あなたのスポーツは ジャンケンと何が違うのか?


オフシーズンは魅力的な大人に会いまくるようにしています。彼らは自分の仕事に こういう価値を信じて、ここに情熱を感じ、これがどうしてもしたいという答えを持っています。

そういう人たちの考え方・生き方に触れるのは刺激的で、他方「自分はスポーツに対してオリジナルな言葉で、同じようにその答えを語れるだろうか」と少し不安になったりもします。


この危機感は、スポーツ選手固有のものではないと思います。


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こういうときは、比較対象を設定して考えるようにしています。ゼロベースで考えるより 何かとの差分から、自分の仕事の相対的価値を見出すほうが簡単です。

スポーツのことであれば 他の仕事と、サッカーのことであれば 他の競技との比較が良いかもしれません。自分のやっていることの輪郭を、より明確にする作業です。

今後、色々な比較の話をすることになると思います。


前置きは終わりです。


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羽生善治の言葉に こういうものがあります。

「勝ち負けには間違いなくこだわっているけど、結果だけを出せばいいのなら、ジャンケンでもいいわけです。」1


彼が自身の将棋と比較しているのはジャンケンです。

そして、直前の文章に「将棋は頭脳スポーツという感じでとらえています」とあります。

したがって、これは スポーツとジャンケンの比較でもあるわけです。




過程があるのがスポーツ

物事は、時間軸に沿って「過程」「結果」「影響」の三要素に分解できると思っています。

スポーツとジャンケンの違いは、この「過程」があるかないかです。


■ジャンケン
「過程」は限りなくゼロ(プレイング時間の数秒)。「結果」だけがあり、それまでの出来事は関係なく その瞬間の勝敗がすべて


■スポーツ
「過程」ばっかりある。量的にも質的にも ジャンケンとは違う時間を経て、その先に初めて「結果」が生まれる

羽生さんの言葉の続きには、こう書かれています。

「その過程でいいものが残せるのが最高だと思っているんです。五十年先、百年先の棋士が見ても『これはすごい棋譜だな』という、そういう素晴らしい棋譜を残せたらいいなと思っています。」2


羽生さんが言う「すごい棋譜」とは競技内の過程の話ですが、それだけではありません。


競技前の準備、試合に向けて どういう努力をしてきたか。遡れば プロになった理由、それまでの成功と苦悩、スポーツを始めたきっかけ、仲間、家族、出自。すべてがその人の過程です。

これは競技者だけではなく チームに、サポーターに、地域に、それぞれの歴史があり 様々な想いを持ち続けて、今日の試合があるわけです。スポーツには こうしたストーリーがあります。




過程は影響を創る

そして過程の大小は、影響の大小を決めます。


ジャンケンは便利です。すぐに公平に結果を決めることができる。しかし、ジャンケンが持つ影響は、例えば「誰が最後の一個を食べるのかが決まった」くらいのものです。

当然、勝てば嬉しいし負ければ悔しい。ただその感情はあくまで、損得の域を出ることはありません。周りの人の感情を揺さぶることはありません。

過程がなく 結果だけでは、大した影響は生まれないということです。


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スポーツはどうでしょう。

最近 リツイートか何かで回ってきて ふと読んだ、キングコング西野亮廣のブログに近いことが書いてありました。

ネタになるほどの貧乏をした経験もなく、
極端にチビというわけでもなく、
下積み時代が長かったわけでもない。
(中略)

共感される苦労(コンプレックス)を持たずに世に出た人間は脆弱だ。
応援される理由が極端に少ない。
誰の代弁者にもなっていないのだ。3


スポーツは不便で、そして不公平です。ネタになるほどの練習と、極端に欠けている能力と、日の目を見るまでの、もしくは誰の目にも触れることのない毎日があります。

多かれ少なかれ、全員がそういうものを抱えてここまできました。パッと見は順風満帆だったり、いくばくかの恵まれた才能があったとしても同じことです。


苦労とかコンプレックスに限定された話ではありません。スポーツの中にあるすべてのストーリーに、人は感情移入し 人生を重ね合せるのです。

そうして、スポーツは誰かの代弁者になり得るのです。


過程を経てたどり着いた 結果を手にし(目にし)、勝敗や損得を超えたところに想いを巡らせる。

大の大人が悔し涙を流して、存在価値を自問し 真剣に悩んだりする。大の大人が嬉し涙を流して、抑えきれない情熱、喜びを爆発させる。

自分と、周りの人の何かを大きく変化させるきっかけになったり、次の挑戦への動力源になったりする。


スポーツは 過程があるからこそ、大きな影響を与える力を持つのです。


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羽生さんと比べれば、恥ずかしくなるくらいスケールは小さい。でも、自分のサッカーも 勝ち負けには間違いなくこだわっています。

結果が何かを決する場面に幾度となく立たされ、そのたびに「結果がほしい」と心の底から念じてきました。

目を瞑っている間に試合が終わって、そして勝っていれば どれだけ嬉しいかと、真剣勝負のたびにそんなことを思います。


結果がすべてだと、そう感じるときもあります。



それでも自分のサッカーは、ジャンケンではダメなことだけは分かります。

勝敗を決する瞬間以外にも、大事なものがあることを知っているからです。そういうスポーツが持つ影響力は、代替不可能であることを感じてきたからです。



自分のスポーツは、ジャンケンとは違うのです。




Twitter @izz_izm



*1,*2, 羽生善治(2001年)『簡単に、単純に考える』PHP研究所, p150. 

*3, 西野亮廣ブログ(2018年2月15日)『読者が選ぶビジネス書グランプリ2018』 https://ameblo.jp/nishino-akihiro/entry-12352989699.html


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井筒 陸也

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