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ローグライク論 世界で最も美しいゲームデザインの一つを分析する

8/11更新:いただいた反応に対する返信をページ下部に追記しました

気付けば、「ローグライク」はメジャーなゲームジャンルとなった。とりわけインディーゲーム文化においてその存在は非常に大きく、インディーゲーム市場を見れば2~3割は「ローグライク」あるいは「ローグライト」的な要素を備えている。

筆者個人の考えとして、ローグライクは恐らく世界で最も美しいゲームデザインの一つだ。美しい、つまり完成されている。種々のルールがことごとくシナジーを生み出し、プレイヤーのゲームプレイの中に面白いを無数に生成し続ける。

だが言い換えればそれは、うかつに手を加えるとたちまち崩壊するゲームデザインとも言える。残念ながら、現代インディーゲームシーンで濫用される「ローグライク」あるいは「ローグライト」には、ローグライクというゲームジャンルが本来備える魅力や価値というものを全く考慮せず、表面的な理解だけで安易に量産されている。

そこで今回、「世界で最も美しいゲームデザイン」の一つとして、ローグライクは一体どうして面白いと感じられるのか、ローグライクのルールがどのように面白さを生み出しているのか。そして優れたローグライク作品と、つまらないローグライク作品の違いとは何か検討していきたい。

なお、ここで参考にしたいのが、桜井政博さん(以下、敬称略)のローグライクに対する見解だ。桜井は動画「やり直しに見合う魅力はあるか? 【ゲーム性】」の中で以下のように一刀両断している。

「(ローグライク、ソウルライクの一部作品は)私自身はゲームをよくしますが、こういった作品は正直はやめに見切りをつけることも多いです。同じ時間を費やすならより多くの作品に触れて新たな刺激を受けた方が良いですからね」

やり直しに見合う魅力はあるか? 【ゲーム性】

ゲーム業界の、それも桜井ほど実績あるゲームデザイナーが特定のゲームジャンルを論ずること自体貴重だが、実は桜井は以前もコラム「ゲームについて思うこと」の中でローグライク論を語っており、これらを複合的に参照しながら、さらに筆者独自の桜井と異なる考えや認識を提示することで、ローグライクにおける可能性と課題について考えたい。


ローグライク(ローグライト)とは何か

最初に前提知識として、ローグライクとは何かという話をしたい。初歩的な話なので、要諦を理解している人は読み飛ばしてもらって問題ない。

まずローグライクとは、文字通り「Rogue-Like」、つまり『ローグ』のようなゲームという意味である。ここでいう『Rogue』とは、1980年にカリフォルニア大学バークレイ校の学生だったマイケル・トイとグレン・ウィックマン、ケン・アーノルドの3人が、大学のPCで開発したUNIX用のアドベンチャーゲームで、プレイヤーは冒険者となって洞窟に潜り、最深部からイェンドールの魔除けを回収することが目標となる。

画面はASCIIで表記されている。

『Rogue』がどう優れたゲームだったのか、これは一旦置いておくとして、とにかく「ローグライク」はこの『Rogue』という一本の革命的な作品を、忠実にコピーすることから展開されたゲームジャンルだった。日本でローグライクといえば「風来のシレン」や「不思議のダンジョン」といったゲームを思い浮かべる人が多いだろうが、これらと『Rogue』はほとんど違いがない。文字通り「ローグみたいなゲーム」だ。

実際、ローグライクの代表的な定義の一つに「ベルリン解釈」が挙げられる。これは当時のローグライク開発者によって定められた「ローグライクとは何か」という定義であり、具体的には以下のように、他のゲームジャンルでは見られないほど厳密な定義が定められている。

-絶対要件-
①:ランダムな環境生成(プロシージャル)
②:恒久的な死(パーマデス)
③:ターン制
④:グリッドベース
⑤:ノンモーダル
⑥:複雑さ
⑦:リソース管理
⑧:ハック&スラッシュ
⑨:探索と発見

Berlin Interpretation

実際にどこまでこの定義が正しいかはともかく、共通認識としてこれほどゲームデザインの各要素が定められているゲームジャンルはローグライクを除けば4Xかフライトシミュレーターぐらいだろう。

