写真のコピー

金曜日

金曜日の夜、街はにぎわう、それはたった5日間の仕事の打ち上げにしてはひどく盛大で、店から溢れてきた男女は歩道を占拠して何だか楽しそうにしている。

その隙間を足早に抜けていく。荷物は大きい、練習着とスパイクはかさばる。すれ違いざまに少しだけぶつかり、どちらともなく頭を下げる。

うらやましく思うときもあります。ライブもコンパも同窓会も、だいたい金曜。だけど僕たちの勝負は、だいたい土曜か日曜。だからこの日は めちゃくちゃ良い準備するために、めちゃくちゃ良いご飯(大戸屋)食って、さっさと寝るわけです。


それぞれの年代を死ぬほど満喫しながらも、"フットボールをしていなかったら" のパラレルワールドを想像して、もっとこんなことがしたかったとかできたとか、心の隅に置き去りのままです。

井筒陸也でGoogle検索すると出てくる、「ずっとサッカーを辞めようと思っていた」には少し語弊があるけど「ずっとサッカーを続けようとは思っていなかった」だと、ドンピシャです。

「サッカーを引退して、これからは王道の楽しい人生(?)を送ろう」と、18のときに誓いを立てて失敗し、22歳、25歳と、この誓いは三度破られることになります。

「隣の芝は青く見える」とはよく言ったもので、世界の仕組みを端的に表現した my favorite慣用句のひとつですが、慣用句はソリューションを与えてくれない。青く見えるもんは青く見える、うらやましい、もうこれはどうしようもないわけです。

目を瞑って生きていくわけにもいかないので、僕たちはその隣の芝に羨望と嫉妬と逆恨みの眼差しを向けつつ、こちらはこちらの芝(だいたいの場合は人工芝)の上でやることをやるだけ、つまりボールを蹴ります。


フットボールを続けるなんてクレイジーな選択をしなければ、きっとキラキラした毎日が、少なくとも金土日があったはずだと囁く悪魔との付き合いもかれこれ8年目です。

ダラダラ同棲して(したことないけど)結婚のタイミングも逃し、もう空気みたいな存在のくせにたまに心揺さぶられることを言ってくる彼女みたいなもんです。突っぱねる必要もないし、かといって動揺する必要もなくて、ただただうなずき聞き流しておけば円満。

なんやかんや、こうして本気のフットボールが人生を豊かにしてきたことと、していくことを知っていればそれで十分です。僕は知っています、昔よりもずっと深くです。

皆さんも、よくご存知のことでしょう。

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。