手紙2

【拝啓 私】私の考えが、心のどこかで1番正しいと思っていた時の私へ【手紙note】

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拝啓 私へ

お元気ですか?

これを見ている私は、いつの時代の私ですか?



どの私でもいいから、見てくれてる事を願って書きますね。

今の私が生きている時代での大きなニュースは、

「入国管理法改正案で与野党が揉めている」といういうもの。

私は未だに法律的な事に詳しいわけでもないし、

実際の与野党の見解を細かく聞いているわけではないので、

その現状からでしか言えないけど、

私なりに思った事を。



見てよこの写真。

                         (出典:毎日新聞)


実に笑えるでしょ。

年末バーゲンセールみたいだよね。

ちなみにこれ国会内ね。

どう見ても強引に意見通そうとしてて話し合う気無いよね。

これが日本の国民の生活を左右する法案の審議会の様子よ?

税金から給与貰って喧嘩してるんだよ?

ウケるwwwwwwwとしか言いようがないよね。

なんで同じ日本人同士で争うんだろうね。

こんな状況で国外から来る人のことを決めようなんて・・・[壁]・m・) プププ(苦笑)

悪いことしか想定できないから否定するんだよね。

そして今決めなきゃと思ってるから焦って決めようとしてるんだよね。

多数決でどちらかの意見に寄せるんじゃなくてさ、

どちらもの意見の賛同できるところを客観的に観れる機関とかあったらいいのにね。

争いから決まったものを土壌にして生きている今私が生きてる日本は、

今これを見ている私の時代と何か大差ありますか?

歴史があっても変化・成長が見られないものって絶望的だよね。



さて、今の私の話はここまで。

これから本題に入っていこうね。

今日私が伝えたい事、

それは【私の考えが心のどこかで1番正しいと思っていた】ことについて。



根拠の無い自信ってあるよね。

絶対って言い切っちゃうことってあるよね。

そしてそれが覆ると簡単に絶対を撤回する。

そんなことを繰り返してた時って幼少の頃から何度かあった。



どうですか?

自分の意見を自信を持って今でも言えていますか?

覆った時のみんなの反応が怖くて言えなくなってるってことになってませんか?

今、生きてて良かったと思えていますか?

正直言うとね、

今の私はその生き方を辞めました。

もしこれを読んでいるいつの時代かの私が、

自分が正しいと思ってしまっていたら、

これを見て一つの参考にしてもらえると嬉しいです。



私の知ってる事って、

何を根拠にして構成されてるんだろう。

人から聞いた話?

ネットやニュースでやってた話?

自分で実際試したこと?

いろいろなものから収集した情報を、

私の中にある「正しいものはこれだ!」って信じたものを土台に選んでるよね。



【正しい】ってなんだろう?