一方、2010年代からインディーゲーム文化の萌芽と同じくして、「ローグライク」というニッチなゲームジャンルを踏襲しながら、なおかつ内容を大幅にアレンジする作品が増え始めた。つまりローグライクの要素の一部だけ踏襲しながら、2Dプラットフォームやシューティングといった要素を組み込んだゲームが増えたのだ。これらは「ローグライト」と呼ばれ、ローグライクと区別されるようになった。

このように「ローグライク」が1980年代から続くニッチなジャンルながら、その原典『Rogue』の各要素をある程度忠実に守る伝統芸能的なゲームジャンルだったのに対し、2010年代のインディーゲーム文化の萌芽とともに『Rogue』の要素を大胆に流用した新ジャンルとして「ローグライト」が発達。「ローグライク」「ローグライト」は今ではすっかりメジャーなジャンルとなった。

(ただしローグライクとローグライトをどう定義するか、そもそも両者を区別するべきかという議論は賛否ある。桜井は動画の中で「『Rogue』と同じならローグライク」「それ以外の要素をはさむならローグライト」「ただすべて「ローグライク」と言ってしまって差し支えないと思います」とローグライトの存在自体をバッサリ否定している。)


なぜ『Rogue』は面白いのか 中村光一さえ認めざる「究極の物語体験」

これは「ローグライク」に限った話ではないが、ある優れたゲームを模倣すること自体は良くとも、「なぜこのゲームはこのような構造なのか」「このゲームジャンルはどのように面白さを作り出しているのか」というゲームデザインの本質を分析した上で模倣しなければ、ただの劣化コピーにしかならないという問題がある。

とりわけローグライクはこの問題が圧倒的に顕著である。率直に言えば、現代で大量生産され始めた「ローグライト」と呼ばれるジャンルはその大半が「なぜ『Rogue』が、あるいはローグライクは面白いのか」という問題を全く考えないか、あるいは著しく誤解したまま模倣した例が多数散見される。従って現代のローグライク、ローグライトは大半がプレイに値しない、それほどまでにこのジャンルは凋落してしまったと筆者は考えている。

例えば、『Rogue』は「難しいゲーム」としばし誤解される。確かに『Rogue』には「一撃で最初からやり直すパーマデス」や「環境が変化するプロシージャル要素」、果ては巻物やアイテムが勘定しなければ使えない、ジャバウォックなどの強敵にぶつかると即死するなど、それだけを見れば難しいゲームに思う。

ところが開発者のグレン・ウィックマンは、こうした「難しさ」は意図したものではないという。

グレン本人が著した「A Brief History of Rogue(ローグの略歴)」によれば、そもそも『Rogue』は大学のUNIXで当時学生が暇つぶしがてらに作ったものである(『スペースウォー!』然り、黎明期のゲームにはよくあることだった)。そもそも商用販売する予定もなく、あくまで開発者である自分たちが私的に楽しむものとして開発されていた。

当初、グレンたちが好んでプレイしていたのは『Zork』に代表される黎明期のテキスト・アドベンチャーだった。道をまっすぐ歩く、引き返す、右折や左折をする、このように主人公の行動を自在に決定し、物語が無数に分岐していくゲームならではの物語体験にグレンたちは夢中になり、自分たちでも作りたいと考えた。ところがそれには2つ課題がある。1つは一度選んだ選択肢は結末がわかってしまうこと、そしてもう1つが作っている本人たちは選択肢ごとのオチを全部知っていることだ。特に後者はグレンたちにとって問題だった。自分好みのアドベンチャーゲームを作りたいが、自分で作ったものは自分たちで楽しめなくなるジレンマがある。

そこで『Rogue』は環境を自動で生成するプロシージャル(※①)、取得できるアイテムや遭遇できる敵もランダムになる、そして何より、一度死ぬことで全てを失うパーマデス(※②)により、ゲームプレイごとに環境をシャッフルして遊びなおせるよう設計することで、『Rogue』は作った本人でも「答え」がわからないゲームとなった。そして同時に、プレイヤーにとっても「答え」がない、極めて知的なゲームにもなった。プレイするごとに変化する諸条件ごとに異なる自発的な意思決定を伴う、開発者もプレイヤーも、誰でも普遍的に楽しめるゲームとなったのである。

