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哲学宗教

宗教哲学について書いたところ、『哲学宗教ということが成り立つか』というテーゼに思い至った。
『徹底的に定義を疑い、本質を自分で追求していく』ことを無条件で受け入れる。
これは少し手強い。すべてを信じないことを信じる。軽い気持ちで取り組んでみたけれど相手が強すぎる。小学生が横綱に向かっているようなものだ。
先ずこの問題に取り組むには自分が哲学者でなくてはならない。
すぐに妥協してしまう自分はとても、この境地にはいられないな。

ところで日本に哲学者は実在するのかな。哲学学者はいる。アリストテレスがこうだカントがこう言ったヘーゲルはどうだと他人の哲学を解説している人はいる。哲学の歴史を調べている人もいる。これはこれで有難いが、哲学とは関係なくて単なる分類学だ。

池田晶子、まさに天才で哲学者。物事の本質を追求していたが惜しくも若くして亡くなってしまった。日本の大損失である。彼女の出版物を手に入るものは全て取り寄せて読んだ。年下で女性であるが、その知性は本物である。教えを乞いたいと心から思っていた。

ここまで書いて気になったことがある。『女性の権利を認めよ、女性の地位向上』誠に不思議な言葉で引っかかってしまう。私が三顧の礼を尽くしても教えを乞いたいと思った人が年下の女性である。地位が低いとか権利がないとか思ったこともない。誰が女性の地位が低いとか権利がないとか言い出したのだろう。

「女性の地位向上!」と叫んでいる人、女性の地位が低いと本気で信じているのだろう。

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