例えばさ、

私が交通事故に遭って、

右足首を複雑骨折して入院したとしよう。

同じ病室に同じ場所を骨折した同い年の同性の子が居るとしよう。

私は足が治れば日常生活に戻るだけだから、

ちょっと休憩がてらリハビリ頑張って復帰しようと思ってるとしよう。

同い年の子にも気長に頑張ろうって励ましたら激昂されたんだ。

その子は骨折したことで絶望的に生きる意味を失っている。

話を聞いてみると、

なんでも大きな夢があって、

それに向かって頑張ってる最中、

その子とポジション争いをしている連中に、

聞き足だった右足に集中的に暴行を受けたらしい。

足全体は打撲で住んだが、

足首は複雑骨折で復帰にはもちろん時間がかかり、

低下した筋力の回復もしなければならない。

あと少しで夢に近付けるはずだったのに、

自分で怪我したわけでもなく、

人の嫉妬によって負った怪我。

恨みよりも絶望の方が大きかった。


怪我や病名自体は同じであっても、

生きてきた境遇や今後の生き方の方針は全く違う私とその子では、

現実に対する向き合い方が全然違うよね。

私にとっての回復の定義は「痛みが引いて治ればいい」。

その子にとっての回復は「夢が叶えられる頑張っていた時の自分の状態に戻る」。

時間的心の余裕だって違う。



人はそれぞれ、

人生で何を経験してきて何を感じてきたかは全く違う

だから、

同じ経験をしたとしてもその出来事をどう捉えるかは違って当たり前なんだ。

私の経験上で上手くいったことも、

私以外の人の参考にならないことだって沢山ある。

それこそ事故に遭った場所で友達に事故に遭わないように気を付けてと言っても、

その友達が同じタイミングで同じ場所を怪我する確率なんてとてつもなく低い。

もし事故の話をした友達が同じ場所で事故に遭ったとしたら、

人によっては「他の子が事故に遭った場所でなんで気を付けなかったの!?」と言うだろう。

全く同じ事なんて起こらないのに、前例があるのにと責め立てる。

そこでの事故は私の事故とは全く別のものだ。

そんなことは少し考えれば解ることなのにさ。

考えて話してないってことだよね。

「前に事故したばかりの場所」「気を付けてと言われていた」「事故に遭った」

これだけの物凄く簡素化した情報だけを抜き出して同じだと認識してるなんてさ。

瞬間瞬間が同じような状況と括れるものであっても、

細かく見れば全く違うことばかりが私の周りでは起こっている。

そんな中で正確に的を得た正しさなんてどこにあるんだろう?って思わない?

絶対なんて根拠は本当にどこにもないって思わない?

確率的にどうなるかってだけで、

条件状況が変われば必ず違う結果になる事もあり得る。


絶対なんてない!


今の私の経験から言えることだって、

今の私の時代に居る全人口分の1の価値観や経験値でしかない。

自信を持って正しいと言える事なんて何もない。

それは誰だって同じ事だと思うんだ。

だから人はひとりでは生きていかずに、

多くの知恵や経験を共有して助け合って生きていくんじゃないかな。



私の経験則から話せることは、

あくまでも私の人生の中でのこと。

私以外の人生で寸分違わず全く同じ事が起こる事はない。



だから、

私の話は人にとっては本当に貴重なことなんだよ?

だってそれは他の誰もが経験できない体験談なんだから。

そういう意味で自信を持って自分の意見を言う事はできるはず。



自分の人生で何を経験し、

何を感じ、

何を得てきたのか。

その他の誰とも違う人生観から育ってきた、

この世で唯一無二の私の個性だもの。

他の誰とも違う発想が出てきて当然じゃない?



私の思った事や考えは、

決して正しいものではない。

けれど、

正しくなくてもいい。

それ自体が価値なんだから。



「人の数だけ正しさがある」

これを覚えておくといいよ。



ひとつだけ付け加えると、

私の考えや思いは、

自分でちゃんと自覚してから伝えるようにしてね。

私はなんでそれを言いたいのか、

なんで言おうとしているのか、

言うことによって何を期待してるから言うのか。

私の全ての言動の意味を、

発する私自身が出来る限り知っててあげてほしい。

言葉や行動に心を置いてけぼりにしない為に。

どうせなら思いをしっかり自分で意識して乗せてあげてほしいから。

これら全ては、

私が人生で積み上げてきた私自身の創ってきた個性から出たもの。

私は、あまりにも自分に興味がなかった。

今の自分は過去の自分の延長から来てる。

自分のことを、

もっと自分が知ってあげよう。

それを意識すると、

人への伝え方もまた変わってくるんじゃないかな。



これを読んだ私の心が、

少しでも自由と自分らしさを大切にして生きられますように。



                         敬具





追伸

そうそう、

これを読んでる私やその知人友人に

「致死率90%から生還した人のインタビュー聞きたい」って居る?

もし居たらこれ読むと参考になると思うから載せておくね。

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【拝啓 私】私の考えが、心のどこかで1番正しいと思っていた時の私へ【手紙note】

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