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弱さを受け入れられる社会

この世の中は全て、表があれば裏がある。

陰陽 - 明暗 - 正邪 - 善悪

挙げればきりがないほどある、対称的な存在。


それはコインの裏表のように表裏一体、

同時に存在するもの。


今回のテーマは「正しいと間違い」について。


正しいとはなにか。


仮に、

正しい=万人受けする答え

であるならば、

これを見出すのは難しい。


では、間違いとは?

これは非常に難しいことですが、ここで一つの例文を出して考えてみましょう。

《 例文 》

Aくんはいつもせっかちで、人を押し退けてでも自分が前に出ようとする自分勝手な小学生で、みんなから嫌われ者で、先生にいつも怒られる男の子でした。

ある時Aくんは妹と一緒に学校から帰る途中、1台の車が自分立ちに向かって猛スピードで突っ込んでくるのをいち早く見つけ、妹を押し退けて自分が盾になり、Aくん自身は正面から車に追突されました。幸いAくんはその時たまたま妹のランドセルを背に、自分のランドセルを胸に着けていたので、大きな外傷も無く、事なきを得ました。



Aくんは日頃から人の迷惑も考えずに誰彼構わず押しのける癖があり、友達や先生からはその行動は間違っていると注意される子でした。

しかし、妹だけでも無事に救おうと自ら盾になる為に押し退けた行為、これも間違った行動だったでしょうか。

同じ「押し退ける」という行為でも、

状況によっては注意指摘され、また、賛美される事もある。


「間違い」は、時に「正しい」に変わる事もある。

テロや私怨の犯罪などは間違った行為は違いありません。ですが、なぜ加害者はそのような行為をしたのか。そこに焦点を当てる必要はないのでしょうか。これは情状酌量の為ではなく、同じ思想を生まないようにする為のという意味でです。

加害者には加害者なりのその行為に及んだ理由が必ずあります。理由が無いという供述であっても、何の心境の変化もなくそのような行為に及ぶなどという発想には至らないはずだからです。

世間に見放された、社会に追い込まれた、自分の正義を貫いた・・・自分勝手な発想から犯行に及ぶケースが殆どでしょう。

では、何故そのような行為に及ぶに至ったのか、そこを少し考えてみましょう。

まず、快楽主義的な犯行は認識に問題があるとバッサリ切ります。これに関しては認識を改めなければ解決しません。

大体の犯行は、何かから逃げたい、何かを変えたいという思いから来るのではないでしょうか。

〇あいつが居なくなれば私はもっと評価される

〇あいつのせいで私は破滅した

〇あの職場に居たせいで私は心が病んでしまった

〇あの国が無くなれば自分達が自由になる

このように、そうせざるを得ない追い詰められた状況の結果、犯行に及ぶしかないという選択肢しか思い浮かばなかった人が加害者となっていくのではないかと一つの仮説を立てます。

さて、この仮説を元に話を進めていきますが、その人達は何故追い詰められる迄に至ってしまったのでしょうか。

自分1人や自分達だけでは立ち向かえないという弱さのせいでしょうか。

初めの対称性と表裏一体の話に戻りますが、強い人間も居れば弱い人間も居ます。

自分の悩みを話せる人も居れば、自分の弱さを見せれない人も居ます。

また、自分の弱さを出せる環境もあれば、それを許されない環境もあります。


ここで問題。


「弱い」という事は、

正しいことなのか、間違っていることなのか。


人間はいつも強いわけではありません。

またいつでも自分をうまく表現出来ない人も居ます。

健常者も居れば、体が不自由な人も居る。

今の世界は、失敗や弱さを認めてくれる優しい社会でしょうか。

失敗は咎められ、弱い者は強い者に従う。

まだまだそんな世の中ではないですか??

ここでまた、一つのストーリーから考えてみましょう。

子育てに例えるとわかりやすいですが、新生児は言葉が話せないので、笑顔や泣く事で自分を表現します。

一部当て嵌らない人も居るかもしれませんが、大体の親はそれを優しい表情でどちらも受け入れ、大きな心で受け取り、支え、育てます。

では幼児に成長したらどうでしょうか。

言葉のキャッチボールが出来るようになると、途端に親の正しさを子供に押し付け始め、特に男の子に対して多いかもしれませんが、泣いたり弱音を吐くと怒る親が新生児の時よりも増えてきます。

どんどん成長して、成人したとしましょう。

弱音を吐く事も泣く事も許されなかった子供が大人になりました。

自分の弱さを出すと怒られるという無意識の恐怖から、人に悩みを打ち明ける事も出来ず、自己表現する事もなかなか難しい性格に育つでしょう。

そんな子が、社会に出て、始めてやる事なので失敗して当然なのに、頭ごなしに怒られ、社会不適合者の烙印を押されたとしたら・・・その子は誰を頼りに出来るでしょうか。

もはや頼る事すらもう選択肢にないかもしれません。

その子は、果たしてどんな心境でしょうか。選択肢は…一体どんなものが思い浮かぶでしょうか。

残念ながら、いくら嘆いても親と生活環境は余程の事が無い限り変わる事はありません。

ですが、保育園や幼稚園から始まり、小学校・中学校・高校・大学・専門学校・バイトや職場などという環境では、家庭環境よりも広がった社会生活を送ることが出来ます。

ですが今も昔もあまり変わる事はない、偏った学力だけ・営業成績だけを評価する競走社会、授業中にトイレに行くと言い出しにくいクラス環境、強者が弱者を支配する友達・職場内の人間関係など、なかなか結果が出せない人や晩年開花型の人間・いくら事務能力が破格に優れている人でも、非常に低い評価しか与えられない、強者や早い者勝ち・多数派、立場や権力者が幅を利かせる何とも生きづらい社会が今も多く存在しているのが現状です。

電車で席を譲る姿など、たまに人目を気にしない勇気ある人が出来るだけで、他の人は知らんぷり。

障害を持つ人を迫害する事なども未だにあります。

こんな優しくない社会では、人はいつも強くなければいけない。

気が抜けない。

心休まる時間など過ごせるはずがない。


人は強さも持ってあれば、誰もが弱さも持っています。

怒りたい時もあれば、叫びたい時も、愚痴りたい時も、逃げ出したい時だってある。

そんな人間のマイナスも、優しく受け入れてあげる世の中が訪れたら、自分も生きやすくなりませんか?

プラスばかり求める現代社会は、本当はストレス溜まりませんか??


弱さを認めてあげる度量を1人でも持てるようになれば、人に優しい社会が生まれ、悩んでいる人や追い詰められている人に声や手を差し伸べる事も出来るのではないしょうか。

そうしたら、1人で抱え込んで爆発してしまうことも無く、みんなで支えあって生きていける社会になっていくのではないでしょうか。

1人の問題はみんなの問題。

みんなの問題は1人1人の問題。


一が全、全が一

このような考え方が浸透していく事を、1人1人から始めていきませんか??


他人を変える事は難しいけれど、自分ならいつでも変えることができる。

自分が相手にするアクションがいつもと変われば、

相手からも、必ず違ったリアクションが返ってくるというもの。

あなたの周りに優しい変化を生んでいけるのは、

あなたの行動の変化一つから。


小さなことから、ゆっくり、コツコツと。

広大な仮想空間の中でこんにちは。サポートもらった分また実験して新しい景色を作ります。