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おはなし:コーヒーカップと不思議な実【後編】

どうしても、ティーカップの最後に残ったコーヒーは冷たくなってしまう。だけれど残すのはもったいないような気がして、ぐいっと飲みきる。

その残念な冷たいコーヒーの味わいから、淹れたての香り高い自分の大好きな珈琲のイメージがまた呼び起された。

よいしょっと立ち上がって台所へ行き、チチチチチ、再びやかんでお湯を沸かして、新しいコーヒーを淹れることにした。

ふう、何を思おうか。

安心と脱力と誇らしい気持ちと懐かしい気持ちが、外から帰ってきたばかりの芯まで冷えた身体の中で炎のようにゆらめいている。

まだ火をかけたばかりでうんともすんとも言わないやかんを、このまま見つめていても仕方ない。だけれど、ガスのコーーーという音だけが聞こえる冷えたこの台所の空間は、先ほどの話をもう一度思い出すには、とってもふさわしい気がして、外界への意識を、再び内側に戻しながら先ほどの会話を思い出した。

===

彼に(いや、最後まで男か女かわからないまま話を終えてしまったので「あの人」と呼ぶことにしよう)あの人に、お住まいはどちらですかと尋ねてみた。すると、あの人はちょっとだけ口をとがらせ、視線を上に巡らせてしばし考えたのち、「地球かな(笑)」と微笑んだ。

それは、別にこちらの質問に対して、答える意思がないという返答でもなく、それが最大限の誠意であるような、喜びと誇りと決意の混じった返答だった。

はて、一体どういうことかな、と解釈に窮し、次の言葉を探っているこちらを見て、あの人は続けた。

「ずっと旅の途中とも言えるような、

だけど、

その時その時いる場所が自宅のようなそんな感じで暮らしているんです。


だから、

おじさんと座っているこのベンチも今のわたしの居場所、というか家みたいな感覚?、です。」

少しテンポを落としてひとつひとつの言葉を、相手に敬意を払うように選んで話すその佇まいが心地よく、わたしはあの人に対しての好奇心が芽生え、会話を続けた。

『面白そうな話が聞けそうだね。だけど、わたしにはもう少し話してもらわないとちゃんとわからなそうだ。もっと質問してもいいかい?』

あの人はカバンをガサゴソしながら、手探りでチョコレートをみつけ、食べますか?とジェスチャーで聞いた。珍しい形をしたチョコレートだったので、腹は減っていなかったが、小さく頷き、抱えた枝をどうしようかと逡巡している間に、あの人はささっと包み紙を広げ、ニコッと笑ってわたしの口元にチョコレートを持ってきた。若い時のように、わたしは口を開き、チョコレートをほいっと口の中に放り込んでもらった。

「わかろうとしなくてもいいですよ。

理解は会話の一番の醍醐味じゃないし。


わたしは。


せっかくなら響き合いたいと思う。


だけれど、

興味を持ってもらうのは嬉しい 伝えられることは表現します 何でも聞いてください。」

あの人の言葉は一体どこから生まれてくるのだろうか。台本のようにはっきりとしているが、独特の間と緩急がある。

若く見えるが、いわゆる若さ特有の青々しさや活気は感じられない。静かに空間ごと温まる灯油ストーブのような熱を放っている。わたしはますますこの、偶然出会った、あの人にいいようもない興味が出てきていた。

「じゃあ、今日は旅行の途中ということかな?仕事はお休みなのかい?」

それを受けて、またうーんと考えた様子の後に言葉。

『そうそう。

そんな感じです。

だけれど、特別、旅をしているーっていう意識はない、んです。

これがいわゆる生活ってやつです。家で起きて歯を磨いて顔を洗って、ご飯を食べて、仕事場に行って・・・という生活をする人があるように、これがわたしのいつもの1日、っていう感じで。

仕事は、今しています。

あなたと話をしている。これがわたしにとっての仕事です。

あなたと会って話をしている。これまで作ってきたわたしを元にして。今。お互いの世界が交換されてる。

人間の仕事ってそういうことだと思ってて。』


ふむふむ。あの人の話を聞きながら、君に言われたことを思い出していた。


「人の話を聞いててわかんないな、って思ったときは、まっさらな心で聞くといいわよ。その方が、新しいものをもらえてお得なんだから。」


君はいつもそう言っていた。どういうこと?何がいいたいの?と聞き返すたびに君はちょっとふざけたような表情になってそう言った。

まっさらな心で聞いたらちっとも話が入ってこないし、返事すらできなくないか?第一考えられなくなっちゃうよ。

そう、いつも返していたけれど、その度にこう付け加えられた。

「それはあなたが理解することがこの世界で一番大切だって信じきっているからよ。人間は響き合えるともっと楽しくなるのにな。」

そう言われるたびに、なんだか君の方がわかっていて、自分に何かわかっていないことがあるような気分になって、そうなのかねえと宙に放って、新聞に顔を隠して感情の処理に勤しんでいたけれど、あの人は君と同じことを言った。

