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水城跡(西側半分)🏯 2024/5/11

福岡市から少し南へ下ったこのあたり

👆️拡大してみると・・・
👆️緑に覆われた万里の長城のような線が見える。

全長1.2キロに及ぶこの壁が、664年(1360年前)に築かれた水城だ。

私がよく車で通る県道31号線を南へ下っていくと、左手に地味な駐車場と公衆トイレが見える。

👆️ここが水城の西側の入口。
👆️太宰府の市境のすぐ手前。

こんな道を歩いていく。

👆️まだ右手から道路を行き交う車の音が聞こえる。
👆️自転車みたいなのを直してる人発見。
👆️だいぶ山道っぽくなってくる。
👆️谷のようになってるが川ではないようだ。

道が二手に分かれている。もう1本まっすぐ進む道もあったが通行止めになっていた。

👆️とりあえず(⇐外堀側)へ進む。
👆️と言われても、水は干上がっており魚なんていない。

急な坂道を登ると少し開けた丘の上に出る。

👆️道はここから右側へと続くが、左奥にもなにか見える。あとで来よう。
👆️坂道は住宅街へと降りていくが、


👆️ここから脇道に入る。

急に荒れた道になる。

👆️夏場は歩きたくないかも。

草むらの中を歩いていく。

👆️写真ではわかりづらいが色とりどりの花が綺麗。
👆️アザミがたくさん咲いてた。
👆️並揚羽に遭遇🦋

草むらの中の道を抜けると水城跡の案内版が現れる。

👆️市内には水城と同類の土塁は他にも6箇所もあり、「小水城」と呼ばれているらしい。
👆️この右手が水城跡の土塁だろう。

土塁南側へ移動する。

👆️土塁を横切る細い道。ここから南側へ。
👆️ここから先は太宰府市。土塁はその手前に東西に向かって伸びているのだ。

水城西門跡。

👆️水城には東西それぞれに門があり、西門がここにあった。
👆️土塁南側も歩けるようになってるし、とてもいい景色だ。
👆️お地蔵さんもいる。
👆️福岡空港から飛び立った飛行機がしょっちゅう頭上を抜ける。
👆️道はここで途切れている。仕方なく土手を降りると、
👆️行き止まりになってしまった。土塁が線路で分断されてる。

ここからどう進むのか、特に案内版もなく、住宅街を少しさまよい踏切を探す。

👆️JRの踏切だ🚃

水城跡土塁ウォーキング再開。

👆️遠回りしなくてもいいようにせめて横断歩道でもつけてくれたらいいのに。

水城跡(日本遺産)

👆️「日本遺産」ってのがいつのまにかできたんだね。
👆️再び土塁南側を。またまたいい景色が続く。

休日なのに誰もいなくて快適だ♪(´▽`)
観光ズレしてない観光地と言えるかも。ここは穴場だな。

👆️遠方に九州自動車道のガードが見えてきた。
👆️これは土塁北側へ通じる階段だろうな。
👆️崖の下に草原が広がる。
👆️道は下の草原へと続く・・・この先にも行けるのか?
👆️獣道のようなところを歩く。
👆️土塁はここで再び途切れているようだ。道もここまでで途絶えている。
👆️こんどは西鉄だ。

西鉄と御笠川と高速道路と3号線の先に水城跡の続きがあり、その先に水城博物館と展望台があるはずなのだが、向こうへ渡る踏切がない・・・

👆️Googleマップで見ると、かなり回り道をしなければいけないようだ・・・

ちょっとうんざりなので、ここで引き返す。水城跡東側はまたの機会にしよう。
水城跡は人がいなくて観光ズレしてないとさっき書いたが、ここが賑わってないのって土塁の分断ポイントに渡るものがなにもなく不便だからだろうな。陸橋なりトンネルなりなにかあれば東西を歩いて横断しようとやって来る人も増えるような気がする。

👆️帰りは土塁北側を歩く。
👆️さっき土塁南側で見た階段はここへ通じているのだろう。
👆️麝香揚羽に遭遇🦋
👆️発掘調査は今も現在進行系で続いている。

さっきの西側の土塁分断ポイントに戻ってきた。

👆️ここもやはり土塁南端の先が太宰府市だ。

で、水城跡のある手前側は大野城市なのだが、そもそもなぜ「大野城市」と言うのか。歴史に疎い私は今まで考えたこともなかったのだが、大野城という城があったのだな!大野城跡は水城跡東側とともに、別の機会に見に行こう。

👆️水城駅コンコースを抜けて線路の向こうへ渡ろうかと思ったが、そういうつくりにはなってなかったw
👆️木造(風の)駅舎が雰囲気はいい。
👆️再び土塁北側を歩いて戻る。
👆️行きがけに気になってた脇道へと進んでみる。
👆️これはなんだろう。
👆️寺?
👆️矢倉廟というのか。こんなひっそりした場所にどれくらい人は来るのだろう。
👆️赤ずきんのお地蔵さん。

おわり。

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