同時に、『Rogue』の肝となるのはゲームプレイのテンポの良さである。本作は戦闘自体はターン制(※③)、それも同時にお互いのターンが進むノンモーダル(※⑤)で、重要なのは自身が所有するステータスやアイテムといったリソース管理(※⑦)と、探索と戦闘の意思決定(※⑨)のみ。戦闘は正面から殴り合う非常に簡素なものだ。言い換えれば、プレイヤーが恒久的に向上する技術(アクションやシューティング)はそこになく、ランダムで変化する環境生成とそれに対するプレイヤーの意思決定という、非常にシンプルな構成によって「作った本人でも正解のわからないアドベンチャー」を楽しむコンセプトを最大化させている。

※……上述の「ベルリン解釈」を参照。

「我々は我々自身が楽しめるゲームを作ろうと試みた。どんな優れたアドベンチャーゲームであっても、実際に”冒険”ができるわけではない。どんなプレイヤーでも全く同じ展開であれば記憶してしまうし、何よりプログラマーは自分でパズルを発明する以上、プレイする以前から結末を知っていた。『Rogue』はプログラム自身がダンジョンを構築することで、開発者さえも驚かせるようなゲームにしたいと考えたのだ」

Glenn R. Wichman "A Brief History of Rogue"

このように、『Rogue』、及びそこから派生した「ローグライク」には、「ベルリン解釈」のような伝統的な定義を求めることが納得できるほど、ゲームデザインが圧倒的に完成されている。これは単なる懐古趣味ではなく「スーパーマリオ」が40年あまりほぼ一貫したルールで作られてきたのと同じく、それほど弄りようのないゲームデザインだという話だ。仮にマリオがクリボーを倒すごとにレベルが上がり、5レベルの時点で常時ファイアマリオになったらコンセプトが早々に崩壊してしまうだろう。

事実、ローグライクを日本に輸入・発展させた、かの日本の天才的ゲームデザイナー中村光一でさえ、「不思議のダンジョン」や「風来のシレン」を作るにいたって『Rogue』の重要要件はほとんど手を加えていない。まず『ドラゴンクエスト』のIPを使い、かわいらしいグラフィックをあしらい、複雑なシステムを若干単純化した……つまり、『Rogue』の本質的な面白さにいかに早く日本人に理解させるかという「翻訳」に特化している。『弟切草』『かまいたちの夜』によってアドベンチャーゲームを一変させ美少女ゲーム文化の礎を築いた中村でさえ、『Rogue』の完成度を評価していた、ということだ。

中村光一「風来のシレン」シリーズ最高傑作と言われる「アスカ見参」。ただし開発は別企業。

中村は電ファミニコゲーマーの取材の中で、「ただ、面白いことに、これだけ世界観を受け入れやすくするために、徹底的に工夫している一方で、『ローグ』の基幹となるシステムについては、ほとんどいじっていないですよね。」という質問に対し、「付け足したものはあるが棄てたものはない」と答えている。常識的に考えれば「このゲームに影響を受けた」と日本の開発者が話すこと自体あまりないのだが、「影響」は当然として一体何を足し引きするのかを語るのは、それだけ『Rogue』が完成されたゲームだったといえるだろう。

ローグライクの代表的な作品の一つに『Dwarf Fortress』、或いはそこから影響を受けた『Minecraft』や『Rim World』、『Elona』も一種のローグライクと言えるだろうが、これらに一貫するのも、「開発者でも楽しめるようなランダム生成とパーマデスによるオリジナルの物語」「物語体験を最適化するためのリソース管理と探索に絞った、ハイテンポかつシンプルな意思決定のゲームプレイ」である。

特に重要なのは、原典からして「アドベンチャーゲーム=物語体験」にどこまで深化できるかということ。それは日本のアドベンチャーゲームに革命を起こした中村光一とチュンソフトが「ローグライク」を日本に輸入したことも、偶然ではないだろう。


ローグライト批判 現代ローグライクゲームの腐敗

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