久しぶりに君と話をしている時のような、不思議な気持ちになったんだ。


わからないからわかりたい。わかる自分でありたい。

どうせわかるなら今わかりたい。

わからないことを話してくれる相手と会話をする時間は有限であることを知っている。

だから、今を逃したくない。


そんな気分になって、きっと今がそういうときなんだろう。まっさらな心で聞くをやってみようかと思い立った。

たぶん、あの言葉は今のためにある。よくわからないがそんな気がした。なぜなら、興味はあるもののわたしはあの人の話の意味が、つかんでも掴みきれない雲のように全くわからなかったからだ。

そんな回想シーンが繰り広げられている中、あの人は続けてこう言った。


『ありがとうございます。

なんか、今それを言いたくなりました。

今ってすごく最高な時代ですよ。

そうなったのはあなたのおかげみたいな気がしています。

だから、ありがとう。』


また、面食らう。待て待て、わたしの理解のスピードはそろそろ限界を迎えそうだぞ。いや、いかん。まっさらまっさら。


ありがとう。

わたしのおかげ?

今出会ったのに、何かしただろうか。

うーん、わからない。


こんな時君だったらどうするんだ。ちょっと助け舟を出して欲しかった。

「思ったことを言えばいいのよ。それだけ。

相手と話している間も、ひとりで頭の中で自分と話してるからこんがらがっちゃうのよ。

ぜーんぶただ外に表現して、委ねちゃえばいいのよ。」


そういえば、そんなことを言ってた。それもやってみるか。

『君と話していると、なぜかある人が頭の中に出てくるよ。なぜだろう。思い出すんだ。君と同じようなことを昔から言っていたから。』

そういうと、あの人は昔から馴染みの友達にでも会ったような顔になって、ぱあっと明るくなり、


『超えましたね。ありがとうございます。

その人がわたしをここに連れてきてくれたのかな。

なるほど。そういうことか。

願いは叶いましたよって伝えておいてください。』


そう言った。「?」で埋まっていく頭の中に新しい情報がやってきた。遠くの方から、バスがやってくる。

たいしたもんだ、正月のこんな朝から仕事をしているのか。仕事?この人も仕事中と言っていた。ではわたしも仕事中なのか?仕事ってなんだっただろうか。

『あ、マジでバスきた。すごい。』

あの人はそういうと、立ち上がって、地面に置いたカバンをよいしょっとベンチの上に置きなおして、まっすぐバスを見つめた。わたしとの会話が終わりに近づいていることを感じた。

「その人はもういないんだ。君からの伝言は仏壇にでも声かけとくよ。」

そう相手に伝える気もないような音量で言って、よいしょとわたしも立ち上がった。

『そんなことないでしょ。

あ、もうバス来ちゃいそうなので直球で言っちゃいますね。

おじさん、今でもその人と一緒に暮らしてるでしょ。いないとかいったらすねちゃうよ(笑)バスに乗ったらわたしの視界からおじさんは消えるけど多分一緒に旅しちゃうと思うので。いるかいないかは関係ないんで。今でも話してるから、わかってるんだと思うけど。それでいいんだと思いますよ。回収できてよかった。話しかけてくれてありがとうございます。』

ん?話しかけてきたのは向こうではなかったか。なんてふと思ったが、もう、理解のメーターは無残にも破壊されていたので、どういう意味か確認するまもなくあの人の声は流れて行ってしまった。ただ、君と一緒に暮らしているというフレーズだけが頭に残って、それはわたしを嬉しい気持ちにさせた。

バスが停まった。

「これからどこにいくんだい?」

プシューとドアが開いて、乗り込むあの人に向かって尋ねた。

『うーん、まだわからないんですよね。iPhoneが復活したら適当に出会いたい人探します!』

うん。わたしもわからない。だけれど、とても楽しそうで最初に会った時にはなかった若者らしいハキハキとした雰囲気になんだか元気が伝染するような感覚があった。

『あ、それ一個もらえませんか?長寿の不思議な実。

誰かにあげたら喜びそう。』

バスの入り口の数段の階段の途中でくるっとこっちを向いてあの人は言う。おいおい、長い間バスを停めて大丈夫だろうか。バスの運転手の表情を伺おうとしたけれど、あいにくここからは見えなかったので、少し焦りながらあの人とやり取りをした。

