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検閲官

恐ろしい本を発見してしまった。

敗戦後の日本では、手紙、電話、雑誌、映画まであらゆる言論がGHQによって検閲された。その職を担ったのは、英語を介する日本人エリートたちだ。

検閲官 表紙

歴史を調べていたら、わからないことだらけなのだが、最近はDNA ハプログループの解析で、おおよそ人類の分布や移動が解明され始めた。
日本の縄文文化が一万六千五百年前頃にあったことが確認されてきている。

弥生人は渡来人ではないとの見解もある。
そもそも弥生人はGHQ が日本文化を否定するために設定したとの意見もある。

しかし、学校では弥生人が到来し、文化を伝えたと教えられた。

弥生人(やよいじん)は弥生時代日本列島に居住した人々。大きく、弥生時代に朝鮮半島とアジア大陸等から日本列島に渡来してきた「大陸系弥生人」、縄文人が直接新文化を受け入れた結果誕生した「縄文系弥生人」、および両者の混血である「混血系弥生人」とに分けられる。

ウィキペディア

その弥生人が弥生土器を伝えたとも教えられた。
しかし、おかしなことに、弥生土器が日本以外で発見された記録を見かけない。
渡来したという弥生人は、全員が自分達の生活の痕跡を全て抹消して、一個も残さず弥生土器を持って日本へ来たのでなければこの現象はあり得ない。

弥生土器(やよいどき)は、弥生時代に使われた軟質素焼き土器[1][2]。一般的に「縄文土器と比べると形・装飾が簡素で、高温で焼かれて明るく硬い」と評されるが、実際には一概に言い切れるものではなく、地域ごとに個性豊かに発達した[3][4]。また、先行する縄文土器や後続する土師器との区別も明確ではなく、その線引きは研究者でも一致していない

ウィキペディア

最近のウィキペディアではこのように外国から伝わったとは書かずに、発見された日本の弥生土器についてのコメントがあるだけだ。

陶器を焼いた経験のある方なら理解できるが、縄文土器は生地が厚くて複雑な装飾模様が施されている。
理由は、縄文土器は薪で焼成されるために、どのような効率化を図っても800℃前後にしかならない。

当然薄い生地だと破損してしまうので分厚くこしらえたと思われる。
生地が分厚いので軽量化のために色々な削りを入れることが可能になり装飾が施されるようになった。

一万年以上に渡り薪で焼成された縄文土器だが、その工程で大量の炭ができた。
この炭を燃料に使用すると1300℃前後の熱を発することを発見した縄文人が、土器の焼成に使ったのだと思う。

当時の技術で1300℃の陶器を自然冷却すると、急冷却になり爆発的に破損してしまう。
そこで、自然冷却で破損しない薄さに削り出したのが、弥生土器だと思われる。

薄く作るので当然大掛かりな装飾はできない。
鉄分の多い土地に造られた窯跡の底にできたのが、餅鉄で、製鉄技術の始まりになると思われる。

日本の文明が相当古いことを快く思わなかったGHQ の方針に従って、教育が歪められているように思う。





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