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OH!へんろ。親子の88か所巡り(86番札所):補陀洛山 志度寺(香川県)

わたしが、子どもたちと決めた今回のお遍路ルールは一つだけ。納経所で御朱印をいただくのは子どもたちの役割ということ。ちゃんと挨拶をして、御朱印をお願いし、最後はしっかり御礼をする、です。

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今日の煩悩:

すっかりご無沙汰してしまいました。師走って、やっぱり忙しいんですね。

さて、大学教員をしている知人と話をしていて、いつもの「あるある」が出ました。学生の研究発表の前に、何度か資料のチェックや質問対策について面談します。今年はオンライン希望もいました。

もう研究内容や資料について大幅な改定ができないような時期にやってくる学生もいるものです。なので、せめて、聴衆に親切になるように、資料の見せ方と想定される質問を伝えます。この辺の対応だけでも、かなり発表の印象がかわります。

ところが、当日の発表を聞いてみると、資料はあまり修正されておらず、場合によっては、別なところが強調された改悪がされていたりします。また、(ゲストから)このような「質問があると思うから、準備をしておくように、スライドに入れないまでも手持ち資料を作っておくといいよ」と伝えたものの、当日の発表を見ると全く持って想定通りの質問が来たにもかかわらず、準備をしていないので、発表者はアタフタする気持ちを再体験することになります。

確かに、私の感想なので、意見を採用するかどうかの判断はお任せしますと伝えているので、まあ、良いのです。これで良いと思ったことを貫いた、と本人も考えているようなので、良いのだと思います。

振り返って良く見ると、2つのタイプの学生がいます。今までの自分の計器では計り知れないことを学ぼうとする者、そして、手持ちの計器の範囲でやりくりしようとする者です。どちらも良いのですが、新しい視点を身に付けるのか、視点はそのままにノウハウや情報に接していくのか、という違いがあります。

前者は、最初は初めての視点に戸惑うのですが、自分の物事をとらえる計測器を自分で作り上げていきます。すると、同じ対象について学んでいるのだけれども、違った立ち位置から見えるようになってきます。その立ち位置は、師匠が立っている位置に近づいているようです。

後者は、同じ対象について見ているつもりなのですが、かつてのままの視点で情報を増やしていきます。それでも情報が増えていればまあ、御の字です。

自分が受験生の当事者の時には「難しい」と思っていたことが、大人になって立ち位置や視点が変わるだけで、相手が自分の何を考量したいのかが見えてくるわけです。資格モノやレポートはこれがわかれば、かなりやりやすくなります。

個人的な経験からの感想ですが、時間をかけてでも「立ち位置」や「視点」を身に付けた人は、あとあと、次々と自分で立ち位置を乗り越えて、面白い事業や研究をするようになっているような気がします。

そして、それを勉強してなんか得するの?とか、社会に出て使うの?という質問をしなくなります。

だって、今の自分が想像もしていないような経験ができるかもしれないことにワクワクしているのと、今の自分の価値観で測って、想定内の将来に向けて少しでも損をしないこととを勘定しているのと、どちらが学びが面白いかということですね。

御詠歌:

 いざさらば今宵はここに志度の寺 祈りの声を耳に触れつつ

本尊:

十一面観世音菩薩

創建:

推古33年(625)

真言:

おん まか きゃろにきゃ そわか

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歴史:

推古天皇33年(625)開創の古刹です。海洋技能集団海人族の凡園子(おおしそのこ)が霊木を刻み、十一面観音像を彫り、精舎を建てたのが始まりと言われ、藤原不比等が妻の墓を建立し「死度道場」と名づけられました。

所在地:

香川県さぬき市志度1102

駐車場:

あり(無料)

天体望遠鏡博物館:

廃校を利用した施設です。香川県さぬき市多和助光東30-1(旧 多和小学校)

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