「いいよ。何本かもってきな。おすそわけ。」

いつのまにか口調が君と話している時のようになっている。人は焦ると、話し方を機にする余裕がなくなるようだ。

「この線からパキッて割って、薄皮を剥いで、中に入っている3つの実を食べられるよ。このままでもたべられないことないけど、塩入れたお湯で茹でないと硬いからね。10分くらい茹でて。はい、急いで。何本かとって。はいはい。」

『やった!りょーかいです。わかんなかったらググります。ありがとう。マーケティングの成果みたいなお土産買うより、こういう地元密着系のものの方が希少性高いし、おじさんとの話もできるからストーリー性もあっていいっすよね。価値高い。思いが繋がってよかった。循環させます。』

あの人も急いで話すものだから、もう何をいっているかわからなくなった。きっといつも馴染みと話すときはこういう話し方なんだろう。言葉を選んで話してくれた時間をありがたくおもいながら、バスを停めていることが申し訳ない気がむくむくと増殖中で、急に手のかかる子供のようになったあの人を「はやくはやく」と急かした。

『ありがとうございますよ。大丈夫。ここで何分か遅れても地球が爆発するわけじゃないし、おじさんとの出会いの方が価値高いですから。でも、人生たまには焦ったりハプニング的なことが起こるとアツイですよね。』

そんなことを言ってにへら、と笑うあの人を苦笑しながら、気をつけて、いってらしゃいと見送る。

それでは。と言って、バスがプシューとしまって、あの人を乗せてどこかへ旅立った。

そして、またひとりになった。5年ぶりくらいの慌ただしい時間の余韻を残して、景色は空の青と、草木の緑と、砂利道の灰色と、木の実とわたしだけに収束した。

===

ピョーーーーー

おっと。空想の世界から帰らなければ。お湯が沸いたようだ。

旨いコーヒーと再び出会う時間だ。さっき使ったカップを使うか、新しいものを使うかで少し迷った後に、あることを閃いて、茶だんすの方へ向かった。


たしかにわたしはまだ君と暮らしをしているね。茶だんすの中からカップを2つとり出す。今日は芝居じみたことをしてもそんなに恥ずかしくなさそうだ。机にカップをことりと置いた。君が話してたことでまだ腑に落ちていないことがたくさんあるんだ。もう一回話してもらおうかな。コーヒーの粉をスプーンですくい取る。インスタントで悪いね。2つ並んだコーヒーカップにこぽこぽとお湯を注ぐ。久しぶりにわたしはわからない話をしてきたよ。君も見ていただろうけど。君の願いが叶ったって言ってたよ。君の願いってなんだったんだ。わからないことだらけだね。

わからない。わからない。わからないことだらけなんだけど、不思議なことにひとつだけ閃いたことがあるんだ。あの人と話していてわけもわからずどこかからこの言葉が降ってきたんだ。


「1つの時代が終わって、新しい時代がはじまったということか。」


なあ、これどういう意味なんだ?もうさっぱりわからない。

お手上げだから、君も一緒に考えてくれよ。

2つのカップを持って寒い台所から、温かい居間に移動した時、どこかからこんな声がした気がした。


「そうやって全部思ったことを表現すればいいだけよ。会話なんて簡単でしょ。」

これはまだまだ対話が必要のようだ。話せば話すほどわからないことが増えていく。君と過ごすわたしの幸せな暮らしは今年も続くようだ。

とか、今頃思っているのかな。

あくまでもこれは1つの可能性。1つの宇宙のストーリー。

実際がどうかなんて問うことに意味のない

ある1つの宇宙で起きているタイムライン。


うーん、やっぱり生だと食べられないのか。鍋貸してくれる人探そう。

言われた通り薄皮をむいて、カリッとかじってみたけれどこれは歯がかけそうだ。ガタゴト揺れるバスに揺られてわたしは充電器をどこでゲットするか考えていた。

今日は連なる。何かの積み重ねの上に。今という瞬間に全てを内包して。



うん。

今年も良い年になりそうだ。

あなたに会いに行こう。

広大な仮想空間の中でこんにちは。サポートもらった分また実験して新しい景色を作ります。