「楽しかった」と、ノープラン温泉旅行の帰り道に言う「楽しかった」は、何となく違う気がする。前者のストイックな刺激に楽しさを感じる一方で、後者の堕落したレジャーにも楽しさを感じるのです。

この矛盾が非常に難しい。楽しめないことをしてもパフォーマンスは最大化しないので、意思決定の大きな基準として「楽しめるかどうか」があるわけですが、困ったことに サッカーも温泉旅行も どっちも楽しめる のです。けれど どちらを選択するかの積み重ねで、自分の人生が充実するか、遊んで終わってしまうかが決まってきます。

僕なりの定義のイメージに近いのは「没頭」です。「楽しめ!」ではなく「没頭しろ!」と声をかける、「楽しめるか」ではなく「没頭できるか」で意思決定をするようにします。

では、没頭とは何か? それは「100%そのことを考える」です。没頭できていると、まず ①意識が消滅します。しんどいなあとか、次に何しようかなとか、俺ってあれだよな、みたいな思考が無くなります。更にいくと ②時間感覚が欠落します。一瞬が長く感じられたり、逆に 明るい時間に始めたのに 知らぬ間に真っ暗だったり。集中しすぎて、体内時計がオフになっているということです。

誰しも経験があるでしょう。当然 楽しい という感情もオフになっているので、振り返ったときに初めて 楽しかった と思えるはずです。良い試合をしたあとは、そういう気持ちになります。やっている最中に 楽しい と思えるようなことは、没頭ではありません。


没頭するためには、挑戦の質と 能力の質が 噛み合っている必要があります。

図1

図にある「フローチャンネル」とは、フロー つまり没頭することができる範囲です。能力が向上したのに 挑戦が変わらなければ、退屈(A2)になります。逆に能力が変わらないのに 挑戦が難しくなれば、不安(A3)になります。退屈になれば、いらんことを考える余裕が生まれます。不安になれば、考えたくなくても失敗がチラつきます。これでは、目指すべき没頭からは程遠い。

解決方法は単純です。A2にいるのであれば、挑戦を難しくする。A3にいるのであれば、能力を向上させる。二択です。


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まとめます。

我々は楽しむべきだ。スポーツは、楽しんでいるときに一番良いプレーができる。人生もそうだろう。

では、楽しむとは何か? それは没頭することだ。自分という存在の境界線が溶けて、目の前にある行為と同化するような、そういう体験の中にいることだ。

「充足感とは、必ずしも快適ではない。時にはひどいストレスがかかることもある。登山家は凍死寸前になり、疲労困憊し、クレバスの奈落に墜落する危険にさらされるが、それでも山以外の場所にいたいとは思わないだろう。トルコブルーの海辺の椰子の木陰でカクテルを飲むのは悪くない。だがそれは、凍てつく尾根で感じる喜びとは比べものにならないんだ」2

温泉旅行も Netflixも コンパも、まあ楽しい。でも「まあ楽しい」くらい。「楽しいなあ」とリアルタイムで感じる余裕がある、それでは、自分の想定している範囲の自分でしかない。自分がどっかに行ってしまうくらいの没頭の先にこそ、自分の新しい可能性に出会うチャンスがある。それが「クソ楽しかった」だ。


没頭するためには、挑戦と能力が お互いを高め合うような、そんな地点にいる必要がある。挑戦と能力は常に変動するので、いつまでもそこに留まり続けることはできない。

そんなときの解決方法は二つ。挑戦を難しくするか、能力を向上させるか。もちろん簡単ではない。当分の間、退屈や不安を感じるかもしれない。


けれど 思うに、今この瞬間、問題(この場合 没頭できていないこと)を抱えているかどうかは あまり重要ではない。

「例えば今、1000万円持っていても、『この先1円も入ってこないかもしれない』と思ったら、絶望的な気持ちになるし、今100円しか持っていなくても、『来年1000万円入ってくるんだよな』と思っていたら明るい気持ちになる。
つまり、今いくら持っているかとか、今恵まれているとか、今幸せか、っていうのは、1ミリも重要じゃない。大事なのはこれから先に『希望』が持てるかという、この一点だと気づいたのだ」3

仮に今、A2かA3にいたとしても、既にあなたはA4の方に向かって立っている。退屈や不安にケリをつけて「本当の楽しさ」へと、歩き始めることができる。

練習ではできないようなプレーで相手を抜き去り、見えてないところにパスが出せる、それが味方にピタリとあう。そして どこまでも走り続けられるようなあの感覚、それをまた味わうことができる。これを希望と呼ばずして、何と言うのか。




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最後まで読んで頂き、ありがとうございました。